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the Order 4

 
 
 
大きな戦闘があった。
相手は中堅の海賊団。ガレオン一隻、キャラック二隻の船団と能力者を二人を擁し、トータルバウンティンは五億超。一年ほど前から白ひげの海域を荒らし始め、機動力が高く逃げ足が早いため何度も煮え湯を飲まされて来た。その隠し港を発見したのが三か月前。丹念に補給を封じ、戦力を削ぎ、退路を塞いで追い込んだのが先日。こちらは総攻撃の手筈を整え、相手は罠を張り巡らせ待ち受ける。それまでの簡単に蹴散らしてきた連中とは違う、なかなかに骨のある海賊。エースにとっては初めて経験するだろう、「新世界」の海賊団同士の衝突。
それでも怖れるほどの相手ではなかった。隠れ家をおさえ補給路と退路を絶った時点で勝敗はほとんど決していたはずだった。侮りはしないが、よほどのことが起こらなければ負けはしない。白ひげ海賊団の敵ではない。
それは誤った判断ではなかった。しかし、マルコが読み誤ったのは敵の戦力ではなかった。結論から言えば、その日の戦闘は最悪のものになった。
 
負けるとわかった戦をやる馬鹿はいないというのが白ひげ海賊団一番隊隊長の持論で、だから、いくつもの策を弄し敵の逃げ場をなくし、できるだけ有利な立場で戦端をひらいたし、だからこそ自らの強さを過信し敵を侮るつもりはない。負けるとわかっている戦をやる馬鹿がいないなら、敵手も相応に勝てる算段をしてくるはずだと。そう呟けば、すぐにサッチあたりが絡んでくる。そんな粘着質な考え方すんのはてめぇだけだと。逃げられなくしちまえば、こっちのもんだ。向こうさんは今頃破れかぶれさ。追い詰められたヤツってのは確かにやべぇが、うちにゃエースもいる。いっそ派手にお披露目といこうじゃねぇか。
近海には確かに海軍の監視船も居て、ここで暴れれば"火拳"が白ひげに入ったという噂を裏付けることになるだろう。どのみち隠しているわけでもない。見せびらかすなら派手にあざとくというのにも異論はない。だからエースの小隊は最前列に配置している。出し惜しみする気はない。
そんなあけすけなやりとりを、エースは聞こえていたかもしれないが、気にかける様子はなかった。大きな戦を前にした普通の海賊のような、自信と昂揚に満ちていた。自分だけは死ぬはずがないという不遜をまとって、あるいはこの世の最後かもしれない軽口を叩く。小隊の部下と同隊の長たちの中心で、一番の新参が一番の真ん中で、いっそ傲岸と笑っていた。
エースは白ひげ海賊団に十分に馴染んでいる。知らぬ人間が見たら誰でもそう言う、まるでそのままの光景に、舌打ちしそうになってマルコは目をそらす。だから、マルコは少しだけそれに気付くのが遅れた。
視界に入り始めた敵船の影。その旗を見てエースが顔色を変えたことに。
 
「あの旗……」
エースの呟きに、最初誰も注意を払わなかった。それまでの不遜さから一転、呆然した声が「嘘だ」とこぼす。おもむろに船縁から身を乗り出し、遠見の利く目を限界まで見開いて、近づいてくる船を食い入るように見つめる。
「あの旗、何だよッ!!」
誰に問うでもなく繰り返された言葉が、不意にきつい苛立ちを帯びる。
「なァ!何であんなもんがあるんだよ!!」
一瞬で沸きあがった不穏な気配に周囲がざわめく。エースの変調に気付いた仲間が、理由もわからないままとっさに押さえる。呼びかける声を遮って少年が叫ぶ。激昂と呼ぶに足る爆発。誰かれ構わず胸座を掴みあげる。不運な人間が目を白黒させる。問い質す。制止する腕を振り払う。
「何で、あの船があの忌々しい旗を掲げてンだ?!あれは…!あの印は!!」
指差した先に翻るジョリー・ロジャー。確かにそれは異様だった。その旗を掲げる船は遥か昔に消えたはずだった。かつて世界中の海を席巻した、その絶頂で。
海賊王ゴールド・ロジャー。
その意匠を中心に据え、永遠を現わす捩じれた円環を加えた海賊旗の意味するところは明らかだ。本当は、誰の目にも。
 
