エースはなかなか器用に鋸を使い、ガープの手に支えられながら釘も打った。巣箱にはやすりをかけ、ペンキで色を塗る。赤がいいとエースは言い、黄色がいいとガープは言い、あやうく喧嘩になりかけて、マルコが子どもに譲れよいと割って入るはめになった。
途中でつるが餌台に乗せるリンゴをもってきて、エースの懸命な手つきをしばらくをじっと眺めてから「丁寧でいい仕事だ」と呟く。世辞や愛想を言う人間でないことは子どもにもわかるのか、エースが頬を誇らしさで紅潮させて、いっそう熱を込めてペンキを塗る。縁側に置かれたやたらと歪な形のリンゴは一見してつるが手ずから切ったものだとわかる。昔からとにかく手先の不器用なつるが、器用な人間に対して本人が意識している以上に賞賛を与えることをマルコは知っているが、ともかくも結果オーライというやつだ。
そうやってカラス避けの網をつけた餌台の上に、餌と水の器を設置し、巣箱を一番大きな枝にかけたところで、ドフラミンゴがようやく起きだしてきた。エースとガープと成果物を眺めて、フッと鼻で笑う。両手を掲げて高らかに宣言する。
「オレならそんなしょぼくれたリンゴなんざ喰わねぇなァ。しょうがねェ、最高級の脂身ってモンを教えてやるよ」
庶民にとっては迷惑なだけの紫色のリンカーン・コンチネンタルの後部座席にエースと一緒に詰め込まれて、ついでに墓参りも指示すれば午後も予定どおりに済む。じいさんは花の好みなどなかったから、通りがかりの花屋でドフラミンゴの財布で色とりどりの花をエースに選ばせる。隣に越境するほどの花でじいさんの墓を埋めて、エースがさらに墓碑の上から楽しそうに花の雨を降らせる。マルコは持参したシェリー酒を一壜その上から注いで、花よりも甘い香りが墓所を染めるのに満足する。
味見だと言い張ってシェリー酒を呷ってしまったドフラミンゴを助手席に押しやって、帰りはマルコがド派手な車を運転するはめになった。当然、近所でも有名な肉屋に寄って、高級な脂身を得るために高級な牛肉を大量に購入することも忘れない。他人の札びらを容赦なく切るのは実に楽しいものだ。普段見たこともない量の肉の山が、次々と手際よく包まれて手渡される光景に、エースの目はきらきらと輝き口が半ば開いていて、「ドウブツはやっぱり食いモノにつられるか」とドフラミンゴが得意げに笑った
午後にはさらに、従兄弟のサッチがサボを連れて遊びに来た。
「やー突然悪ィな。サボがどーしてもエースと遊びたいって言ってさー」
ここでもお互いに血のつながりはないガープとつるにさっさと手土産を押し付けて、遠慮のかけらもなく上り込む。
マルコはと言えばちょうどそのとき、せがまれてエースと一緒にテレビの前でアルゴリズム体操をしていたわけだが、それを見たサッチにしみじみと「すっかり親バカになっちまってまぁ…」と慨嘆された。「アルゴリズム体操とマルモリは必須科目だろい」当然のように抗弁してみるがさすがに気恥ずかしく、さっそくじゃれ始めた子ども二人にこれ幸いと逃げ出してこたつに潜り込む。初対面に大喧嘩をしたはずなのに、エースとサボは何やら気が合うらしく、マルコとサッチが連絡を取り合うたびに二人で話したり遊んでいたりする。もちろん喧嘩もしょっちゅうするが、その程度はかわいいものだ。
「いい『お父さん』なんじゃねェのマルコよォ」
ごそごそと同じようにサッチがこたつに足を突っ込んでにやにやと笑う。伸びてきた足を蹴飛ばして「うるせぇよい」と渋面をつくる。
「そんな簡単にうまくいかねェよい」
ただ、と言葉をつなぐ。
「まあ、目の前のことだけならな、なんとかなるんじゃねェかって」
さっきまで追いかけっこをしていた子ども二人は、今は部屋の隅でサボが持っていたらしい幾枚かのカードを挟んで何やら小声で話している。難しい顔をしたり、たくらむように笑ったり、多彩な表情ができるようになった。じいさんの家の庭で、ただひとり無表情で立ちつくしていたときとはくらべものにならない。
体いっぱいの怒り、悲しみ、不安。行き場なくあふれたものそれらの感情を受け止めることはできるだろうと思う。ただそこから先、どうしてやればエースがまともな人生を得られるだろうかと考えると途端に覚束ない。何を与えて、何を教えて、どうやって導けば、エースは自ら幸福になれるだろうか。マルコは長く独り身で、それを恥だとも不幸だとも思ったことはなかった。しかし自分の家族を持とうとしてこなかった人間が、今になってようやく人並みの責務を負わされて焦って狼狽えている。それを自覚していれば自嘲するしかない。
「ほかのことは、ちっとも、わからねェことばかりだ」
「そりゃァそうだ。親だっつったって、そんなモンだろ」
サッチがふにゃりと笑う。こたつの天板に頬とリーゼントをくっつけて、遊んでいる二人を心底嬉しそうに眺める。
「だってそうだろ、ガキなんざ、いつの間にかいらんことばーっかり覚えて、いつの間にかいろいろ考えてるもんさ」
あのちっちゃい頭ン中でな、惚れた女だ、負けたくないヤツだ、人生ってなんだって考えてる。マルコが言わなかったこともあっさりと見通して、サッチはひとつあくびをした。
「言葉にならないだけでな。だからほっときゃいい。飯をくわせて、あったかくしてやって、ときどきそばに居てやりゃあ、自分の幸せは、自分でみつけるさ」
