忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

ざれごと(12)






誕生日に何が欲しいかと問われたから、一度でいいから何も気兼ねせずにあんたとうんざりするほどセックスがしてぇなと答えたら、動揺もせずただ馬鹿なガキだよいとだけ呟かれたから、てっきりそのままスルーされるのかと思っていたら、誕生日の翌々々日くらいの上陸のとき、行くぞと腕を引かれた。
「どこに」
「何も気兼ねしねェでいいところ」
本当に申し訳ないことに、それを聞いた時には自分が言っていたことなど忘れ果てていたから何のことだかさっぱりわからなかった。ただ先を行く背中に引かれるように歩いて、中程度の街の、あまりガラのよろしくない細い路地の隙間をぬう。途中で渡された布を頭から被って素性を隠して、寂れた建物の中から地下に続く階段を降り、男が取り出した古めかしい鍵で扉一枚開ければ、そこは瞬く間に見違えるほど豪奢な空間に変わった。偽物とは思えない年代物の家具と調度。複雑な意匠を凝らした織物。薄汚れた地上とは切り離され、まるで王侯貴族の住まう一室のように。それでもこの仄暗い部屋のつくられた意図を間違えようはなかった。続き部屋に垣間見える巨大な寝台を見れば尚更。
ことここに至って、ようやく己が発言を思い出して、少し呆然とする。
「…思い出した」
「そりゃ重畳」
皮肉と呆れと諦めが微妙に混ざった口調で、マルコは室内を物色していく。否、危険がないかを点検しているのか。あれは。
「…何でこんなとこ知ってんの」
「そんなことが聞きてェかい?」
面倒くさそうに、この街の貴族や聖職の連中が忍びできたりする場所のひとつだと説明してくれる。確かに安宿で船の仲間に鉢合わせするような心配はないし、仲介の口は固く、賞金首が踏み込んでくる心配もない。万が一何かがあっても非常脱出口まである、存分に壁も天井も厚くて周囲に迷惑をかけることはない。水回りも食い物も酒も申し分ないほど用意してあって確かに気兼ねはいらなさそうだけれど。
「…本気にしたんだ」
「……冗談にするかい?」
薄青い目で見透かしたように揶揄するのと、逃げ道を用意してくれるのと。寝室への扉にもたれかかって。どちらでもいいと無言で選択肢を差し出す。ずりぃなァと思う。いかがわしい場所にひとを連れ込んだ男の態度じゃない。こういうのは有無を言わせたら駄目なんじゃないか。
「……何で」
「おまえは、この手の冗談は言わねェよい」
馬鹿みたいに。突っ立って。何だっけと思う。これって、笑いたいような、泣きたいような。冗談にしてくれよと。本気でとらないでくれ。ガキの戯言だと一蹴してくれ。でなきゃ、色惚けしたオッサンらしく、したり顔で鍵をかければいいだけなのに。
あんたとおれは、タイミングと相性で寝ているだけで。互いを捌け口にしているだけで。
でもそんなことは言い訳だってもうわかっていて。でもそこに踏み込まないのが暗黙の了解だったはず。だから、冗談めかしたけれど冗談ではなくて。酔った勢いでも駆け引きでもなくて。でも冗談にしたくて。流されて、どこかでほっとしていた。のに。
「、おれは」
「エース」
言おうとしたことが、遮られてわからなくなる。壁にもたれていた背がふ、と離れて、息を呑む間に近づいて、するりと止まる。平静に話すには近すぎて、睦言を囁くには遠い距離。
「…おまえと、うんざりするぐらいやりてぇな」
半歩だけ離れた近さで、あるいは遠さで。低い、抑揚のない、そのくせ優しい声が呟く。
「おまえが飽きるまで、もう嫌だって泣くまで、…おまえが観念するまでやりてぇな」
まるで頭の悪いおっさんみたいに。馬鹿みたいなことを。馬鹿みたいに軽い調子で。こいねがう眼差しで。
己も、こんな目をしていたのだろうかと。
「…あんたと、誰にも気兼ねせず、うんざりするぐらいしてぇな」
「…あァ」
伸ばした腕はすぐに届いて。伸ばされた腕が背に回る。込められた力に、押し出された息を陶然と吐く。耳元の体温。布越しの互いの鼓動。あふれる。あふれて止まらなくなる。
「ここ…、いつまで押さえてんの」
「…。丸一日」
「足りるかな」
真顔で言ったら、冗談は勘弁してくれとうそぶかれた。