「『海賊王の末裔』」
威嚇する獣が全身の毛を逆立てるように、エースが振り向く。まるで、それを伝える者こそが憎いとでもいうように。
「…奴等はそう名乗ってるよい。本当か嘘かはしらねぇが、」
人波を割って入ったマルコが何でもないことのように応える。
「血を引いたモンがいるって噂も、元一味だった奴が乗っているってぇ噂もあるが、」
エースの殺気が一段と濃くなるのがわかる。こういう役回りばかりを振られることにマルコは心底うんざりする。猛獣係じゃねぇよいと内心で呟きながらつとめて冷静に言い聞かせる。
「海軍の連中が放ってンだ。信憑性は薄いよい」
奴らロジャーのこととなると、目の色変えやがるからな。
動揺を隠さず肩を揺らすエースを横目で見て、何の因果があるのだろうかとちらりと思う。エースがここまで激情をあらわにするのは、白ひげと正対したとき以来ではないか。海賊王に恨みのある人間は多いが、親兄弟が殺されたにしても若すぎる。海賊王が死んだ時この少年は生まれてもいなかったはずだ。
「何にしろ、ムナクソの悪い連中だよい」
それはマルコの本音だった。エースだけではなく、周囲に集まる仲間をぐるりと見渡す。この船と海賊王の船の因縁を知る者はもう多くない。若い連中は伝え聞くだけだろう。あえて語りもしない。それはいつか「伝説」として耳に入る。既にその類の物語だ。
「オヤジも容赦するなと言った。遠慮はいらねェ」
檄を飛ばす。あの旗の印に怖気づく者は少なくとも古参の連中にはいない。若手の動揺は織り込み済みだ。エースが動揺するのは予想外だったが、逆に言えばエースが落ち着けば、若手も落ち着く。それだけの影響力をすでにエースは持っていた。
「海賊王を僭称する奴らにホンモノの力をみせてやれよい」
鬨の声を上げて応じる仲間の声に、エースがだらりと力を抜く。表情の抜け落ちたその顔を、マルコは読み違えた。血気はやる周囲を見て冷静になったのだと思った。エースを前線から外すことをしなかった。それが最悪の選択だった。
その海賊団が本当に「海賊王の末裔」信じていたのか、その威光を利用しようとしていただけなのかは、もう、わからない。どちらにしろ起こったことはひとつだ。
 
エースが暴走した。
 
 
 
 
 
 
戦はセオリー通り、砲の撃ち合いから始まった。数か月にわたる封じ込めと、数度の中規模の襲撃を経た今、敵の砲弾は尽きかけている計算だった。港の砲台をひとつひとつ丁寧に潰しながら、間遠になっていく砲の隙間を縫って、足の速い小型艇が数人の突撃要員を載せて港に突っ込んでいく。
エースの小隊はその先頭のひとつだった。賞賛すべき速さで敵のただなかに乗り込んでいくエースの、振りかざした両手が炎に変わる。炎の槍で小型艇を狙う砲手の数人をなぎ倒す。仲間の歓声。先陣を切った栄誉はエースのものだ。浜で船を捨て、迎え撃つ銃口に躊躇もなく襲いかかる。水際だった戦いぶりは見事の一言だった。しかし、安心して見ていられたのもそこまでだった。
上陸した部隊の役割は、まずはまだ生きている砲を潰すこと。後続の上陸地点の確保。開戦前に何度も確認させたその単純な指示をエースは放り出した。
目の前に立ちはだかるものすべてを蹴散らしながら、エースが中央突破を始めたという報告をエースの部下から受けた時、マルコは自らの見通しの甘さを呪った。様子がおかしかったとき、下げておくべきだった。エースの能力を外すことを惜しんでしまったのは本当で、事実エースは単身で敵の中央を切り裂きながら進んでいるという。
しかし、ここは新世界だった。敵の擁する能力者は二人。覇気を使える人間も必ずいる。ロギアの能力だけで突破できる相手ではない。進撃が止まれば、敵中に孤立する。海楼石入りの網でも投げられれば終わりだ。
前線を統括する四隊の隊長から連絡が入る。走りながらエースが叫んでいる。ロジャーの末裔は誰だと。敵の大将が挑発に乗った。ヤベェぞ、と。
マルコは舌打ちをひとつして、電伝虫を彼の副に押し付けた。せっかくの計画が無茶苦茶だと歯噛みする。ばさりと炎の翼ではばたく。敵のど真ん中で敵の総大将を迎え撃つ馬鹿を拾えるのは、多分マルコしかいなかった。あの餓鬼帰ったら説教だよいとぼやいて、それでもその時は、突出した馬鹿をひとり拾い上げる、ただそれだけのつもりだった。
 