晩の焼肉をエースはよく食べた。グラム単価がいつもと倍ほど違う肉は確かに旨かったし、同い年で元気いっぱいに食べるサボが近くにいたせいでもあっただろう。子どもが勢いよく食べればガープの機嫌はいいし、サッチとドフラミンゴの掛け合いはもはや漫才の域に近い。昨夜の食卓とはうってかわってにぎやかな雰囲気につられてか、エースも照れたように怒ったように笑った。やがて肉を持ったままうつらうつらし始めたと思ったら、会話が途切れた一瞬の間に、糸が切れたようにことんと眠ってしまった。箸を持ったままテーブルに突っ伏して寝息をたてるエースに、ガープが何かを言いかけて、止める。マルコは、握った箸をそっと離させて、エースを抱き上げた。
「今日はありがとよい」
口々に「おやすみ」という言葉をもらう。早く行けとばかりに手で追い払われて苦笑する。つるが最後にひとつだけ添えた。
「センゴクが夜におまえさんに電話をすると言っていたから、そろそろじゃないかね」
眠るエースを起こさないように布団に運んで、マルコは少しだけ離れたところで、携帯電話の着信をとった。電話越しの声は予告通りに事務的な「叔父」のものだ。
「あの子どもはどうしている。何も問題はないか」
開口一番の言葉に鼻白む。すぐに、この人はいつも誰にでもこういうものいいだったと心を落ち着ける。皮肉を込めて言い返す。
「『問題』なんざ別にないよい」
「それならいいが、何かあったらすぐに言え」
へいへいと適当に流す。この叔父は一族の中では一番まともな人間だが、その分真面目で頭が固い。一族の誰か問題を起こすたびに忌々しげにしながら尻拭いをしているせいもあるだろう。マルコがエースを引き取ることにも最後まで反対した。
「なんの用だよい」
「…あの子どもの、エースの『親』のことだ」
「!何かわかったのか?」
センゴクが検事という立場を活かしてエースの身元を方々探していたのは聞いていた。じいさんとの直接の血のつながりがないことは既に判明していて、人間が木の又から生まれるのではない以上、どこかからひとり子どもが来た痕跡があるはずだった。むしろ、探さないとそれがないということの方が問題かもしれない。じいさんはエースの身元について、何一つ手がかりを残さなかった。
「まだ言えるような話はない」
電話越しでもセンゴクが声を少し落とすのがわかる。
「ただ…子どもは、親に会いたがっているか?」
「…いや、じいさんのことはよく話すが、親のことはなんも言わねェよい。無理に聞き出すこともしてねェから、知らないのか、話したくないのかはわからねェが…」
「…いや、いい。無理に聞き出す必要はない」
「何かあるなら言えよい」
わざわざ電話をかけてきたのだ。それなりの理由があるはずだった。じいさんが拾ってくる子どもは大概がワケありだ。そんなことは当事者であるセンゴク自身がよく知っている。
「私の仕事に関わる事案かもしれん」
それでも咄嗟に眠るエースを見た。緩やかな吐息をたてて眠る子どもを見て、起きる様子がないことに安堵する。聞かれるはずもないのに、冷や汗が出る。問うこともできないままセンゴクが畳み掛ける。
「いいか。お前はろくでなしどもとは違って、まっとうな道を選んだ。何かあってもお前は決して関わるんじゃない」
れが「叔父」であるセンゴクの善意であることはよくわかっている。しかし、関わるなと言われて諾とすることはできない。いまさらエースを放り出すことなど決してできない。
「問題が起きたらすぐに言え。必ず連絡をよこせ」
あいまいに返して電話を切る。さらに何か言われたが最後の方は聞いていなかった。エースは眠っている。エースは『本当の』両親のことを話さない。話せないのかもしれない。マルコはこの世の中にいかに親である資格がない人間が多いかということを知っているから、それが不幸であるかどうかはわからない。でも、幸福ではないような気もする。
それでもわかっていることはあった。マルコは今更エースの手を離すことなど考えられなかったし、例えエースの親と名乗る者が現れても、どれほどに正当な理由を並べられたとしても、エースが望まない限りは、決して渡してなどやらないと。
三日目は午前中の電車で家に帰る予定だった。両手に余るほどの土産を持たされて、重さに辟易しながら玄関で忘れ物をチェックする。送りに出てきたのはガープとつるで、昨日のうちに帰ったためサボとサッチは既にいない。ドフラミンゴはまだ寝ている。
同世代の子どもがいなくなったせいか、また少し大人しくなってしまったエースがマルコの腕を掴む。
「?なんだよい」
ぐいぐいといつになく握りしめる様子に、ふと思いあたる。
「それじゃあ、わかんねぇよい。ほら、はっきり言え」
ぎゅっと眉根を寄せた表情は、最初の警戒に似ていて、でも違うことは誰にもわかった。睨むように見上げた頬が赤い。少しだけ言いよどんで、すぐに決然と面を上げる。
「…また、来てもいい?」
ガープの顔が溶け崩れて、その陰でつるがまなじりを和らげた。
「当たり前じゃっ!何時でも遊びに来い!」
バイバイと手を振ってエースが照れくさそうに笑う。短い距離を駅まで手を繋いで歩きながら、エースがもう一度「また来たい」と呟いて、それだけで今回の帰郷はこの上ない成功だった。
もちろん、その後、つまりマルコとエースを見送った後で、ガープがぼそりと「孫がほしい」と呟いたことをマルコは知らない。その視線の先によりにもよって起きだしてきたドフラミンゴがいたことも知らないし、ガープが例によって例のごとくの傍若無人さでドフラミンゴにとっとと身を固めて孫をつくれと怒鳴ったことも知らない。例えそれが流血沙汰に発展しようと、つるの最大級の怒りを呼び起こそうと、全く関わりのないことだった。
PR