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Half Lacked Hard Luck (トライガン)


 轟音と共に、銀行ご自慢の重々しく分厚い樫の扉が吹き飛んだ。行員も客も賊までも、突然の出来事に度肝を抜かれて立ち竦む。過大な負荷をかけられた扉が、壊れた蝶番をぶら下げてゆっくりと床に倒れこむ。その残響が消えないうちに、逆光の中たたずむ人影が中に向かってのんびりと声をかけた。

 
 
「…………実に楽しそうなことしてますなあ、トンガリさん」
 
蹴りの形にあげた足をそのまま踏み出して、もうもうと舞う砂埃と瓦礫を跨いで、闖入者は―――ニコラス・D・ウルフウッドはサングラスをかけた面に満面の笑みを浮かべた。
その見かけと裏腹であまりに剣呑な笑みに、再び固まる人々の中心で、後頭部やらこめかみやらにやたらと銃口を向けられた男―――ヴァッシュ・ザ・スタンピードが、両手を上に挙げたまま「たはは」と笑った。
 
「…………やっぱり、そう見える?」
 
そのあまりに反省の色のない笑みに、ぶちぶちぶち、と音をたてる勢いで牧師の堪忍袋の緒が切れる。
 
「~~~っっっこんのっクソボケェェェェ!!!!!」
 
そして始まる。狂騒の混乱の怒涛の、――――いつも通りの日々。
 



 
*


 
 
 
銃弾の飛び交う中で会話するのに慣れるためには、いつも二人でいるということが必要であって。
「……オドレ、昨日なんぞオカシナことせぇへんかったか?ナンパに成功したとか、三丁目のジジイに賭けチェスでうっかり勝ってもたとか、バイト先で皿一枚も割らんかったとか」
「……それを言うなら君こそ何か罰当たりなことしなかった?聖書踏んづけたとか、寝る前にお祈りを忘れたとか、黒猫苛めたとか」
「最後のひとつは何やねん」
言いざま、二人同時に、盾にしていたトマ車の残骸を飛び出す。ウルフウッドは左の、ヴァッシュは右の路地に。弾丸が集中したちまち穴ぼこだらけになっていく元・遮蔽物を見ながら、タイミングを計って三発、ついでにため息一つ。
そして、問題なのは、ここが銀行の前ではないということで。
保安官事務所に立て篭もる男たちは、そろいもそろって屈強で、中にはゴテゴテに肉体改造を行っているものもいる。割れた窓や、半壊した入口から撃ってくるため狙いにくいこと甚だしい。
「モグラたたきやで、実際。キリないわ」
「ランチャー禁止」
「ああもうメンドくさい男やなぁ…」
ちなみに射程距離外には、ぐるぐる巻きに縛られて一列に繋がれた銀行強盗のなれの果てが転がっている。ギャラリーも集まり始めている。
「…当の保安官はどこ行ったんや」
「さあ…。人質にはなってないみたいだけど」
「もう、中でおっ死んどるかもな」
ウルフウッドは軽い皮肉で言っただけだった。ので、数メートル離れた路地でヴァッシュがいきなり中腰から立ち上がり、大音声で叫んだのには心底肝を潰した。
「よぉしっ!こうなったら『プランC』だっ!!」
「?!おいっトンガリ!!」
「つーわけで、掩護ヨロシク!!」
勢いよく路地から飛び出すと、撃ってくれと言わんばかりに通りを突っ切って走る。
とっさに弾幕を張りつつ、ウルフウッドは必死で叫んだ。
「『プランC』って何なんやーーー?!!!」