 
エースは船の上では力を抑えざるを得ない。それは本当だ。炎の能力者は海の上では自らの足元を燃やせない。そのくせエースは戦闘となれば容赦なく力を振るう。ひやりとする場面も多く、だから「無謀」だの「死にたがり」だのと言われた。それでも、その力はある程度制御されたものだった。それが陸の上で初めて分かる。
マルコが上空に達したとき、戦況は混乱していた。少しずつ拡大するはずだった前線は広がりきって、エースを援護しようとする部隊が敵深くに切り込もうとして激しい戦闘になっている。飛翔するマルコを見つけた地上の小隊長クラスが、マルコの意図を察して突出した部隊を引こうと動き始める。それを見定めてマルコはスピードを上げる。
エースは味方をはるか後方に置きざりにして、敵のど真ん中にいた。炎の壁で敵を分断し包囲されるのを防ぎながら、敵の船長と対峙している。何を話しているのかは聞こえない。エースが「ゴールド・ロジャー」に見せた執着を思えば、下手に会話させるのは得策ではない。すぐに引きはがすつもりで降下の体勢をとった。
エースが眼下で右手の拳を掲げた。鳥の耳が気圧の変化を察知した。――――二つを結びつける前に、地上で巨大な炎が噴き上がる。
一瞬のことで捉え損ねた。エースの掲げた掌の上で、紅蓮の火球が膨れ上がる。かつて見たこともない巨大な塊が、腕の一振りとともに渦を巻いて周囲に襲い掛かる。瞬く間に敵を取り巻き、一斉に高い火柱を噴き上げた。
地獄絵図に変わった光景をマルコは上空からもっとも正確に把握するはめになった。炎に巻かれた人間が燃える地面に転がる。エースの炎は、エースの身から離れればただの炎だ。エースが制御することはかなわない。しかしエースがそれを繋いでいる限り、炎はエースそのものだ。その意志で踊り、その感情を映して火勢を増す。振り払うことも消すこともかなわない。エース自身を糧に生まれる炎は、対象を燃やし尽くしたとしてもなお轟然と燃え続ける。
それをどこまで自らのものとして繋ぎ続けられるか。それがロギアにとっては能力の強さを測るひとつの尺度になる。
エースの左手が挙がる。一度目を上回る火球が生まれる。赤々とした輝きがエースの歪んだ笑みをあからさまにする。叫んでいた。笑っていた。獣の咆哮が地を揺るがす。薙ぎ払う。半ば炎に溶けた腕が踊るように天を差し招く。渦巻く火炎がそれに応えて、天を焦がさんばかりにごうごうと燃え盛る。
何万もの火の粉を引き連れてエースは全身を炎に変え走り出す。腰のナイフ一本を抜き払い、覇気で炎熱を耐える敵大将に斬りかかる。合わせた刃が火炎を纏う。わずかな拮抗の末、エースの制御されない覇気が敵を呑み込む。呑み込み、喰い千切りズタズタに引き裂いて炎があふれる。灼熱の波が捩れて踊る。
絶叫をあげて人間が燃え上がる。腕を振り回し、掻き毟り、狂ったステップを踏んで踊る。ぶすぶすと立ち上る煙が悪臭を放つ。焼死は最も苦しい死に方の一つだと言われる。意味をなさない断末魔の叫びが、一つだけ明瞭な言葉をつくる。それだけはマルコの耳にも届いた。「悪魔」、と。
エースが哄笑する。喉を晒してげらげらと嗤う。人間を消し炭に変えて笑う。笑うエースの身のうちからごぼりごぼりと痙攣するように業火があふれ出す。
不意に、ドンッと大気が音をたてて震えた。
エースを中心に渦巻いてた炎が一気にその範囲を広げた。そのまま何もない中空で噴き上がる。かつてないほどに広がった紅蓮が歓喜をあげて波打つ。その内側にあるすべてのものはもちろん、大気そのものを燃やし尽くすように。
キルゾーン。言葉通りの光景が眼下にあった。敵も味方もない。並の人間なら炎に焼かれる前にその高温に耐えられない。喉と粘膜をやられ呼吸できずに斃れてゆく。蛇のような炎が人体を這い、貪欲に食い尽くしていく。逃げる人間の裾に絡み炎獄と引き倒す。
エースは既に敵を見ていなかった。狂ったような哄笑は止まり、なかば炎に崩れた顔がただ茫然と天を仰ぐ。意志のごっそりと抜け落ちた目とは逆に、炎はますます怒り、嘆き、苦しげに身を捩る。
それを上空から見下ろしてマルコはもう一度舌打ちした。炎が起こす上昇気流が飛翔を妨げる。この状況では気にするべきは、エースより味方の部隊だった。エースが突出していたのが唯一の幸いで、突如生じた火炎地獄から離れようとする白ひげの兄弟たちを援護するために高度を下げる。
低空を旋回するマルコを捉えて、エースの視線が反応する。つられるようにぐるりと頭をめぐらせて、何の感情も浮かべないままふらりと右手を掲げる。
それは多分、動くものへ反応しただけのはずだった。それを証拠に生じたのは天と地を結ぶような火柱だったが、炎を切り裂いて降下するマルコには、それは溺れる者が助けを求めて差し伸べた手に見えた。
 
