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あおいとりドロップ 3(パロ)

 
 
 
 
 
 
エースが転園して少しして、おれが新しい仕事に慣れてきた頃だった。
満員電車にすし詰めされることも、深夜まで保育園に預けられることもなくてなってから、エースも余裕がでてきたようだった。以前よりよく話すし、よく笑う。ささやかながらわがままも生意気も言うようになってきた。まあ、布団に潜り込んでくるだとか、やれおれは頭を洗うのが下手だとか、せいぜいその程度ではあるのだが。
季節は冬の始まりを迎えて、肌寒い日だった。いつもの朝をいつもの目覚ましの音で目が覚めて、違和感を感じた。
「…?」
違和感の正体は、エースがいまだ布団に丸まって寝ていたことだ。いつもなら目覚ましがなる前に起きて、生真面目にも朝ごはんの用意を始めてしまっている。
「…エース、どうしたよい。いつもおまえの方が早ぇのに」
寝ぼけたまま声をかけるが応答もない。
しかも、最近はいつもこちらの布団に潜り込んでいたくせに、今朝はエースの布団の、さらに端っこに居る。寝起きの不明瞭な頭で声をかけて、それでも動かない子どもに、ふと、本当に具合が悪いのかと思い至る。
一気に目が覚めて、慌てて近くに寄ろうとした手が、ひんやりとした何かに触れた。
「?うわっ!」
思わず声をあげてしまい、その声にエースがとび起きる。めくれたおれの布団の下に、大きなシミがあって、一瞬頭が混乱する。よもやと己を疑う前に、エースの大声が遮った。
「これはっ、あせ!!」
真っ赤になった顔を懸命にしかめてエースが主張する。
目の前にあるシミは、『汗』と言うにはあまりに広く、つまりまごうことなき、なわけではあるけれど。
最初の驚きを通り過ぎてしまえば、べつに正直たいしたことじゃあないけれど。エースがあんまり真っ赤な顔で、どう見てもいわゆるテンパっていたから、さすがにそれ以上は言えなかった。そもそも端から怒るようなことでも追及するようなことでもない。
「あー…、汗な。わかったらからシーツ外すの手伝えよい」
「だからあせだって!!」
つい、おざなりに答えたら、ものすごい勢いで反論された。そばかすの浮いた頬を真っ赤にして、目がしっかりこちらを見たかと思えば微妙に泳いだりする。普段は無口で無愛想なエースが一生懸命になって言い募るのは、端的に言えば、まあ微笑ましい。
わかったわかったと言いながら、絶妙に曇り空の下布団を干して、シーツを洗濯機に放り込んでいる間もエースは汗だという念押しを忘れなかった。子どものプライドというのも侮りがたいものがある。もうすぐ小学校にあがるともなれば相当だ。
