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あおいとりドロップ 4

 
 
 
エースは、本当は、保育園があんまり好きではない。
いまだ六歳とは言え、同世代のこどもがひとつの部屋の中に二十人近く集まったそこは、既にして「社会」そのものだ。好き嫌いはもちろん、嫉妬も反目も、誇りも献身もそこにはある。難しい言葉にはできないけれど、エースはそれを何となく理解している。
だから、投げられた言葉をそのままオウム返しにして、エースは問いかけた相手をじっと見返した。
「『ママ』?」
いつも保育園の先生に、エース君はもう少し笑ったほうがいいね、と言われる視線だった。問いかけた女の子が少し怯む。
「だって、エースくんおむかえいつもおとうさんでしょ?ママいないの?」
「マルコはとうさんじゃない。とうさんはじいちゃんだ」
エースは自明なことを言ったつもりだったが、それは彼女には伝わらなかった。エースの周りではいつも往々にしてそういうことがよくおこる。
「?おじいちゃんはおじいちゃんでしょ?」
「じいちゃんがとうさんだ」
「え??じゃあおばあちゃんがママなの?」
「ちがう。かあさんもばあちゃんもいない。じいちゃんとマルコだけだ」
エースは迷いなく言い切る。だけど今度はそれを聞きつけて、さっきまで遊んでいた周りの子たちが騒ぎ始めた。
「それはないない」
「おんなはあかちゃんうめるけどおとこはうめないんだよ!」
「エースくんへんなことばかりいうー」
「ママはみんないるよ!」
「てゆーか、マルコってなんなの?」
反論しようとして、言葉に詰まった。マルコはマルコで、とうさんでもかあさんでもなくて、じいちゃんでもばあちゃんでもなくて、確かに、何て言っていいのかわからなかった。
「・・・しらない」
「えーなにそれー」
「エースくんママいないのかわいそー」
とたんに口ぐちに好き勝手なことを言われて、うるさいなぁとエースは思う。うるさいと思うけど、ここで「うるさい」と怒鳴っても、うるさいのが終わらないことをエースは知っている。それどころか先生までやってきたりして、もっとうるさくなるに決まってる。
だから、無言でその場を去ろうと思った。なわとびで遊べないのは残念だが、仕方がない。
なのに、その腕をふいにぎゅっと掴まれた。自分より熱い掌がエースの腕を力いっぱい握って、びっくりするような大声で叫んだ。
「うるさいっ」
周りの誰もがぴったりおしゃべりをやめて、エースは少しだけすっきりする。でもすぐに文句を言いだそうとするのを、さっきの大声がもう一度さえぎる。
「おれだってかーちゃんもとーちゃんもいないぞ!」
エースの腕を掴んで仁王立ちするこどもをエースは知っている。「えんちょうほいく」で一緒になることが多いからだ。ひとつ下の桃組で、いつもそこらじゅう走り回って、大きな声でけらけらと笑っている。こんなふうに怒った顔は見たことがない。
「ルフィ」
 