腹いっぱいに飲み込んだ肉を内臓が涎を垂らしながら咀嚼する。歯が。生えてなくて良かったと男が呟く。何それ、合間に問えば答える。ヴァギナ・デンタータ。世界中のさまざま伝承に共通するひとつの恐怖。あるいは愉悦。最中に喰いちぎられることへの。物を、食べるという行為と性行為があからさまに直結するということ。原初の。最も基本的で獰猛なふたつの欲求。嗤う。肩を引き寄せて歯を立てる。齧りつく。気兼ねなく痕をつける。噛み痕も爪痕も好きなだけつけていい。己の噛み癖を知っている男がからかい混じりに言うから、歌うように返す。ならあんたも好きにすればいい。鬱血痕でも扼痕でも縄目でも、遠慮せず。…そんな趣味はねェなぁ、勤勉に動きながら生真面目に考え込むからまた笑う。笑うと余計に喰い絞める。おれはあんたを縛ってみたいかもと告白してみたら、また今度なと返された。今度今度と忘れないように呟いて降りてきた唇とキスをする。深く。咬合する。歯と歯をぶつけて。唾液を啜ってぐちゅぐちゅと音をたてながら舌が溶けあうまで絡める。この舌を噛み切って。溢れる血と再生する炎を味わってみたい。本当は。離れた唇を惜しんで舌舐めずりしたら、笑みを刷いたままの口元が頬に触れて、眦に触れてそのまま何の躊躇もなく眼球を舐められる。吃驚して閉じた瞼の上からもう一度なぞられて震える。耳元で低い声が喰いたいのはおまえだけじゃねぇと囁く。震える。震える。何もかもが振動になって背筋を這って下腹に溜まる。溜めこんだ熱を掻き混ぜられる。自ら脚を開いて引き寄せて。喰っているのか喰われているのかもわからず貪り尽くす。食っても喰っても満腹にはほど遠く。渇いた喉に海水を流し込むような。あるいは食べようとした途端何もかも石くれに変わる罰を受けているように。もっとと強請る。もっと。もっと。もっと。何もかもわからなくなるまで。

折り曲げられてたたまれて、伸ばして回して引っくり返されて別のものに変えられていく。

ぎりぎりまで射精を引き延ばされて罵って暴れて喚いて許されず泣きながら身も世もなく懇願して赦されず堰き止められた快楽に気が狂うかと思う寸前でぱちんと回路が繋がる。内側だけで感じる絶頂は一瞬の浮遊と長い墜落。すべての感覚が官能で飽和する。叫びながら渦を巻いて落ちる。白い光と暗転。意識を失うという限りなく死に直結した愚かしい状態に落ち込むことを止める術もないこと。無防備に男の目の前に曝す。恍惚に自制を手放し己と男の体液に塗れた浅ましい身を投げだす。小さな死。短い深い完璧な眠り。屍体に口づける奇特な男の気配で生き返るまでの。こめかみに落とされた体温と頭を撫でる手で目をさます。してやったりと笑っているから、無性に腹が立って蹴り飛ばす。何してくれんだい馬鹿野郎。そりゃこっちの台詞だエロオヤジ人の体勝手に開発しやがって。船の上じゃあできねェからな。悪びれもなく。背を撫ぜられて跳ねる。常に倍する官能に呻く。触れられただけのところから漣が幾重にも拡がる。剥きだしになった神経が過剰に刺激を受け取る。痙攣する肉が暴露する。獣の本性。このまま。このまま欲しい。腰骨をなぞる男の掌のかさついた感覚。内腿に吸いついた唇の厚みと無精ひげのざらつく感触。びくりびくりとひきつる。男と触れる全ての皮膚と粘膜が感覚器を揺らし神経を揺らし細胞を揺らし増幅されて脳みそを揺らす。体の中から炙られる。縋るものを求めて伸ばした手に指が絡む。固く。絡みつく。五指を結ぶ。甘く。ほどけないように固く。そこから流れ込む鼓動が揺れている。馬鹿みたいに速く高く自分の心音みたいに。空いた片手で男の髪を掻き混ぜる。いとおしい、という想念は心が反芻する前にかき消える。夜は長いと呟かれて笑う。笑う。