 
*


 
確かに、犬も歩けば棒に当たる式に、ほっとけばトラブルにぶち当たるのが人間台風であるのだが。

 
「いくらなんでも異常や」
「多分、異常なんだよなぁ…」
重傷を負ってはいたが、生きていた保安官を連れてきた矢先に、当の診療所が武装集団に襲われた。
「…今日だけで三回目やで」
「あ、オレ、四回目」
「ハァ?聞いてへんぞ」
「うん。銀行で君と合流する前に、銃砲店でちょっと」
「…。やっぱりどう考えてもオドレの昨日の行いが悪かったんや。ほれ、白状せぇ。今なら拳固でまけたるから」
「それがまた強盗とかじゃなくてさー、いきなり倉庫爆破しようとするからびびったのなんのって」
「聞いてへんな…」
「おまけに昼食にってテイクアウトしたドーナツおしゃかにするし、もー踏んだり蹴ったり」
「オドレの菓子なぞ知ったことかい」
「店主は恨まれる覚えはないって言ってたけど…。あ、そーいえば、お礼にって面白いものもらっちゃった」
「ちうか、弾補充しとったんならワイの分さっさと寄越せ」
先刻とは逆に、建物の中から撃ち返しながら、ヴァッシュの抛る包みを受け取る。
「そー言えば、彼らの手の甲、気付いてた?」
「……揃いの蛇の刺青か」
「うん。銃砲店を襲った人もしていた」
「全部繋がっとるってか。…何で病院なんや?」
「…昨日、チェスをしてたとき、ここの市長が入院したようなことを言ってたかも…」
「………メンドくさいなぁ…」
交替で装弾し、割れたガラスから頭半分だけ出して外を窺い見る。
「…なんか、増えてるような気がするナー…。」
「そもそも篭城は無理やろ。出るなら早いほうがええ」
「そーなんだけどねー」
背後を気にかけながら、ヴァッシュも頷く。
院内にいたのは医者と患者と看護婦と若干の見舞い人。
今は最初に雪崩れ込んできた無頼の連中が、適当に戦闘能力を奪われまとめてふん縛られて、メスをもった医者や点滴台を握った看護婦たちに見張られている。でっかい注射器をもった看護婦のおばちゃんに頼りがいを感じても、彼女らをこれ以上巻き込むわけにはいかない。患者の中にも銃をとる者もいたが、そこはやはり入院患者なので戦力に数えるわけにもいかない。
「…ちうか」
窓からずっと外を見ていたウルフウッドが心底うんざりしたように呟いた。
「なんや、無理矢理引きずり出されそーな気配になってきたでー」
ヴァッシュが問い返す間もなく、大音声のだみ声が響く
『そこまでだーー!!クソ野郎どもぉぉぉぉ!!!』
割れたスピーカーを通したような声がびりびりとガラスを揺らし、ヴァッシュとウルフウッドは思わず耳を塞いだ。声は続けて叫ぶ。
『こぉれを見やがれーー!!人質がどぉなってもいいのかぁーーー?!!』
慌ててヴァッシュが大きく身を乗り出し、ウルフウッドが咄嗟に陰にひきずり込む。ぎりぎり頭上をかすめてゆく弾丸に、今度は慎重に窓の端から外を見やり、ヴァッシュが小さくうめいた。
窓の外で、攻撃を仕掛けていた賊の大半は後ろに下がり、代わりに前に押し出されていたのは、縄をかけられた市井の人々だった。女子供を含め、二十人はいるだろうか。怯える彼らに、凶悪な男達がマシンガンの銃口を向けている。
「…他でも騒ぎを起こしとったちうわけや」
「…まずいな…」
観客は、さすがに、蜘蛛の子を散らしたようにいなくなっている。代わりに集まっているのは、手の甲に同じ蛇の刺青をしたガラの悪い連中だ。真ん中で拡声器を持って叫ぶ巨漢が副官だとしたら、隣に立つ痩身長躯の男が頭、か。
『今からァっ、十数える間に出てこなけりゃァっ、人質は全員蜂の巣だぁぁぁっっ!!!』
人質を囲んだ銃が一斉にガシャリと音をたてる。数人が悲鳴をあげた。それは拡声器を通さずとも二人の耳に届いた。
「………あのさ」
ヴァッシュがウルフウッドを低く窺う。割れた音声がそれをかき消す。
「…オドレは阿呆や。それは確定事項や」
声に寄らず、表情だけでその意を読み取って、ウルフウッドは嘆息する。
「どのみち、ここやと動きがとれへん。…ワシは疲れとるんや。さっさとカタつけるで」
「…善処シマス」
「確約せぇよ」
「じゃあ、一つだけ。僕を信用して、適当に向こうに従ってクダサイ」
へろりとヴァッシュが微笑んだ。ウルフウッドがどういうことかと問い質す前に、懐からサングラスをとりだしてかけると、何の気負いもなく足を踏み出す。
その間にも通りの向こうから大音声のカウントは続いている。
『にーぃっっ、いーーーーちっっ!!!』
だみ声が長く伸びる。人質にとられた人々が身をすくめた。複数の引鉄に力がこもる前に、ヴァッシュが建物の入り口に姿をあらわす。一斉射撃も覚悟したが、向けられたのはひとまず、無数の銃口と殺気だけだった。
数歩遅れてウルフウッドも後に続く。銃口の半分に追いかけられ、肩をすくめてウルフウッドは軽く両手を挙げた。
カウントダウンしていた巨漢が、拡声器に向かったまま勝利の高笑いをする。あまりの音量にハウリングが起こりその場にいた全員が耳を塞いだ。