覚悟。覚悟など何一つなかった。炎の中に大事なものを落としたら躊躇なく腕を突っ込むみたいに。
 
噴き上げる炎を抱え込む。獣化を解けば瞬く間に服が燃え上がって、皮膚を舐めあげる。焼けた肉が青い炎と化し、癒えた端から紅蓮の炎が這う。覇気で鎧っても喉が焼けるほどの熱。叫ぶ。耐えがたい苦痛に恥も外聞もなく絶叫する。それでも完全に獣化することなくただひたすら人間の腕でエースを引き寄せる。
馬鹿なことをしているのはわかっていた。引っ掴んで海の上で落とせばそれで済むはずの話だった。好き好んで焼かれる理由などなかった。否。理由ならあった。人も炎も定かでないエースの頭を手繰り寄せる。焼け爛れては再生するせいで覚束ない掌で、炎とも黒髪ともつかないものを掻き混ぜる。眼球が炎に炙られて再生する。唇が火膨れて爛れては再生する。エースを見ているのが鳥の目なのか人の眼なのかすでにわからない。叫んでいるのが人の声なのか鳥の声なのかすでにわからない。ただエースの名を呼んだ。人の意志が焼け切れるその瞬間までは。
 
――――甘やかしてやると、約束した。
 
 
 
 
 