欲情する男の眼は、薄い青がわずかに色を濃くして、そこだけが獣のように炯炯と暗闇に光る。

後ろから抱え込まれて大きく脚を広げさせられて真ん中を下から貫かれる。膝をすくう手も重なる背も胸も繋がったところも汗と精液でどろどろにぬめって跳ねる身体を抑えつける男の指が皮膚に食い込む。殊に何度も中に注がれたところは男が揺すり上げるたびにこぼれあふれ出し繰り返し繰り返し厭らしい音をたてる。一際大きく突き上げられて嬌声をあげて中で達する。何度目かわからない絶頂に崩れ落ちる。息をつくまもなく、勃ちあがったままのものを擦られて啼く。締め上げてよじれる。与えられるだけ与えられる。視界が明滅する。耳元の追いつめられて低い男の呻きだけが途切れそうな意識を騒然とさせる。臓腑の奥にぶちまけられて。一瞬の、境界を侵される錯覚に射精する。最後の一滴まで絞り出させるように腰を揺らして飲み込んで今度こそようやく脱力する。目を瞑ればそのまま眠りに落ちることができるという確信がある。なのに、ずるりと体を抜け出していく塊の感触を未練がましく追いかける。掻き混ぜられて泥のように溶けた四肢は指一本動かすのも億劫だというのに涙と汗で曇った視線だけが男を窺おうとする。物欲しく。もう。うんざりだとあんたは言うだろうか。もう、数えるのも馬鹿らしいくらい達かされて、枯れ果てるぐらい絞りとってそれでもまだ。まだ欲しいと言ったら。
まだ、足らない、と言ったら。
背にかかる重さ固さ。火照った肉の湿り。どくどくと速い鼓動。何もかもが心臓にくる。飽和して泣きたくなる。うつぶせのまま抱きすくめられて呼吸が止まる。浅ましいと思うにどうしようもできない。
「…エース」
耳朶の奥にこぼされる呼び声、の、その色の名。
「……まだ、足らねェ」
請うように乞うように恋うように。苦しそうに辛そうに愧じるように悔いるようにそのくせ有無を言わせぬ気配を籠めて。
欲しがる以上に欲しがられているという唐突な理解が。
もどかしくふりほどいて向き直る。頬を挟んでいつも隠したがる眼差しの奥を覗き込む。欲情する男の眼は、薄い青がわずかに色を濃くして、炯炯と暗闇に光る。物狂おしく浅ましく、冷静をかなぐり捨てて凶悪に。よく、海や空に例えられる男の眼が限りなく高温の炎の色だと思い知る。その色に淫する。腹の底が蠢く。その眼の色だけでイきそうだった。喜悦。否。歓喜。歓喜。歓喜。何か。こんなときに口にすべき言葉があったような気がするのに。何か。ごく単純で簡単で短い、当たり前みたいな何か。
わからないまま口づける。たっぷりと口内を犯しあって、子どもみたいに額を擦り合わせる。己もだと告げれば呆れたように笑む。たまに本音を見せたと思ったらすぐに余裕ぶりやがって。この感情の名前をあんたはとっくに気付いているだろうに。



食べきれないほど腹いっぱいになれば。飽きるほど貪った後なら。うんざりするほど絞りつくした果てなら。それでも残る、あんたに触れたいというこの欲の理由が言えるだろうか。