『てめえらかぁぁあ!!正義の味方ヅラした二人連れってヤツはぁぁ!!』
「気色悪いことぬかすなボケェ!!」
それは、拡声器で拡大された雄叫びをかき消すほどの大音声だった。
鼓膜を吹き飛ばされ、巨漢がぽかんと口を開ける。
「誰が『正義の味方』やとぉ?!イテまうぞうらア!!!」
さらに追い討ちをかけてから、ウルフウッドは、あまりの大音量にくらくらしている人々を尻目に悠然と煙草に火をつけた。
一番間近で直撃を食らった人間台風が眉間を押さえて抗議する。
「……君、声でかすぎ」
「あっちがやかましいンや。何が『正義の味方』や。冗談は死ぬ覚悟で言えっちうねん」
「そんな無茶な。つーか君、マヂで声で人殺せるよ。脳味噌揺れたっての…」
「言うに及んで人をデタラメ扱いすな」
銃口も人質も何のその。まさに始まらんとした漫才は、だが、しゃがれた笑い声で中断された。
「…アア。まったくもっていいコンビだ…」
巨漢の傍らで、それまで黙っていた痩躯の男が、耐えかねたようにくつくつと身を震わせていた。カウボーイハットを目深にかぶり、右腿のホルスターに古風なリヴォルバーを下げている。額に当てられた手の甲には、ひときわ複雑な蛇の刺青。
男は笑いの隙間から、声を押し出す。
「いささか、意外だぜ。…なァ、ヴァッシュ・ザ・スタンピード」
―――驚愕は、速やかに広がった。
ヴァッシュが、あちゃあ、とばかりに天を仰いで嘆息する。
賊からも人質からも、『人間災害』、『死神』という押し殺したつぶやきがもらされ、すぐに沈黙にとってかわった。先刻までとは違う緊張が銃口に篭もり、ウルフウッドがこれみよがしにため息をつく。
男は頓着せずに続ける。
「…この数ヶ月、なかなか苦労して準備した計画が、朝っぱらから次々潰されてな…聞けば余所者の二人組みがことごとく邪魔をするという。いったいどこの馬鹿かと思いきや…とんだ大物を引き当てていたわけだ」
部下たちとは違い、『ヴァッシュ・ザ・スタンピード』の名に怯む様子も見せない。むしろ、懐かしい友人に会ったように両手を広げた。
「ここいらじゃあ、俺は、『アン・ラック・ジュビリー』と呼ばれている」
「『不運(アン・ラック)』?」
「そうさ」
聞き返したヴァッシュに得たりと頷いて、カウボーイハットの端を押し上げる。砂色の髪の間に、こめかみから放射状にひきつれた傷痕があった。
「三年ほど前、俺は楽しい楽しい『ゲーム』で己のここに銃弾をぶち込んじまった。運命の女神に見棄てられてな」
男は、まっすぐに伸ばした人差し指で傷痕をトントンと叩く。それだけで件の『ゲーム』が何か知れる。ヴァッシュとウルフウッドが同時にうげ、とも、ぐえともつかないうめきをもらした。
「半分棺桶に入ったところで――――気まぐれな悪魔が俺を拾った。ここにゃそん時の弾がまだ抜けないまま残ってる。だから、『アン・ラック』さ。そのまま死んでりゃ、こんな肥溜めみてぇな世界ともおさらばできたってのによお」
髪と同じ砂色の目が楽しそうに狂気の色を刷く。
「だから、もう派手な刺激がないと生きてけないんだなァ…。…生きて戻って最初に、もう一度同じヤツと同じゲームをやった。向こうはあっさり死ンじまったがな」
くつくつという笑い声だけが、炎天の下に響いた。人質の間からもれた「イカレてる…」という呟きにも、男は鼻で笑っただけだった。
「ついでに言うなら、そいつは、俺の元『相棒』ってヤツでな。そのおかげでアンタらみたいに仲のイイお二人を見ると、つい水を差したくなるんだ」
男の右手が動いた、と思ったときには、そこには銃が握られていた。銃口がまっすぐヴァッシュの眉間を狙い、引鉄はギリギリまで絞られている。それは驚嘆すべき速さだった。
ヴァッシュは、反応しなかった。―――反応できなかったように見えた。
「銃を捨てな」
満腔の自信とともに男が宣言する。
あの、『ヴァッシュ・ザ・スタンピード』が一指も動かせなかった―――――。
場は一度に勢いづいた。野卑な罵声が飛ぶ中、ヴァッシュが小さく肩をすくめた。ウルフウッドが驚くほど、あっさりと腿のホルスターから銃を引き抜き、地面に投げた。
男はヴァッシュが投げた銃を取り上げてヒュウと口笛を吹いた。
「イイ銃だ」
同じリヴォルバー使いの血でも騒ぐのか、興味深そうに銀色の規格外の銃をいじりまわす。
「こいつでブチ抜けば、さぞかし威勢良くふっ飛んでくれそうだなァ」
左手で淀み無くヴァッシュの銃を構え、ウルフウッドに向ける。
「そっちの黒眼鏡もだ。その物騒な十字架もな」
何のつもりかと問い質したくとも、斜め前のヴァッシュの表情は窺いにくい。ウルフウッドは舌打ちして、しぶしぶと懐からハンドガンを取り出し地面に抛る。梱包されたままのパニッシャーも地面に置いた。武装解除された二人の腕を、背後から数人の三下が後ろ手にとる。ついでのように何発か蹴られ、膝をつく二人を『アン・ラック・ジュビリー』は実に親しげに眺めた。
「折角のショウもお天道サマの下じゃあ興醒めだ。ちょいと早いが一杯つきあってもらうぜ、お二人さん」