「……………ァ……」
 
 
――――轟々たる炎の唸りの奥に耳を澄ます。
 
 
「…………ァ……コ…?」
 
 
炎の塊が囁く。全き業火として、灰ひとつ残さず荒れ狂った焔が揺れる。ふるえる。
 
「……マ…ルコ…?」
 
掌の下に、少年の頭のかたちがあらわれる。腕の中にしなやかな背が添う。青い羽根を噴く顎の下に少年の丸い肩がうまれて、その肩にようようもたれて、マルコは既に叫ぶこともできない喉で少しだけ笑う。
「………、ェー…ス……」
「マルコ…?!」
力尽きて全身を青い鳥に変化させた男を、人格を取り戻したエースが抱きとめる。
完全な人の腕に支えられても、既に存在しないはずの苦痛の残響に体が動かない。意識が急速に濁るのを自覚する。人間は苦痛を受けたという錯覚だけで死ぬことがあると言ったのは誰だったか。
 
「マルコ!!」
 
初めて聞いた声だと思った。
遠くなる意識が雷に打たれたように覚醒する。エースは焦っていた。悔いていた。恐れていた。取り繕うすべもなく動揺するまま、その心のすべてを向けられていた。それがわかった。
無防備の、むき出しの。もっとも傷つきやすいやわらかい部分をさらして、エースがマルコの名前を呼ぶ。損な役回りだった。魅かれないことなど不可能だった。その内側に触れたかった。
 
「マルコっ…なァ、あんた、何で…!」
 
エースの感情の揺れに再び炎が揺らめく。まばたきすれば衝動はすぐにかき消える。
いまだ燃え盛る炎と、遠くで呼び交わす白ひげの仲間。もうろうとする鳥の頭をぐるりと見渡してひとつ溜息をつくと、マルコは覇気を込めた渾身の足刀をエースの首筋に叩き込んだ。
 
 
 
 
 