先に目が覚めた。男の寝顔を見るのは貴重な機会だった。だから、薄い瞼から青い虹彩がのぞくのをじっと見ていた。
「おはよう」
「…あァ」
「腹が減った」
「………あァ」
眠りの気配を感じさせない仕草で身を起こしベッドを抜けていく。己で追いだしておきながらその素っ気なさに少しだけ悔やむ。投げ出していた衣服を簡単に身に付けた男が半身をひねり、ベッドへ片手をつき、残った手で毛布にもぐったままの背から腰をするりと撫でて、ついでに頬にキスして何事もなかったようにキッチンへ消えていくまでの間だけ。
何だよそれ今までにやられた中でいっとう恥ずかしいよあんたそんなキャラだっけいやちょっと待ってどんな顔でやったんだよ見てねぇよちくしょう。
毛布の中で身悶えていたら時を置かず戻ってきた男の手には銀色のトレイとタワーみたいなハンバーガーとサラダボウルともう片方の手にコーヒーセット。
「…つくったの?」
「まさか。ケータリング」
行儀悪く全部ベッドの上に並べる。もう二往復して卵と腸詰とチーズとバゲットを山盛りと白ワインと新聞を追加して、食えと促されたからいただきますと手を合わせる。
「立てねぇか?」
「おう。でも敵が来たら平気だ」
バーガーの肉を引っ張り出して口に放り込みながら答えたら、何も言わずただ可笑しそうに馬鹿なガキだなァという顔をする。馬鹿にされるのもガキ扱いされるのも好きじゃないのに、その顔は好きだった。
あの後、最中に失神して風呂場で後始末されてるところで目が覚めて掻き出されながらもう一回いかされて本格的に眠りこんでそれが明け方頃だったのは体内時計が覚えていた。今は午近い時間でそれでもあと半日は一緒にいられるはずだった。
男はベッドの端っこで、眠そうな半眼で腸詰を齧りながら新聞を読んでいる。咀嚼したバンズを飲み込んで、腕を伸ばして新聞を奪い取る。抗議のために振り向いた顔を捉えてキスをする。肘を引いて肩を押さえてあらかた食べ終わった食器の間に男を押し倒す。シャツの上から胸をまさぐってしこりに爪をたてる。引き歪む男の眉間をべろりと舐める。
「…立てねェんだろい」
「とりあえず触るだけ。でも腹もいっぱいになったし。別に平気だって言っただろ」
「若ェよなァ…」
「それに昨日あんまり触れなかったし」
あんたの好き勝手にされるばかりで。わざとらしく膨れて見せたら、大きなため息を吐かれる。とんとんと男が自分の首を指差して、そこにくっきりとついた歯型に気付く。犬歯が皮膚を破ってる感じにひどく。一部は紫に変色してる。そういえば、先刻背中にも派手な蚯蚓腫れを見たような。首筋の噛み痕に引き寄せられるように口づけて、ついでにシャツを剥いで他の痕も探す。肩口に同じような傷。右側にひとつ。左側の鎖骨のあたりにひとつ。探すのを止めようと突き出された右の手首にひとつ。掌の側面にひとつ。三本の指の半ばにぐるりとめぐるように痕。そのひとつずつにゆっくり舌を這わす。面倒くさそうな本気でない抵抗を無視して引っくり返して、背を走る引き攣れもたどる。十指が縦横につけた、赤く腫れあがる引っかき傷。何度も。奈落に突き落とされそうになるたびにしがみついた。胸がざわつく。申し訳ないような嬉しいような可笑しいような苦しいような、名状しがたいのにわかりやすい疼き。
「なぁ…」
やろう。そう口にするより先に、反転した男が腕を伸ばす。後頭部を引き寄せられて、キスされるかと思ったら、舌の先が口の端をなめとっていく。ケチャップ、と呟く。そのまま仄笑う。
「…やりてぇな」
朝っぱらから。昨日馬鹿みたいにしたのに。もうそろそろうんざりだろうに。あんたは己が言うことを先回りして言ってくれる。甘やかされて、いるのだろうと思った。でも、先回りされてるのではなくて。昨夜少しだけ見せてくれたみたいに、本当に本心に欲しがられて甘えられているのだったらどれだけいいだろうか、とも思った。抱きついて男の耳元に顔を寄せる。「うん」と吹き込んで、耳朶を齧ろうとしたら途端に引っぺがされた。
「…ただし、先に皿を片してからな」
「えー」
不満の抗議は拳固の一撃で先回りされた。