*



思い返せば、出会ったときからこの人外魔境の考えていることがわかったためしなどないのに。
 



突きつけた銃口で接収した開店前の酒場に、ヴァッシュとウルフウッドは小突かれながら入る。いい加減忍耐ぶちぎれそうなウルフウッドがそれでも何とか耐えていたのは、ヴァッシュの意図が全くさっぱり読めないからだった。いざとなれば、この場の全員をぶちのめして―――人質の危険は承知の上で―――ヴァッシュを引きずって逃げ出す自信は、ある。あるが、それはそれで後が苦労だから今は唯々諾々と従っている。
いまだテーブルの上に椅子が乗せられたままの酒場は、『アン・ラック・ジュビリー』とその手下、数人の人質とウルフウッドとヴァッシュを詰め込んで満員御礼状態だ。
椅子の一つを無造作に下ろして、ジュビリーは奪った酒瓶をテーブルにどんと置く。小さなテーブルを挟んで、二人に「まあ座れ」と促した。否応もなく向かい合わせで席につかされ、それでもようやく離れた拘束に、ウルフウッドがこれみよがしに手首を振る。そのまま懐に手を入れた。途端に殺気立つ周囲を無視して取り出した煙草を咥えると、鷹揚に火をつける。突きつけられたいくつもの銃口に向かって、嫌味たっぷりに煙を吐き出す。
「アンタもただモンじゃねぇなァ」
腹を抱えて笑うジュビリーが、一人無闇に楽しげだ。
「何者だ?」
「…牧師だよ」
応えたのは憮然と頬杖をついたヴァッシュの方。
「はぁ?馬鹿ぬかせ。こんな物騒な牧師がいてたまるかよ」
「ホントだって。俺を改心させようと躍起になってついて来るんだ」
「へぇ?天下の『人間台風』を?そいつは豪気だ」
心底感心したように頷いて、ジュビリーは改めてウルフウッドを見やる。
「…世も末だ」
頭をふって、手元に目を落としたので、ウルフウッドの青筋は見なかった。
「まあ、牧師様ならさぞかしカミサマのご加護とやらがあるだろう。『死神』とはいい勝負だ」
先刻から笑いすぎて涙の浮いた目じりを拭って、ジュビリーはヴァッシュの銃を持ち直す。よっぽど気に入ったのか矯めつ眇めつしながら銃身を折り、弾丸を取り出す。ひとつだけ残して床にばら撒き、残した弾丸を再び装弾する。銃身を元に戻し、掌を滑らすようにシリンダを回す。
右手で自身の銃をヴァッシュに向けたまま、テーブルに一発だけ装填された銃を滑らす。まるでコイントスでもするような気軽さで宣言した。
「ゲームだ」
周りの観客(ギャラリー)が一斉に喚声をあげるた。床が踏み鳴らされ、無断で拝借された酒瓶が無造作に開けられ、手から手へとまわされる。どちらがJACKPOTを引き当てるか。次々と金を賭ける声が重なり、即席の仕切り役が手馴れたように二人の前に回収したコインと札を積み上げてゆく。
それを、肘をついたままヴァッシュが一瞥し、少し嫌そうに片眉を跳ね上げた。見た限りでは人間台風の脳みそを拝みたい人間の方が若干多いらしい。
度の外れた騒々しさの中でもジュビリーのしゃがれた声はよく響いた。
「勝った方は生きてこの街を出してやる。何なら、仲良く殺しあってくれてもかまわないがな」
再び、周囲から下卑た嘲笑。仲間割れを期待されるほど『仲良く』見えたのかということに、ウルフウッドの機嫌が一段と悪化する。が、やはり誰も気付かない。
背中を丸めて黙然と座ったままのヴァッシュに品のない口笛と口汚い罵声が浴びせられる。方々から投げられた1¢¢コインがトサカ頭にぶつかり転がり落ちる。無関係の運の悪い人質は、部屋の隅で固まって怯えている。賊の狂騒と、―――ヴァッシュ・ザ・スタンピードに。
こんなことは茶番だと、ウルフウッドは苛立ちを募らせる。ヴァッシュが本気を出せば、この男の抜き撃ちに負けるはずがない。人質の安全を考えているのはもちろんとしても、ここまで無抵抗で従ってきたからには何か思惑があるのだろうとは思う。思うが、本当にあるのかどうか今ひとつ信用できないのがこの男だ。本気で無為無策かとは疑いつつも、動くきっかけがウルフウッドにはつかめない。ヴァッシュは、この酒場に連れ込まれてから――― 一度もウルフウッドと視線をあわせようとしない。
しばらく、何かを考えるように沈黙した後、テーブルの上の銃へヴァッシュは無造作に手を伸ばす。銃把を支点にくるりと回して掌に収める。死のゲームを強要されている者にしては、気が抜けるほどのんびりとした仕草だ。
重さを確かめるように銃を撫で、ふと、尋ねる。
「んで、あんたはどっちに賭けんの?」
「もちろん、あんたの大当たりに五百$$だ」
「ふーん……。
―――――じゃあさ、これから俺と、もひとつ賭けない?」
「……あ?」
「ひとまず、俺が勝ったら一般人は解放ということで」
