大事なはずのものを人に呉れてやってしまうのが男の癖で。エースはどうやらその恩恵だかお節介だか厄介払いだかに与る確率が高いらしい。多色刷りの綺麗な植物図鑑やら細工の細かいペーパーナイフやら珍しい砥石やら、悪くない趣味の、元は結構値の張る物ばかりを無造作に渡されて。捨てることもできずに部屋に溜めこんでいる。だから。いつももらってばかりで悪いから。
「生まれた日?」
「そう」
何か返したいと、軽く思っただけだった。返すなら言い訳があったほうがいいから。
だから、何の気なしに聞いた、だけだった。
「知らねぇよい」
素気ない言葉に、え?と思わず聞き返す。
「なんで?」
「なんでも何も」
「だって自分の生まれた日だろ?」
何で知らないんだ?木の股から生まれたわけでもあるまいし。そう言ったら、いつも眠そうな目が少し細められて、ああ、笑ったんだなとわかる。
「そういうおまえはいつだい」
「1月1日」
「はは、らしいなァ」
反射で即答して、そうじゃないと思い直す。問いに対して問いで答えるのも男の癖のひとつで。それは話題を逸らしたがっているのかもしれないけれど、気になって食い下がる。
「全然わかんないのか?夏とか冬とかも?」
「忘れたよい」
「じゃあ歳は?」
「生まれ年も知らねぇから適当だねい」
そして、歳食うと忘れるんだよ、べつに珍しいことじゃねぇだろうと付け加えた。珍しい、ことではないのだろう。確かに。海の上なんて粗忽でがさつな人間ばかりだから。事情のある人間ばかりだから。過去は詮索しない。それがひとつの不文律で。
でも、
「知らないのか?知ってたけど忘れたのか?」
「…違わねぇだろう。知ってたかもしれねぇが、知らなかったかもしれない。それも含めて忘れたよい」
男の表情はいつもどこか茫洋としていて、いつも、どこまで自分が踏み込んでいるのかわからない。それでも、これが境界を犯そうとする行為だという自覚はあった。
「なんで知らないの?」
おれですら知っているのに。
「おまえはなんで知ってる?」
また問い返されて、思わず胸の内から記憶が呼び起こされる。
「ジジイが…」
五つになったときに、一切合財を教えてくれた。父親が誰であって、いつどこで生まれて、母親がどんなふうに産んでくれたかを。忌まわしい出生の呪いのすべてを。
そこまでは言えなかった。それ以上続かないことを気にすることもなく、ふうん、と男がうなずく。
「じいさんがいたのか。おれは教えてくれるような人間はいなかったねい」
重い瞼の下から、するりと色の変わった目がエースを貫く。酷薄な蒼さ。侮蔑の色。
「羨ましいよい」
聞いた瞬間、カッと頭に血が昇るのがわかった。羨ましいだなんて言葉、己の過去も生い立ちも何も知らないくせに。反発しかけて、はたと気づく。一瞬で羞恥で目の前が赤くなる。まるで、自分が最も不幸だと言わんばかりの憤り。それを、完全に見透かされていた。
「エース、おれの生い立ち程度語ってやる分にはかまわねぇがな」
うってかわって、ゆるりと人を食ったような笑みを浮かべる。
「生憎、不幸自慢なら負けねぇよい」
(俺たちは嫌われ者だから)
あのとき、浮かべていた笑い方と一緒だと気付いた。恥ずかしくて穴があったら入りたくて、逃げる場所もないからただうなだれる。
「そんなつもりじゃなかった…」
ただ、あんたのことが知りたかっただけだ。
喉元まで出かかった言葉を呑みこんだ。
不幸を較べる気持ちがなかったのかと言われれば否定できない。ましてや、相手の不幸が自分より軽ければなお良かったのだと、そうどこかで思っていたことに気付かされてしまった。
「ごめん」
でも、本当に、最初はただ、この男に何かを返したかっただけなのだ。
「エース」
「ごめんなさい」
「阿呆。もういいよい。何が聞きたい。知りたきゃいくらでも答えてやるよい。覚えてねぇけどな」
「……覚えてねぇの?」