名前を呼んだら、大きな真ん丸い目がエースを見上げた。びっくりするほどつやつやしていてツバメの目みたいだと思う。黒く跳ねる髪も尾羽のようで、あんまり人間じゃないみたいだった。
「エース、いこう」
だから、引かれるままエースは歩き出す。まだ騒いでいる彼らを置き去りにして、エースより小さいルフィはずんずんと歩いていく。引っ張られながら、ちょっとバツが悪くなって、周りに誰もいなくなったところでエースは立ち止まる。ルフィも同じように止まった。
「おれはたすけてくれなんていってない」
「?エースはたすけてなんていってねぇぞ?」
牽制するつもりで言ったのに、当たり前のことみたいに返されて二の句が告げなくなった。ルフィは自分の言ったことなど興味ないみたいに、足元に変わった形の石を見つけて唐突にしゃがみこむ。手をつないだままだったから、一緒に座りこむはめになってエースはちょっと憮然とする。
拾った石で地面に絵を描き始めたルフィの隣で、エースは少しだけ逡巡する。
「・・・おまえも、とうさんもかあさんもいねぇの?」
「おう。でもおれんちには『かいぞく』がいるからいいんだ!」
さっき怒ってたのが嘘みたいに、ルフィは上機嫌で誇らしそうに答える。
かいぞく。反芻して、絵本にでてきた海のあらくれものの『かいぞく』だろうかと思う。エースはいつもルフィよりは早く帰るし、エースが来たときにはルフィはいつもいるから、ルフィを送り迎えする人を見たことはない。
「エースんとこも『かいぞく』だろ?おれしってるぞ」
「マルコはかいぞくじゃねぇよ」
『かいぞく』は海の上で『きぞく』の船を襲ったりして、かっこいいけど、本当は悪者なんだとエースは知っている。もちろん、きらきらと『かいぞく』をかたるルフィにそんなことを言ったりはしないけど。
「なんで『かいぞく』じゃねぇんだ?『かいぞく』だったらちのつながりがなくってもいっしょにいてもいいんだぞ?」
「ちのつながりってなんだ?」
「しらねぇ。でもちがうんだったら、エースもマルコも『かいぞく』になればいいじゃねぇか」
大きくどくろマーク(きっと『かいぞく』のしるしだ)を地面に描くルフィの隣で、エースは羽根を広げた鳥を描く。
「『かいぞく』だったらいっしょにいてもいいのか?」
うんうんと何度もうなずくルフィは嬉しそうで、エースはそれならいいかと思う。
「じゃあおれも『かいぞく』になろっかな」
どうやってなるのかは知らないけれど、それはとてもいい思いつきのように感じた。きっと『パパ』や『ママ』よりずっといいもののはずだった。
 
 
 
 
その日、仕事がどうしても長引いて、保育園に着いたのはいつもより遅い時間になった。延長保育が終わる十分前に園に着いたら、いつもは十人近くいる居残り組も、エースと後一人だけになっていた。
「エース」
呼びかけると振り向いた顔がぱっと明るくなる。この反応のおかげで、マルコはエースの保護者として認めてもらえているようなものだ。園でのエースは相当に無口で無愛想らしい。通常の親子ではないこともあって、何度か直接間接に問題はないのかと心配されたものだ。
しかし、その日は珍しく、エースの隣にはもう一人の子どもがくっついていた。やはり延長保育で毎日見かける顔だ。名前は確かルフィと言ったか。エースよりひとつ年下の、いつもうるさいほど元気よく走り回っている子どもだ。それが、今の今までエースとくっついて大人しく一冊の絵本を読んでいたらしい。その手はエースの服の端っこを握っていて微笑ましい。これまでは特に仲良くしていた様子はなかったから、少し意外で、同時にほっとする。エースにつられて、振り返り、真ん丸の目でマルコを見上げてくる。小動物じみた仕草だと、ふと思う。犬ほど人に慣れてない。猫ほど醒めていない。もう少し、意志の通じない動物。
「『マルコ』!!」
観察してしまった相手にいきなり大声で呼ばわれて、繕う間もなく面食らう。
「おっさんも『かいぞく』だよなっ!!」
訂正。こいつはワンころだ。振り回す尻尾が見えそうなほどきらきらした期待いっぱいの眼差しに見上げられて、何のことかわからず、どう反応していいのかも見当がつかない。「かいぞく・・・??」
さりとて無下にするわけにもいかず、助けを求めて保育士の先生方を見やれば、困ったように、でもどこか面白そうにくすくすと笑っているばかりだ。
むしろ助け舟を出してくれたのは、エースの方だった。
「ルフィのおむかえのひと、『かいぞく』なんだって」
重大な秘密をうちあけるように、耳元で教えてくれる。こころなしかその声も興奮しているみたいに弾んでいる。
「かいぞくって・・・海の『海賊』かよい」
とっさに思い浮かんだのは、朝の子ども番組だった「海賊戦隊ゴーカイジャー」なるものだったが、それでも何の事だかわからない。
「そう。『かいぞく』だったら『ちのつながり』がなくてもいっしょにいていいんだって」
ぎょっとしてエースを見返すが、エースは何の含みもないらしい、新しい言葉を使うのが嬉しいように、少し得意そうにしている。
「エース、ルフィ、」
もう少し詳しく事情を聞こうとしたところで、背後の扉ががらりと音をたてて開いた。
反射的に振り向いて、またしてもマルコは言葉を失うはめになった。
「シャンクス!!!」
大きな目をした子どもが、その目をさらに開いて叫ぶ。風のようにマルコの横をすり抜けて、現れた人物に勢いよく体当たりをする。子どもとはいえ、五歳にもなればその力は馬鹿にできない。加減が効かない分容赦がない。その弾丸のような突進を軽々と受け止めて、勢いのままよじ登り始めた子どもを止めもせず、男は脳天気に満面の笑みを浮かべた。
「こんばんは。うちのがおせわになってたようで」
 