「?何を…」
ジュビリーが言い終える前に、ヴァッシュは銃口を床に向け引鉄を引いた。
誰も、反応できなかった。
轟音とともに床に大口径の穴が開く。
凍りついたように固まるギャラリーと、身を乗り出し目を瞠ったままのジュビリーに、ヴァッシュはにぃと笑って見せた。
「どうせゲームなら、フェアにいこうぜ、兄弟(ブラザー)」
一拍遅れて、ある限りの銃口がヴァッシュの全身に突きつけられたが、そんなものに今さら意味はなかった。
「は…。はははははッ…!!」
破裂するようにジュビリーが笑い出す。
「さすがじゃねぇか、ヴァッシュ・ザ・スタンピード!!よく分かったもんだ!」
それでようやくウルフウッドも、知らず握りしめていた拳の力を抜く。まったく、無茶苦茶だった。冗談ではなかった。
「くくく…確かに緒戦は俺の負けだ。あんたをみくびってたようだ。いいさ、あんたが『その気』になってくれたんなら、人質なんざどうだっていい」
ジュビリーの合図で、連れて来られていた街の人々が放される。ジュビリーは尚も笑い続けているが、部下達は恐ろしいモノでも見るような目でヴァッシュを見ている。動くなら今かと、ウルフウッドはタイミングを計る。人質は解放された。賊は気を呑まれている。今なら被害を最小限に留める忍耐も残っている―――ヴァッシュにも、異存はない、はずだった。
「動くなよ。ウルフウッド」
機先を制されて、ウルフウッドは目を剥いた。互いのサングラス越しに、ようやく視線が、合う。
ウルフウッドの目の前で、ヴァッシュは手品のようにてのひらから一発の弾丸を取り出してみせた。右指のわずかな動きだけで、手にした銃を折り、ジュビリーとそっくり同じ手順で取り出した弾丸を装填する。シリンダのまわる軋むような音がその場を圧した。
自然に回転が止まったところで、ヴァッシュは銃をジュビリーに向かって滑らす。ジュビリーが心得たように、背後の部下に手渡し再び弾倉を回転させる。同じように、滑らせて返した。
怒気を込めてウルフウッドはヴァッシュを睨みつける。
「トンガリ、おどれ…っ!」
正気か?問おうとして、止める。鼻先でサングラスを押さえて、ヴァッシュがゆるりと口の端を引き上げた。
「興が、のったんだ」
小首を傾げるように自らのこめかみに銃口をあてる。立ち上がろうとしたウルフウッドをジュビリーの銃が制する。突きつけられた銃口よりむしろ、ヴァッシュの笑みを見てウルフウッドは動きを止めた。
「一つ、白状しとくよウルフウッド」
異様なほどの静寂の中、低く柔らかく声だけが響く。
「実は昔から一度試してみたかったんだ。――――― オマエと俺とどちらの悪運が強いか」
言い終わるが早いか、人差し指が無造作に引鉄を絞った。
―――――ガチリ、と。
鉄が鉄を噛む音がして、それだけだった。緊張がとける間も待たず、降ろした銃をウルフウッドの前に押しやる。
「君は、興味ない?」
五分の一の死を差し出して、いっそ無邪気に、誘う。
投げ捨てるようにサングラスを引き抜いて、ウルフウッドは獰猛に歯を見せた。
「エエ度胸やクソトンガリ。死んでから後悔しなや」
差し出された銃をわしづかみ、躊躇いのない動作でこめかみに押し当てる。誰もが息を呑む暇もなく引鉄を引いた。呆気なく。撃鉄が落ちた。銃口はただ沈黙していた。
「――――おどれの番や」
テーブルに放り出された銃が重い音をたてて、ようやく、呪縛から解放されたように低いざわめきが戻る。真ん中に銀色の銃を挟んで睨み合う二人に、興奮よりも、期待よりも――薄気味悪いものを見るような視線が集まる。
「いつも思うんだけど君が牧師だってのやっぱり嘘だろ」
確率は四分の一。世間話をするついでにドーナツに手を伸ばすようにヴァッシュは銃をとる。
「心配せんでも、オドレが死んだらきっちり本式の葬式をしたる。もっともオドレなんぞワイがどんなけ祈ったっても天国にはいかれへんやろうけどな」
「そりゃ、君の徳が足らないんだよ。…って、あ、これで死んだら自殺になるのかな?君んトコの宗教って自殺したら無条件に天国行けないよね?それは嫌だなー」
「おんどれ…神さんとこ行く気か図々しい」
「あれ?やっぱり?」
側頭部に銃口を据え、笑う。知らず、ウルフウッドは息を呑んだ。そのまま焦らすように、ぐるりと周囲を低く見渡す。圧倒的優位に立っているのは彼らの方なのに、誰も彼もが人間台風の一挙手一投足に魅入られたように立ち竦んでいる。
ヴァッシュの視線は、興奮に浮かされたジュビリーの面を過ぎ、ウルフウッドに戻る。
「一応、さよならって言っとこうか?」
ガチン。
「――――無駄になった」
ただ呟いて、つまらなそうに唇を尖らせた。
 
