火中の栗
覚悟。覚悟など何一つなかった。炎の中に大事な大事なものを落としたら躊躇なく腕を突っ込むみたいに。
噴き上げる炎を抱き締める。瞬く間に服が燃え上がって、皮膚を舐めあげる。絶叫。苦痛と感じるよりも直截に。喉が叫ぶ。意味のない音。叫ぶ。痛い。熱い。ヒトの身体が叫ぶ。激甚な苦痛。極彩色の視界。肉の焦げる臭気。叫ぶ。ショック状態に陥った手足は既に抱擁の形で硬直したまま腕を離すこともできない。叫ぶ。眼球が溶け落ちる。指先が炭化していく。声帯が焼ける。ヒトのまま。意志が灼け切れるその瞬間までは。叫ぶ。意味のない音。ただひたすらその耳元で。
「……マ……コ…?」
炎の塊が囁く。全き業火として、灰ひとつ残さず荒れ狂った焔が揺れる。ふるえる。途切れない叫びに耳を澄ます。
「…マルコ…?」
回した腕の下に、少年の腕のかたちがあらわれる。爛れた腹に背が添う。焼け崩れた顎の下に丸い肩がうまれて、その肩にようようもたれて、既に叫ぶこともできない喉が少しだけ笑う。
「……ェ…」
「マルコ?!」
力尽きて青い鳥に変化した男を、人格を取り戻したエースが抱きとめる。焼き尽くされた周囲には何もない。何も。何一つ。否。遠くでこちらを見つめる心配そうな家族を見つけて、自分のしでかしたことに気付く。気付けば、焼けた肉の匂いが漂っていて、嘔吐感がこみ上げる。膝をついて何度か吐いて、エースは自分を引き止めてくれた鳥を抱き締める。死なないはずの鳥を抱いて咽び泣く。
火中の栗を拾う、という言葉は、今は、「敢えて厄介な役を引き受ける」といった用法で使われることが多いが、元は「滑稽な役回り」の意。
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