 
奇妙な男だった。
なんとなくなりゆきで、同じ帰り道を歩く。目の前にはエースとルフィが手をつないで歩いていて、跳ねるように無軌道に動くルフィを、エースが引っ張られるように宥めるようにつなぎ止めている。
その三歩ほど後ろを、先刻会ったばかりの男と歩いている。まったくもって予想もしなかった展開で、しかもその男というのが本当に奇妙な男だった。
もちろん保育園で同性と会うというのが珍しいということもあるが、その男の特異さは群を抜いていた。歳はマルコより若いだろう。目の覚めるような赤毛に、人懐こい笑顔。その片目を抉るように斜めに走る三本傷。
上背のあるマルコと同じぐらいの長身を、よれよれのシャツとハーフパンツ、サンダルと社会人とは思えない格好で包んでいる。そんな無造作な風体をしているくせに、一般人を自認するマルコですら気付くほどに鍛えられた体躯。
その身体にあるはずの、左腕の欠如。
つまりは、とても「一般人」には見えなかったということだ。
「やー、こいつがひとに懐くなんて珍しくてねー」
のんびりと、ぺたりぺたりという擬音語がぴったりの調子で「シャンクス」は歩く。園からずっと、にこにことした表情を崩すことがない。愛想がいいというより、本当に楽しそうな様子だった。目を細めてルフィを見るさまは当たり前の父親のようだ。
「エースの話はよく聞いてた。なかなか遊んでもらえないと言ってたが、ようやく片思いが実ったみたいだ」
にししっと肩をすくめて笑う。とても子持ちの人間の仕草とは思えない。
ルフィはこの保護者を名前で呼んだ。しかも、その直前のエースの発言によれば、彼は『かいぞく』であるらしい。
「あー・・・、」
何と呼びかけようかと迷って、すでにタメ口で話されていることに気付いて考えるのをやめにする。
「あんたが『かいぞく』だってうちのチビが言ってんだが、実際のところはどうなんだよい?」
とりあえず、一番聞きたいことを聞いたのだが、返ってきたのは失礼なことに遠慮のない爆笑だった。
「うははははははっ!!あんた変な人だな!!いきなり初対面の人間にそこを聞くのか?!うははははは!!」
地面に転がりそうな勢いで笑われて憮然とする。突然の笑い声にびっくりした子ども二人が振り向いて、腹を抱えて笑う大人と、立ち尽くす大人に迷惑そうな顔をするのも居たたまれない。
「海賊だって言われて本当に海賊みてぇな野郎が出てきたらそりゃ聞きたくなるよい」
くつくつとまだ苦しそうに背中を震わせて「シャンクス」とやらは意外と律義に答えた。
「海賊みてぇか、そりゃ違いない。・・・ただあいにく、この腕と顔は事故でな。そんな格好のいいもんじゃない」
「シャンクスは『かいぞく』だ!!おれの『かいぞく』だぞ!!ばかにすんならマルコでもゆるさねぇぞ!!」
不意にマルコと男の間に割って入った子どもが、両手を広げて叫ぶ。さっきまで機嫌よく跳ねまわっていた子どもの、気圧される程の怒りに、マルコは胸を衝かれる。
男がしょうがないとでも言うように、だが穏やかな顔で子どもの頭をぐりぐりと撫でる。
「馬鹿ルフィ。『かいぞく』じゃなくて、『かぞく』だ。何遍言やあ覚えるんだ」
 
―――――「かいぞくだったらちのつながりがなくてもいっしょにいてもいいんだって」
エースもマルコも何も言えなかった。しがみついてきた子どもを片手で器用に抱き上げて、男は―――シャンクスは清々と笑う。
「まあ、そんなわけで、家も近いみたいだし、今後ともどうぞヨロシクオネガイシマス」「エース!!またな!!」
ぶんぶんと肩の上で手を振るルフィにどうにか振り返して、ひとつ違う角を曲がっていく二人を見送る。
何かが変わる予感というのはきっとこういうものだろうと、マルコはかろうじてそれだけを思った。
 





 
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