 

*



「知ってる?ロシアンルーレットって、四発目に一番出易いんだよ?」
既に半分シリンダがまわった銃は心なしか重かった。狭いテーブルの向かいでヴァッシュ・ザ・スタンピードは上機嫌にジュビリーに話し掛けている。
「ジュビリー。なあ、あんたが死にかけた時のことを話せよ」
「しゃべりすぎや。トンガリ」
「何で?引鉄を引くのが怖くなる?君そんな繊細なタマだったけ?―――いいから、聞かせろよ」
ジュビリーは、乗り出していた身体をどさりと椅子に収めると、荒い息を吐いた。ぎらついた目でヴァッシュを睨む。
「脳漿をぶちまけて、柔らかい脳味噌があふれても、意識は消えないんだ。自分が自分の脳天を撃ち抜いたということが判るんだ。死ぬんだって、分かるんだ」
壊れたラジオのように唐突に喋り出しては、止まる。
「…分かると、思ったんだ。血が、こう、頬を伝わる感触がやたらハッキリしていてよ。臭ぇんだよまた。てめぇの脳味噌の匂いが。腐った死体の匂いだ。まだ生きているのにもう腐ってやがるんだ。弾が止まったところからあっという間にどろどろになっていくんだ。」
「痛かった?」
「痛い?痛いさ。銃口をおしつけたトコロがよ、火傷してヒリヒリすんだ。ハハハ。あと、血が口にも鼻の方にも溢れてきやがって息するのに一苦労だ。苦しいぜぇ
―――アア、心配すんな牧師。この口径じゃあ痛みを感じる暇もないさ。ちょいと目の前暗くなって次に起きたら神さんのところさ」
「やっぱり無理?」
「無理だろうなァ、何もかもぶちまけて、それで終わりさな」
「トンガリ」
いい加減呆れてウルフウッドは饒舌を遮る。血腥い体験談に怯えるような可愛げなど欠片もあろうはずがない。振り向かせたオレンジ色のサングラスの奥は光が反射して見えない。それでも、ぴったりとこめかみに押し当てられ、髪に隠れた銃口に視線が集中しているのは分かる。ふいと閉じられた口の端には何の色も読み取れない。それでも、ちりちりと産毛を総毛立たせるようなプレッシャーを感じる。頬杖をついた先で親指が、遊ぶように下唇をなぞる。すぐそこにある暗い虚空からちりちりと脳髄に痺れが走る。ウルフウッドは破顔した。
「そない煽るな。…楽しみはこれからやろ」
再びの空撃ちの音とともに、押し殺したような息を吐く音が、いくつも周囲から上がった。緊張はギリギリまで高まっていた。いよいよ、残り二発。次で、確実に決まる。
「やっぱり、オマエはイイよ。ウルフウッド」
腕を伸ばしたウルフウッドからヴァッシュは直接銃を受け取る。他者の熱の残るグリップを握り、銃身に愛おしそうに口付ける。
「―――折角だから、もう一つ賭けない?」
そのまま、まっすぐウルフウッドの眉間に銃口を突きつけた。咄嗟に幾人かが銃を構える。それをヴァッシュ・ザ・スタンピードは左腕の一振りだけで止めた。わけもなく気圧されて、誰もが操られたように武器を下ろす。
「…何の真似だ」
怒りを孕んで問い詰めたのは、ウルフウッドではなくジュビリーの方だった。楽しみを中断された苛立ちがどす黒く面を染めている。ただ一つヴァッシュに向けられた銃口は憤りのためか興奮のためか、焦点が定かでない。それを蔑むように見下ろして、ヴァッシュは片頬を歪める。
「ゲームを投げるつもりはない。賭けに負けたら大人しく殺されてやるから、あんたはひっこんでろよ」
ウルフウッドに向き直ってヴァッシュは同意を求めるように小首をかしげる。トリガーはぎりぎりまで引き絞られているが。銀色の銃口は微塵も揺るがない。
「俺は、ただ知りたいんだ。俺と、オマエとどっちが安息に見放されてるのかって、ね」
椅子の背に大きく凭れて、ウルフウッドは、すぐ近くに口を開ける暗い穴に片目だけを眇めてみせた。
「……ええよ。その賭け乗ったる。ただし、ワイが勝っても、殺してなぞやらへんで。オドレは自分で、そのトサカ頭をぶち抜くんや」
「……お望みなら君の顔に脳味噌ぶちまけてやるよ」
賭けは成立。狭い酒場を異様な空気が支配する。興奮も昂揚も息を潜め、一様に現れるのは畏怖。どこまでも淡々と繰り広げられる何かが外れたような二人のやりとりに、誰もが完全に呑まれていた。
「――――じゃあ、ホントにこれでさよならだ」
仲の良い友達に一時の別れを告げるように、ヴァッシュは小さく微笑んだ。
「――――君の、そのデタラメな肺活量を愛してたよ」
 