それでも、それ一回で終わっていれば話は簡単だったのだ。
次の日、普段通りに一日が終わって、いつも通りにエースがこちらの布団にもぐりこんできて、おれは本を読みながら眠って、ふと、夜中に目が覚めた。
傍らにエースがいない。
何となく予感がする。暗闇の中静かに身を起こせば、部屋の隅でエースがひとりで着替えをしていた。ぬれたのであろうパンツとパジャマを丁寧に丸めて、立ち上がって振り向いたところで目が合った。暗闇の中でもわかるほど動揺して、「あっ」と立ち尽くす。
恥ずかしい気まり悪い居たたまれないどうやって切りぬけよう。
複雑な感情がたった六歳のガキの表情を横切っていくのを見ていっそ感心する。
「エース、おれのこと起こせよい」
原因も結果も理由も置いといて、言いたいことだけをとりあえず伝える。
「で、でもっ、あせだから!!」
「…汗だろうと何だろうと起こしていいよい」
出来る限り素気なくなんでもないように言ったら、ようやくエースもうなずいた。
子どもってのは、どうして自分でもばれるとわかっている嘘をつくのかねいと内心呟きつつ、この歳におねしょをするだとか、それを自分で始末するってのがどんな気分だったかなんて当然思いだせるはずもない。だけど、小学校にも上がる前から、既にこれだけの葛藤をもっていたというのは正直忘れていた。
外したシーツをおれが持って、自分の服を持つのをエースは譲らなくて、洗濯場まで夜の廊下をふたりで歩く。
エースはそれでなくても、自分のことは自分でやらなきゃいけないという気持ちが強い。(まあもちろん、今日のことはごまかすためってのもあるだろうけど)
もともとの性格なのか、今までの暮らしがそうさせているのか・・・どちらにしろ驚かされることばかりだ。
「もういいから早く寝ろよい」
「うん」
「どーせ洗濯すんのは明日だよい」
「うん」
「明日起きられなくなってもしらねぇよい」
「うん・・・」
結局背伸びして洗濯機に放り込むまでエースは譲らなくて、でもたぶん大人にとってはどうってこともないことでも、ガキにとっては大事なことなのだろう。
濡れた布団は部屋の端に寄せて、おれの布団に二人して潜り込む。
「…こらエース、くっつきすぎだ。狭いよい」
「……」
既に半分寝ているのか、ぎゅうぎゅうとくっついてくる子どもに呆れながらもさすがに引き離せはしない。
(おねしょとか全然なかったのにねい・・・何でまた急に・・・)
一緒に暮らし始めてからもうすぐ三カ月。環境の変化というには遅いし、緊張が緩んでというのも違う気がする。調べようにもどうやって調べるか・・・あれこれ考えながら眼を閉じる。傍らの高い体温が気持ちのいい季節になっていた。
 