「物心ついた前後の記憶が全部すっ飛んでるだけだ。だから、生まれた場所も知らねぇ。見た目から南じゃねぇかとはよく言われるけどな。おまえはどこだ、エース」
「…サウスブルーの、小さい島だって聞いた」
「なら案外近いのかもな。でもおまえあんまり南っぽくねぇよい」
「…東の方が混ざってるから。そっちのが近いって言われる」
「南じゃあ1月1日は夏だろい」
「そのはず。すぐに場所変わったらしいからあんまり生まれた所は知らないんだ」
「お互い知らねぇことばかりだな」
「はは、そうかも…」
男が、エースを甘やかそうとしているのがわかって、ちょっと可笑しくなる。おとうとを、叱った後で慰めるみたいに。それは昔自分の専売特許で、でも人からされるとこんなにわかりやすくて見え透いていてくすぐったいものだとは知らなかった。
「あんたに、何かあげたいと思ったんだ。いつももらってばかりだから」
素直にすとんと言葉がでた。
「ここは、変な海賊だから、誕生日とか言ってもおかしくないだろ。誕生日がないならあんたの好きな日でいいんだ。あんたがほしいものをあげたくて」
ひょいと片目だけ器用に開いて、マルコがエースを見つめる。少し黙って、考え込むように視線がそっぽを向く。そうか、と呟いて首を掻く。
「なら、おまえがおれにくれ」
「?何を?」
「何日だ?」
「え?」
「何日だ?」
「今日?今日は10月5日だけど」
「じゃあそれをくれ」
「へ?」
「切りも悪くないし覚えやすいよい」
「え?え?」
「くれるんだろい、プレゼント。おまえからもらった日でいいよい」
「…え?」
混乱するエースをよそに、「お、いいところに居やがる」とマルコが軽く手をあげる。通りがかったサッチが気付いてひょいひょいと近寄ってくる。わけのわからないエースとそっぽを向いたままのマルコを見比べて、いつもにんまりしている顔がさらににんまりする。
「なんだなんだ、何か楽しいことか」
「今から今日がおれの誕生日になったよい。祝うからセラーにあるとっておきをよこせよい」
「ん、なんだ、宴会でも張るか」
「大袈裟なのは要らねぇ。親父に報告するから、ついでに飲むだけだ。隊長格だけで十分だろい」
「了解っと。ジョズと、イゾウがたまたま来てたから声かけとくわ」
「けちるなよい。いいやつ出せよい」
「めでたいんだろ。任せとけよ」
「ちょ、ちょっと待てよ!」
当たり前のように進んでいく段取りに、ようやく割り込む。
「何で?何でそんなことになってんの?!」
「何って、マルコの誕生日が決まったから祝おうって話だろ?」
「決まったって、だってそれおれが適当に言っただけの日だって!」
「そうなのか?べつにいいだろ。いつもこいつ適当な時に混ざってるばかりでよ」
「だからって、もうちょっとましな決め方があるだろう?!ちょっとマルコ!!」
あいかわらず、あらぬ方向を向いたままの鳥男がしらっとうそぶく。
「なんだよい。今さら返せって言われても返さねぇぞ」
「いや、返す返さないじゃなくて」
マルコがほしいものを、マルコの大事な日にきちんと渡したくて。こんないい加減なやり方じゃなくて。何でそれがわかんないんだよと頭にくる。
「おれはあんたのほしいものが知りたくて、それをちゃんとした日に渡したいだけなんだ」
ぶはっと隣でサッチが吹き出す。何だその熱烈な告白は!!言われて目を剥く。「告白」なんて単語の響きに動揺して顔が赤くなるのがわかって、本当にそんなことはないのに焦って違ぇよと噛みついたら、横を向いていたマルコの肩がふるりと大きく揺れる。
「だから両方もらったよい」
耐えきれないと、口の端がほころぶの見て、マルコが笑いをこらえていたのだと知る。まったく、性質悪く、隠していた笑みをこぼれさせる。
サッチとエースと空を見て、くしゃくしゃになって笑った。
「今日がおれの生まれた日だ」
PR