 
エースが数時間の短い強制的な眠りから目覚めたとき、戦闘は既に終わっていた。目を開けた直後、ものすごい勢いで身をおこし、マルコに掴みかかろうとするから、手にした本の背を脳天に振り落とす。いちいち覇気つきでやらないといけないのが面倒極まりない。
「落ち着けよい」
「………あんた、死んでなかったのよ」
少し前の素直さが嘘のように生意気な元のエースだった。寝起きそうそう憎まれ口が叩けるのなら心配してやる必要もあるまい。もう一度今度は本の表紙で頭の横をはたく。
「あいにくテメェの炎ごときじゃ死にやしねェよい」
戦は結果だけを見れば、短時間での圧勝だった。「海賊王の末裔」を名乗った連中は壊滅。大将はエースが討ち取り、能力者二人は三番隊と四番隊の隊長がそれぞれ斃した。戦闘で数人の重傷者が出たがいずれも命には別条ない。エースの炎に巻き込まれかけた十数人が火傷を負ったが、こちらも死ぬようなことはない。一番の重傷者はあるいはマルコだったかもしれない。おかげで後始末を免除されてここでエースを見張っていられる。
「…あんたの、肉の焼ける臭いが確かにしたのにな」
「旨そうで正気に戻ったとか言うなよい」
当たり前だがマルコには既に火傷の跡ひとつない。それでも、立ち上がり、本をしまい、グラスに水を注ぐ一挙手一投足をエースがじっと見ている。口とは裏腹に心配されているらしいと思うのは虫のよすぎる考えだろうか。
「おれ、…何でここにいンの」
ふと、ようやくエースはここが一番隊隊長の私室だということに気付いたらしい。途端にいたたまれない様子で抜け出そうとするのを手にしたグラスの底で小突く。
「医務室はテメェが焦がした連中で手一杯だよい。…なに、死んじゃいねェ。ケツを炙られたぐらいだよい」
黙って俯いたのは後悔であれば良いと思う。そう思って、エースの表情ひとつを窺っているのは自分のほうだとマルコは呆れる。まったく、形無しだった。こんな場面をほかの口さがない連中に見られたら、何を言われるかわかったもんじゃない。
「…それと、事情聴収だよい。命令違反と独走のな」
音もなくエースの壁が高くなるのを察して、マルコは溜息をつきたくなる。四番隊隊長の私室にでも放り込んでやればよかった。彼ならこの手のことは、なあなあで、なし崩しにしながらも大概上手くやる。
「あの連中に何を聞きたかったんだよい」
「別に」
「ゴール・D・ロジャーに恨みでもあるのかよい」
「あんたには関係ねェ」
木で鼻を括ったような返答に、揶揄で返す。
「ニセモンに踊らされて暴走した馬鹿が言うのかよい」
予想通り、かっと頬に朱を上らせたエースが噛みつく。こういう挑発を受け流せないのを若さだと思っていたが、そうではなく、本当はもっと根が深いものなのかもしれない。
「そんなん戦ってみねぇとわかんねぇだろう?!」
「あれは違うって開戦前に言っただろい」
「…何でそんなことがわかるっていうんだよ!!」
「わかるさ。オヤジが言うんだ間違いはねェ」
『ロジャー』んトコとはうちが一番戦ってたんだ。わからねェワケねェ。
虚を突かれたようにエースが黙り込む。戸惑う気配が怒気を散らす。それも無理はない。マルコの声の響きに『ロジャー』への侮蔑はない。白ひげ海賊団がゴール・D・ロジャーを語るのを聞くと、大概の人間は戸惑う。
「敵だろ。恨んでねぇのかよ」
「恨むも何も、二十年前の話だよい」
「あんた、ムナクソ悪ィって言ってた」
「そりゃムナクソ悪ィよい。あんな似つかねぇ小物に名乗られりゃ、うちの名折れだ」
「…敵だろ?」
「敵だよい。偉大な敵だった」
言葉をなくすエースは、途方に暮れているようだった。単純にゴール・D・ロジャーを憎んでいる―――それは、白ひげ海賊団の中にも本当は確かに存在する―――人間の反応ではなかった。
「…探してるヤツでもいるのか?」
「いや…」
茫然としていたのはわずかな間で、エースはすぐに元のふてぶてしさをとりもどした。
「あいつら、何も知らなかった。あんたの言うとおり偽物で、名をあげたいだけの奴らだった」
不遜に吐き捨てる。「そんな奴らに言いように利用される名前なんざクソだ」
「エース、」
再び問おうとしたマルコをエースが遮る。
「悪ィが理由は言えねぇ。罰があるってんなら、なんだって甘んじて受けるさ」
ばさりと上掛を払って、危なげない足取りで立ち上がる。わざとらしく首を抑えて痛てぇとぼやきながら、ニヤリと笑って見せる。海賊らしく不敵に、何があっても喋らないと態度で示す。
懐かねぇなぁと思う。垣間見えた罅割れをすぐに覆ってしまう。そうすれば、こちらはもう、一番隊隊長としてしか接することができなくなる。
「おまえとおまえの小隊は次の寄港地では上陸はなしだ」
次の港では積荷の入れ替えをする。二週間は寄港する予定だ。目の前に陸を拝みながらの二週間は長い。部下にまで累が及ぶ方が、エースには罰だろう。眉をしかめた男に、ついでのように告げる。
「一番隊の隊長・副隊長クラスも連座だ。監督責任ってもんがあるからねい」
恨むよいと笑ってやれば、苦いものを噛み潰したような顔をする。
処分に不服があるかよい、と問えば百面相をして何かを言いかけて止めて、そっぽを向いてぼそりと呟いた。
「変な海賊」
「違いねぇ」
思わず愉快な気分になる。ハハッと声をあげて笑えば、舌打ちしたそうな風情で睨まれた。
憤然と出ていく黒猫の、尻尾を掴むぐらいのタイミングで声をかける。
「二週間で、」
半ば部屋を出た背が振り向く間を与える。
「覇気の『は』の字くらいは教えてやるよい」
目を丸くする少年を、扉を閉めて追い出す。錠を下して、外で何か騒いでいるのを無視する。客分のいなくなったベッドを眺めて、本格的にどうやってあの餓えた少年を懐かせようかとマルコは考える。


かくて一番隊隊長は自らを業火の中に投ずることを決めた。
覚悟。覚悟など何一つもっていなかった。ただあの内側をもう一度見たかった。断崖から踏み出す理由はたぶんそれで十分だった。



 
 
 
つづく







 
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