 
 
「おねしょ~?」
自分でも芸がないとは思うが、とりあえず同年代のこどもがいて気軽に相談できそうなのはサッチしか思いつかない。
「別に年齢的なことは気にしてねぇんだけどよい」
保育園の時期なら自分もちょいちょいやっていた記憶もあるし、サボの話も聞いたことがある。
「ただまあ本人が気にしててなァ。毎日だし、前はなかったしねい・・・」
「うーん・・・」
「ネットでも見てみたんだがよい、ストレスが原因だって書いてあるところもあるし、逆にそれは迷信だって書いてあるところもあるし」
「あーまあそりゃよくあるな」
「ストレスってのが思い当たるだけにな・・・」
「そりゃおまえ大げさだって」
電話の向こうでサッチはからからと笑って見せる。脳天気が服着て歩くてめぇに言われたくねぇよいと返せば、頭でっかちめと言い返される。
「まあガキってのはびっくりするほど汗かくけどよ、秋冬はさすがに汗もすくねぇから自然と便所に行く回数も増えるよな」
「あぁ・・・確かに・・・」
言われて見れば基本的なことだ。他に理由があるとしても、寒さが引き金になっているのかもしれない。
さっそくその夜は眠る前にエースに声をかける。
「エース、トイレ行っとけよい」
「うん」
眠る前のトイレは確かに基本だ。ガキの頃繰り返し繰り返し言われたものだ。寝る前に出しておけば夜中に催すこともないだろう。滅多にないことにサッチに感謝してもいい気になったくらいだ。
もっともそれも翌朝地図の描かれた布団を干すまでの間ではあったが。
(・・・原因他にあるのかねい)
エースはエースでひどく気に病んでいるのわかるから下手に何も言えない。ただ何でもないことのようにふるまうのがせいぜいだ。
とりあえず気長にやるかと思いつつ、寝る前に声をかけるのは続けることにする。
「エース、トイレ行っとけよい」
「うん」
エースは素直に答えて、そのまま便所に向かう。ここまではいい。ここまでは順調なのだ。入れ違いに便所に向かって、はたと気づく。この家は古い。古すぎて、便所のために靴脱ぎがあるようなありさまだ。そこに並んだ揃っていない便所スリッパを見て気付くと言うのも間抜けなことだが、エースの几帳面な揃え方を三か月余り見ていれば、エースが便所に行っていないことなどすぐにわかる。
(なんでそんなすぐわかるような嘘を・・・)
呆れつつも、考えざるを得ない。そう思い至ってみれば、エースは、夜はほとんど便所に行っていない。それはおねしょが始まる前からそうだった。
理由。理由がわかれば対処のしようもあると思うのに、正直どうしていいのかわからない。おねしょなんざたいしたことないと思っていていも、もしかしたらという思いも拭えない。時間が経てば勝手に解決することなのか、それとも先々に関わるような致命的なことなのか。頭でっかちと言われてもこればかりは安心のしようがない。どこまでやれば子どものためで、どこから先は大人のエゴなのかがわからない。
例えば、エースが来てからテレビの番組なんかには気を使うようになった。
エロいやつを見せないのは当たり前だが、ニュースも、正直場合によっては見せていいのか迷うことも多い。無慈悲な事故や殺人事件を扱うニュースやドラマ、恐怖を煽るような演出は、大人なら適当に流せるが、子どもがまともに見てもいいものなのだろうか。情報なんてどうやったって入ってくるし、野郎なのだから過剰な気遣いはむしろ毒なのだと思うが、それでも迷う。エースはこわがったりはしない。むしろ気付いて止めるまで、食い入るように見ていたりする。だからよけいに迷うのかもしれない。
そのときも、エースは大好きな図鑑を繰る手をとめて、食い入るようにテレビを見ていた。番組はよくある健康番組で、中高年が感じる日常のささいな不調が実は大きな病気の前兆だといった内容だった。女性キャスターがおどろおどろしい声で、誰もが思いつくような症状を、実は命の危険があると脅す。使い古された手法を聞くともなしに聞いていて、気付くと、エースがおれの顔をじっと穴の開くほど見つめていた。
「どうしたよい、エース」
「……」
いつも怒ったような顔が、もっと怒ったように歪んでいた。
いつもへの字の口がためらうように開閉して、すぐに決然と開く。
「おれも、しぬの?」
言葉をなくす。何を、と言おうとして遮られる。
「・・・しぬってどんなふう?」
真っ黒い、六歳の眼差しに腹の奥まで射抜かれそうになる。
「・・・テレビのことかよい」
なけなしの自制をかき集めて、どうにか取り繕う。
「ガキが何を心配してやがる。ありゃおっさんが気にする話だよい」
ことさらに軽いふうを装う。笑おうとして、止める。ひどく真剣な思いつめた表情に止められる。初めて、保育園に預けたときと同じ顔だった。
「マルコはしぬのか?マルコもびょうきになるのか?」
うかつに答えらない問いを重ねて、エースがおれの腕をつかむ。
「マルコはおれよりさきにしぬのか?」
甘えてくることの。少ない子どもだった。いつも自分のことは自分でやろうとして。
(テレビが原因なんかじゃない)
強がりも嘘も。眠るときにくっついてくることも。きっとずっと考えていたのだ。幼いなりにずっと。
(じいさんが死んだこと。おれが死ぬかもしれないこと。自分もまた、死ぬかもしれないこと)
 