あらためて脱がせた男のシャツでその両手を緩く結わう。拘束された腕を頭上に投げ出して横たわる身体に乗り上げる。伸ばされた脇から腰の筋肉に舌を這わせて腰骨に歯を立てて新しい痕を残す。されるがままになっている男はだが目を逸らすことなく己の一挙手一投足を見ていて少し居心地が悪い。その気になれば一瞬で解ける束縛を受け容れる男と、わかっていてそれを施す己は滑稽で、何で縛ってみたかったのかなと自問すれば、すぐにどこにも行ってほしくないからと自答が返ってくる。今、このときだけは、どこかに行ってしまう心配などしなくていいはずなのに。男のものを口の中に引き入れて、先刻まで物を食っていた舌は食い物と地続きのように反応しようとする。むしろ味はよくわからないけど食感だけを愉しむ食べ物、みたいに。かたちを辿ってわずかな隆起も舐めあげて掬いとって互いの体液をこぼしながら粘膜で擦り上げる。直腸内も、これほど自在に操れたらもっと気持ちいいことができるのにな。ちらりと見上げたら視線が絡んでどちらの目の色が余裕がないか探り合う。無遠慮に。必死に。合わせ鏡で情欲を増幅する。どこにも逃げ場がないように。逃げようなんてかけらも思っていないはずなのに。後ろ手で支えた男の屹立を自ら宛がえば、昨夜の余韻を残すままあっさりと口を開いて呑みこむ。呆れるほど淫蕩に。呑みこんだ形に拡がっていく内側の従順なざわめき。背を駆け上がるそれをやり過ごして男をとくと眺める。それができるからこの痴態が好きで、それを妨げられないように縛ったのだと得心する。自分からはあまり触れようとしないこの男は、束縛されることで触れないことの言い訳を与えられて安堵している。そして振りほどけるものをふりほどかないことがその言い訳と矛盾していることに気付いている。そのことを知っているから、振りほどけるように縛るのだ。同罪であることを見せつけるように。あるいは、その自覚につけこむように。その意図も正しくわかっているから男は無駄な演技を、例えば羞恥や不快や怯えや、そういった装飾をしない。ただ共犯者の後ろめたさで己の行為を見つめる。そのまるで冷めたような仕草こそが矛盾を孕んで艶めかしい。男の腹に手をついて体重を支えながら唇を舐める。身じろぎしようとする男にいいから動くなよと釘をさせば、喰われる寸前の鳥が諦めたように小さく呻いた。


罪だというのなら、この想いが何も生みださないことこそが罪だった。
想うだけで何ひとつ、さしだすこともできないことが。身体をつないでみたところで、きっと貞操ひとつ返してやれない。



喉が貼りついたように渇いて、手を伸ばして引き寄せたワインのボトルを呷る。すぐに横取りされて同じように直に飲んだ男の口の端からこぼれる液体を舌で舐めとる。後ろ髪を掴んで引き剥がされて合わせた咥内から温んだアルコールと唾液が流れ込む。追いかけて舌と指とが潜り込んできて分け与えたものを奪い去っていこうとする。加減せず噛みついて振り払って壜を奪う。壜を傾けてのけぞった喉に男の歯が喰い込んで嚥下に上下する喉仏を齧る。残り少なくもないアルコールを男の頭の上にぶちまけて、虚を突かれている隙に押し倒す。滴る額を舐めて眦と頬と鼻梁と伝う滴を舐めて、我に返った男がひっくり返そうとするのを片手で全力で阻止してせっかくだから胸筋を揉みながら首から胸元に流れる甘い液体を刺青ごと舐めとる。ふいに舌を刺す苦さは己が男の腹にぶちまけた精液で思わずげぇという顔をしたら、そんな隙を見逃すはずもない男に即座に形勢逆転されて、髪の先からまだ滴を零しながら上から覗きこまれて阿呆と笑われる。優しい顔だった。こんな馬鹿みたいなことをしている最中には不似合いな。反則だと思ったとたんに己の頬に朱が昇って行くのがわかる。耳の先が熱くなって一気に赤面するのを男は不思議そうに眺めていたけど、すぐに破顔した。節の目立つ手が伸びてその甲で頬を撫でられそのまま髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜられる。めまいがするほど混乱して両腕で顔を隠そうとして隠しきれなくて捨て鉢に男の首にしがみつく。自分のかけた酒でべとついた男の肩に熱い額を押し付けて、宥めるように背をさする掌が背を撫で肩甲骨と背骨と確かめていく感覚を追いかける。掌の熱。その固い皮膚。互いに、どこもかしこもあまさず触りあって、さらけ出して、それでも隠したくて、まだ触れたかった。隠したくて、隠したくて、見つかる前に何もかも白状したかった。