空白。
 
茫然としてしまったのは、コンマ数秒だった。
次の瞬間ウルフウッドは可能な限りの速さで床に身を投げていた。
同時に銀色の銃が、ポン、とあまりに間抜けな破裂音を響かせる。
視界の端でヴァッシュの銃口が色とりどりの紙テープと紙ふぶきと万国旗を出すのを見た。
周りを囲む悪党の顎がいっせいに外れ目玉が飛び出すのを見た。そして、紙ふぶきとともに広がった茶色のガスを。
息を止め、鼻を袖口で覆う。テーブルを倒し、傍らに伏せてきたヴァッシュが「目閉じろ」と耳元で囁く。
小さな酒場は既に茶色の煙が充満していた。あちこちでむせ返る音、怒号、どったんばったんと机やら椅子やらの倒れる音が響く。張り詰めていた緊張を、あまりに馬鹿馬鹿しいイタズラで破られたためか、二人以外はもろにガスを吸い込んでしまったようだ。何事かと、外からなだれ込んできた見張り連中も、中の空気を吸った途端苦しそうにうずくまる気配がする。
脱力感を抱えて床に伏せたまま、ウルフウッドはそれでも、手近に転がってきた壜を勘だけをたよりに後方に投げる。どこかで小さくぎゃっという声と銃の床に落ちる音があがったので、闇雲に銃を撃たれるのだけは阻止できたようだ。
……しばらくして、喧噪は治まり、代わって名状し難いうめきと、あまり聞きたくない類の音が聞こえ始める。そして、そろそろさすがのウルフウッドでも息が苦しくなろうかという頃に、ようやくヴァッシュが「もう大丈夫」と告げた。
腹立たしさやら呆れやらで、漸う身を起こしたウルフウッドの前に広がっていたのは―――――。
さながら地獄絵図。
それはあたかも、盛大で無茶苦茶などんちゃん騒ぎの後のような、無礼講で飲み明かし、派手に騒いだ祭りの後に…否応もなく出現するような光景であった。
床にうずくまり口を押さえ腹を押さえ、襲い来る『衝動』に懸命に耐える男達の群れ。うっうっと一人がえづき、耐え切れずにげーっと胃の内容物を吐き出す。独特の酸い匂いにつられたように、隣の男も吐く。そして向かいの男も連鎖的に続き、後には青い顔をした屍だけが累々と残る。……悲惨である。悲惨な光景ではあるが、しかしこれだけ屈強な野郎ばかりに、しかも一斉にやられるといっそ悲惨を通り越して滑稽である。哀れを通りこしてもの悲しさすら感じる。げんなりと、ウルフウッドは傍らにのんびりと立つヴァッシュを見た。
「…………コレ」
「うん。嘔吐ガス。みんなしばらく吐き気止まんないだろうねー」
「…………武器屋からもろたって、コレか」
「弾丸の大きさに収めるの大変だったらしいよ。うわー…小さいのによく効いてるや。狭いトコだったしねー。きっかり三分で効果消えるってのも正確だ」
もはや戦う気力など欠片もなく、ただただ「吐き気」というどうしようもない衝動に苛まれている男達を見ながら、ウルフウッドは初めて、心底悪党に同情した。
「…………えげつない」
「『ヴァッシュ・ザ・スタンピード』らしいだろ」
「…まさかドーナツの恨みか?」
「……食べ物は大事にしなきゃねー」
「……悪魔かオドレ」
「君は気付いてくれてほんとーに良かったよ」
「………」
この世の終わりのようなウルフウッドのため息を聞く者は誰も居なかった。