かなしみ。
不安。
恐怖。
 
なにもかもが整理されずぐちゃぐちゃになったまま。六歳の胸のなかで渦巻いていたのだ。おそらく。
(そりゃあ、納得なんざできるわけねぇよい)
言葉を、どう選んでいいのかもわからなかった。
「…そうだねい、おまえより先におれが死ぬほうが理想だよい」
理想、という言葉の意味ははっきりとはわからないのかもしれない。それでも、伝わった肯定の意志にエースが驚いたように見返す。
大人は子どもより先に死ぬ。それが「正しい」ことだと、子どもは初めてはっきり知ったのかもしれない。
「それでも、おれァまだ三十歳だよい。じいさんは七十二歳で、…おれァまだ半分もいってねぇよい」
「七十二さいまではしなない?」
「…まあ何歳かまではわからねぇがよい」
果たして不摂生な自分がそこまで長生きできる自信はないが。
「おまえが大人になるまでは死なねぇよい」
「おれがおとなになったらマルコはしぬのか?おとなっていつから?」
子ども特有の容赦も曖昧さもない問いに苦笑する。
「そうだねい。…おまえが今のおれぐらいのおっさんになっても、まだ大丈夫だよい」
多分な、と内心付け加えて、今度こそ笑う。目の前に立ち尽くす子どもを柄にもないと思いながら、両手で引き寄せる。
「それまでは、絶対死なねぇよい」
軽いからだを思いっきり抱き寄せる。虚を突かれた子どもがよろけて、そのまま、腕の中に納まる。
「信じろよい」
小さな手が肩に回って、ぎゅうぎゅうとしがみついてくる力に変わる。くせっ毛が頬に跳ねて、高い体温が染み込んでくる。無条件の混じりっ気のない信頼。…自分が得られると思っていなかったもの。
よじ登る仕草をする子どもをそのまま抱き上げる。この軽い小さな体いっぱいにずっと考えていたのだ。死ぬことの意味を。それこそ毎晩毎晩。下手したら四六時中。
それでもことさら軽く、目の前のことだけを言う。地に足をつけるみたいに。
「おねしょのことも気にするなよい。おまえさんはまだ小さいんだからねい」
「おれ、せ、小さくない」
膨れて反論する子どもを愛おしいと思う気持ちと不憫と思う気持ちが綯交ぜになる。
それでも必ず、この子どもを置いて先に往くのだ。それが適う限りの「理想」だ。
「背はな。けど歯はまだ抜けてねぇだろい。ひとによって大きくなる方法は違うんだよい。だから、大丈夫」
おれも、寝小便くらい小学校までやってたよい。そう明かしてやれば、少しほっとしたように笑う。
「ただ寝る前に便所は行っとけよい」
ぎくりとする子どもが、何かを言い訳しようとして葛藤するのがわかる。言い淀んで、迷って、赤くした顔で呟く。
「……、こわい」
それでも、おねしょし続ける屈辱よりはましだったらしい。なかなかに健全なプライドだ。
「夜はついていってやるからよい」
「…うん」
それはそれで口惜しいのだろう。再びへの字を結ぶ口に笑みがこぼれる。
「便所さえ行っておけばおねしょの回数は減るよい」
「うん…」
「それでもやっちまったときには…」
意地悪くタメをつくって、身をすくめるエースをからかう。
「着替えるだけだよい」
見上げる子どもが、あんまり子どもらしい顔をしている。
「…おこんねぇの?」
「んなわけねぇよい」
すっかり愉快な気分になる。そうだ、こんなことはたいしたことじゃない。あれこれと悩んでいた自分が馬鹿みたいだった。
「おこられるようなことじゃねぇし、笑われるようなことでもねぇよい」
エースは、自分が思うよりずっといろんなことを考えていて、いろんなことを感じていて、もうそれだけで十分だった。
(おれが教えることなんざ、きっとないんだろうねい)
この子どもはきっと、自分で考えて、自分で悩んで、彼なりの答えを見つけていくことができる。
きっと死ぬことの意味も、生きることの意味も。
自分にできるのは、きっとその手伝いだけで、それで十分なのだった。
(あとは、約束どおりきちんと長生きするだけだよい…)
ずっと馬車馬みたいに働いて、好きなだけ飲み食いして、好き勝手に暮らしてきた。
それでも、自分が二十代のときより衰えてきたのは自覚していた。食べるものも、見た目も、身体の感覚も、少しずつ、少しずつ、「老いて」いく。
家族も、養う人間もいない自分にはそれでいいとずっと思っていた。今このときまで。
―――生活を改める時期が来たのかもしれない。
少なくともこの子どもが独り立ちするときまでは。
(…もう二度と・・・・・・)
少なくとも、同じ思いを二度とさせないためにも。
「…保険でも入っとくかねい」
「?ほけんってなに?」
「いや、まあ絶対死なねぇけどよい」
無条件に向けられる信頼に、思わずひとりごちる。
―――まさに、「保険」だと。
 
 
 
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