「その言葉」をあてはめることをずっと忌避してきた。なぜならそのために捨てられるものなど何一つ持っていないから。それに報いることのできるものを何一つもっていないから。
あるいは、「その言葉」に過剰な幻想を抱いていたのかもしれない。あまりにも遠く手の届かないものだとかたくなに信じていたが故に。




「…あと、どれくらい時間残ってる…?」
「ニ、三時間ってところだ。…少し寝ろ。起こしてやるから」
「うん…」
くっついた身体がひたひたとしていた。さすがにもう精も魂も尽き果てて、腹いっぱいでうんざりで満ち足りて、キスひとつする気力すらない。くっついていても脚の間のものはぴくりともする気配はなくて、それでようやく安堵する。
眠りの靄を追いやって、身を起こす。男の頬を両手で挟む。さらさらした感触が気持ちいい。ずっと触れていたいと思う。

その感情を確かめたかった。何もかも蕩尽しつくした後に残る感情を。


「マルコ」

名を呼ぶ、それだけのことに胸がふるえる。



「あんたが好きだよ」





それを聞いた時の男の顔が酷くて、可笑しくなるぐらい苦しそうで、思わずその頭をかき抱く。動揺した男の髪を掻き混ぜる。胸元にあたる息がひどくくすぐったい。

「あんた馬鹿だな。何もそんな顔することねぇじゃないか」
「エース……」
「知ってたくせに今さらなんだよ。往生際悪ィなぁ」

ことさら軽く、抱えた頭をぱしぱしと叩く。怒りもしない男の声は迷いを含んで低い。

「……おれは、おまえに何かをしてやれるわけじゃねぇ」
「いいんだ。おれが勝手に腹を括っただけだ。…それに、おれも多分あんたに何かできるわけじゃない」
「…エース?」

もう一度引き剥がして、その眼の中を覗き込む。言いたいことも言うべきことも何もまとまっていなかったけど、ただ伝えたかった。

「おれは、愛とか恋とかよくわかんなくて」

誰もかれもが当たり前のようにその言葉を使うけれど。

「好きだって言えばみんな好きだし、特別気が合うって言えばサッチだってオーズだって気が合うし、あんたとやったのも最初は溜まってたからだし。でも、今はあんた以外とは別にやりたいとは思わねぇ。それは他のやつとは違うだろ。今だって、性欲なんざ枯れ果てるくらいやったのに、あんたには心底触れたいと思う。でも、だからって、あんたのために捨てられるものなんて何一つもってねぇんだ」

真剣な顔で黙って話を聞いてくれている男に、胸を衝かれるような気がする。その衝動こそが他の人間とこの男をわけるものだった。それはわかっていた。とっくの昔から気付いていた。でも、それを受け容れる術が己の中になかった。

「ふつうはたぶん違うんだろう?好きになったら、そいつが一番で、他には何にもいらなくて、そいつに特別優しくして、そいつのために命をかけたりするんだろう。ずっと一緒にいることを約束したりするんだろう?」

例えば、女房子どもができて船を降りた船員のように。例えば、惚れた男の子を産むために命を賭けた己が母親のように。

「でも、おれはあんたが好きでも、あんたよりオヤジが大事だし、あんたより、ルフィが大事で、あんたがいても、おれはおれの望みを諦められない。
……おれはあんたのためには死ねない」