 
*


 
 
無傷で酒場から出てきた二人に、いつのまにか周囲に集まっていた市井の人々が驚きの声をあげる。適当に後の始末を頼んで、…正確には後片付けまでも手伝おうとするヴァッシュをウルフウッドが拳固一つで黙らせて、その辺の人を脅して始末を頼んだのだが…、二人は迅速にその場を離れた。酒場の惨状を見られてしまったら、再びろくでもない評価が生じるのは目に見えている。
何となく宿にもどることもできず、その辺の路地裏で一息をつく。おもむろに煙草を取り出し一服つけるウルフウッドの傍らでヴァッシュはようやくサングラスを外した。その手に先刻の酒場から拝借してきた高価な酒の壜を押し付けると、ヴァッシュが耐え切れないというように笑い出す。
「君、ちゃっかりしすぎ」
「慰謝料にもならん」
早速封を切って壜ごと呑み下す金色の頭を、後ろから思いっきりはたく。ブッと含んだ酒を吹き出して、ヴァッシュが盛大にむせた。
「ぁにすんだよ!!」
「何ややないわっ!こんのクソアホ・ボケ・カス・マヌケ・アンポンタン・考えナシのクソガキがぁ!オドレのデタラメにワイを巻き込むなゆうとるんや!!!!」
「……わ・わかったから耳元でがなるのはヤメテ」
「ほーーーお、わかったやと?わかったんやな。何がわかったかじーーっくり聞かせてもらおうかいな」
「…あー…うー…えーと……………。ゴメンナサイ」
「ゴメンですんだらシェリフも牧師もいらんのじゃぁぁ!!!」
 
三分の絶息で証明した肺活量の限りを駆使してヴァッシュの脳髄を揺らすと、ウルフウッドはようやく少しは気が晴れたというように、つかんでいた胸座を離す。壁に沿ってへたり込んだヴァッシュがもう一度「ゴメン」とへろりと笑い、
「でも、ホントに興味あったんだ」
悪戯を告白するように呟いた。それを見下ろして、ウルフウッドは少し黙る。ヴァッシュが弾丸をつめ直したときに実弾のはずがないとは、思った。それでも、弾の位置は細工できなかったはずだった。
「途中で当たったらどうするつもりやったんや」
「君とオレでそれはないだろ?」
確信めいてヴァッシュが答える。そして事実その通りだったのだが。
(…ムカツク)
「……最後、二回引鉄引いたやろ」
「…なんだ、気付いてたんだ」
残り二発の、本当はどちらがJACKPOTだったのか。
「どっちや」
「ヒミツ」
ヴァッシュははぐらかすように壜を傾ける。その手から取り返して飲み下す。
「教えろ」
「言わない」
「言えや」
「やだよ」
「…言わせるど」
しゃがみこんでドスを効かせて問い詰めれば、
「じゃあ、今日最後の賭け」
ヴァッシュがピンと弾いたコインは、ウルフウッドが裏と言う前に、路地から出てきた黒猫が中空でかっ攫っていった。
「………オドレほど確率論を無視したヤツはおれへんな」
「オレの10¢¢~……」
何だかもう気にするのも馬鹿馬鹿しいようだ。立ち上がろうとして、袖を引かれる。掴んだ服を勝手に支えにして身体を起こしながら、ヴァッシュが一瞬拳でウルフウッドの心臓を叩く。掠めるように囁いた。
「でもちょっとだけ楽しかっただろ」
一時だけの共犯者のように笑う。予断を許さず。確率を無視し。想像の斜め上を超えていく。そうだった、この男はそうだった。それでもその納得を超えていくのもまたこの男なのだから腹立たしい。ひょいと歩き出す赤いコートの襟首を掴んで引き寄せる。歯を合わせて、捩じ込むように口付ける。
死を吐き出す銃口よりも、闇く深く虚ろな翠。
一瞬だけ狂おしく貪りあい、突き放す。
バランスを崩された恨みをトンガリ頭をはたいて晴らし、連れ立って路地を出る。
「さあてと、買い出しの続きしなくちゃなー」
「あー…煙草また買わなアカン…」
何事もなく降り注ぐ二つの太陽の光の下。
―――――― ただ悪運だけを半分に分けあって。
 
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