あんたと天秤にかけてでもほしいものがたくさんある。愛や恋だので諦められるものなどなにひとつもってない。なにひとつ。

「あんたも同じだ。たとえ、おれを少しはどうにか思ってくれていたとしても、あんたの優先順位はかわらねぇだろう。あんたにとっての一番はずっとオヤジで、それからオヤジのつくったこの海賊団だ」

だからこそ、惹かれたのだ。ひとりで一団を率いる力がありながら、他人に従っている。その忠誠と献身。例え、白ひげを失くしたとしても、この男の生涯は白ひげのものだ。ましてやこの男は、白ひげ一人ではなく、かのひとの大事にするものもすべて守ろうとするのだ。どこに己のあいまいな感情ひとつ割り込む隙があるというのだろうか。

「でも」

ふと、笑う。

「…でも、あんたはおれがやばくなったら助けるために命を賭けてくれるだろう。それがおれだけじゃない、他の仲間がそうだったとしても。おれもそうだ。あんたを助けるために命を賭けられる。それはあんたが好きだからじゃなくて、あんたがオヤジとこの海賊団にとって大事だからだ。でも、それなら、もう」



「それなら…もう、恋でいいんじゃねぇかって思ったんだ」

あんたに触れたいと思うこの気持ちひとつ。どこにも落とし処がないなら。
恋だの愛だのそんな戯言で。幻みたいなものでいいんじゃないか。命と人生は別のものに賭けてるから。恋に狂う隙間なんてないから。明日にはもう心がわりするかもしれないから。敵が現れれば欠片も残さないから。己が大切にするものは別にきちんとあるから。

「あんたは変わらないし、おれも変わらない。なら、もう恋でいいんじゃないか。
あんたに触れたいけど、あんたを一番には思えない。でもそれが同罪なら、もういいじゃないか」

どうせ。どれだけ溶け合ったと思っても、錯覚なんだ。なら、混ざりあうことがないのだから。あんたはおれに侵されることはないし。おれはあんたに浸食されることはない。

「…おれも同罪か」
「うん。…だってあんたおれのこと好きだろ?」
「…好きだよい」
「……うん。でも、おれのために何もかも捨てたりはしねぇだろ」
「…たりめぇだ」
「だからあんたが好きなんだ」

こんな感情は知らなかった。ずっと見て見ぬふりをしていた。こんなものはまっとうな人間がまっとうにやるもんだと思っていた。誰かの笑みひとつ、眼差しひとつ、声ひとつで心がこんなに揺れると思っていなかった。誰かの名前を呼ぶことがこんなに慕わしいと思っていなかった。それを自分に認めても良いと思う日が来るとは思わなかった。なにひとつそれに捧げることができないとしても。

「あんたが甘やかしてくれるから」

戯れの言葉をかなえてくれるから。笑わずに聞いてくれるから。好きだと応えてくれたから。

「おれはここで、知らなかったものばかり教えてもらってる」

不意に。きつく抱き締められる。背がしなるほど引き寄せられて息が止まる。肩にのった男の顎がわずかに振動して、吐く息が小さな声がくっついた身体すべてを震わす。

「エース」

誰かに呼ばれる己の名が。こんなにも大切なもののように響くことも。

「少し寝ろ。……起こしてやるから」

低い掠れた声の、顔を見たかったけど抱き締められていて無理だった。でもたぶんきっと想像がつくから、ちょっと笑って、力を抜いてもたれかかる。

「うん。居なくなったりしねぇよな。…あんたいっつもすぐに帰るから」
「……約束したろい。うんざりするまで居てやるって」
「…うん」

心地よい眠りの波が意識をさらっていく。今この瞬間の幸福がすべてだと思えてしまえばどんなにか楽だろうかと思うのに。それだけで充たされるほど無欲にも盲目にもなれはしなかった。それでもこのまるで無条件に与えられるような体熱を感覚しながら、このまま目が覚めなければいいのにと思った。あるいは、目が覚めればこの一日のことを何もかも忘れていればいいのにと。





PR

Copyright © 炎の眠り : All rights reserved

「炎の眠り」に掲載されている文章・画像・その他すべての無断転載・無断掲載を禁止します。

TemplateDesign by KARMA7
忍者ブログ [PR]