新年を迎えた一週間後、エースを連れて実家に帰省することになった。
「正月くらいは帰ってこい」と口喧しく電話してくるガープに、仕事やら体調やらの口実をつけて断り続けて来たのだが、先日ついに、つる自らが電話をかけてきて「いつまでも逃げれるもんじゃあるまいし」という非情かつ的確な指摘をくれた。確かに縁切りをしたわけでもないのだから、何時までも無沙汰をしているわけにもいくまい。ガープの目的がエースを見たいだけだとわかっているから余計にそうだ。下手をすれば予告なしに強襲されかねないし、それは避けたい。せめて常識外の人間ばかりが揃う正月三が日ではなく、日にちをずらせたことだけでもエースの情操にとってはメリットだと思うことにする。
電車でせいぜい二時間ほどの道のりの間、エースは意外なほどにはしゃいでいた。人見知りで警戒心の強いエースが、慣れない場所に行くというのに珍しいことだった。男子の例に漏れず、いつもと違う電車に乗れるというのも楽しかったようだし、二人で旅行のようなものをするのが初めてだったということもあるかもしれない。自分でつめたお泊りグッズを持ち、新しく買ったマフラーをして、知らぬはずの道でマルコの手を引いて急かす。子どもの好奇心いっぱいの顔というものは単純にいいものだ。
それでも、結局それは実家に着くまでの短い間だけだった。玄関を入って、迎えに出てきたつるの顔を見るなり、エースの表情が硬くなる。マルコの影に隠れることこそしなかったが、仁王立ちで睨みつけながらも、コートの裾を握りしめていた。それでも、奥からガープが大きな音をたてて現れ、泣く子も黙る悪人面に満面の笑みを浮かべて巨体の両手を広げ、エースの頭を問答無用で捕まえたときには、半分涙を浮かべながらも歯を食いしばって威嚇の唸りをあげていた。噛みつかなかっただけ自制が効いていたともいえるかもしれない。
そのままもみくちゃにしそうなガープをどうにか引きはがして、せめて子どもが落ち着くまで待てと止める。怯えて毛を逆立てるエースをどうどうとなだめて、どうにか居間のこたつに座らせる。席に着かせたもののガープは見るからにうずうずと構いたいオーラを放出するライオンのようだし、マルコを挟んだエースは、猛獣の気配に怯えながらも追い詰められれば噛みつく気まんまんのオオカミの仔のようだ。つるは元より子どもに愛想をふりまく人間ではない上に、自分で淹れた茶を悠々と啜って間を取り持つ気配もない。茶と茶菓子が出てきただけ、一応は客扱いされていると思えるだけだ。
緊張といたたまれなさで張り詰める空気を、さらに迷惑極まりない人間が破る。
「フッフッフッ。なンだ珍しィ顔が来てるじゃねェか」
げっ、とマルコが思わず呟くのと、エースがびくりと肩を揺らすのと、ガープが眉間に青筋を立てるのが同時だった。
「ドフラミンゴ!!貴様、ワシの前に現れたら今度こそ逮捕すると言っただろうが!!」
こたつ布団を蹴飛ばして掴みかからんばかりにガープが吠える。
「フッフッフッ。アノ件のコトなら起訴は無理だと叔父貴も言ってだろう?」
カゾクの間で無粋なことはやめようぜ。ピンク色のド派手な毛皮で包まれた両手を大仰にホールドアップしてドフラミンゴが高らかに笑う。
「それでも逮捕するっていうなら弁護士を呼んでくれ」
ガープが八つ当たりとばかりに天板を殴りつけ、お茶とお茶請けが中空に舞う。つるは動じた気配もなく自分の茶を啜り、マルコは自分のとエースの湯呑を避難させて溜息をつく。だからここに帰りたくなかったのだと。
「フラミンゴ野郎。テメェ何で今時ココにいるんだよい」
「マルコ。そのガキにもう飽きたか。オレが引き受けてやろうか」
「ふざけんな。死んでもお断りだよい。正月に顔見せに来ただけだ」
「オレもそうさ。ほらガキ、年玉をくれてやる」
ばっさりと帯のついた札束が投げ出される。目を丸くするエースにマルコは額を押さえ、さらに怒りを噴き上げるガープが怒鳴ろうとするのをつるの一声が遮った。
「ドフラミンゴ。あいさつがまだだよ」
「……………」
「……………」
「……………タダイマ」
「はい、おかえり」
ぼそりとした小声に当たり前のように返して、尚も大声を上げようとしたガープをつるがじろりと睨みつける。
「…………………よく帰ったな」
いかにもしぶしぶといった風情でガープが呟いて、毒気を削がれたようにピンク色の男も頷く。それでその場はむやになった。エースがぽかんと口を開けてその一部始終を見ていて、つくづく教育に悪い家だよいとマルコは内心暗澹となった。
マルコはここにいるすべての人間と血のつながりはない。葬式や正月に集まったであろう大勢の「家族」ともそうだ。ほとんどが懐の大きすぎたじいさんに拾われた人間で、それがさらに、結婚だけならまだしも、自分でも他人の子を拾って来たり、縁のない人間をひきとって「家族」を増やした。つるも、ドフラミンゴもそうだ。ガープはじいさんが拾ってきた人間ではないが、マルコという縁もゆかりもない子どもを当たり前のように引き受けた。不思議と誰もが「血を分けた子ども」というものに恵まれず、その代わりのように、「他人」を迎え入れた。
そんな有様だから、それぞれの仲が良いということは決してない。それぞれが好き勝手な道に進み、じいさんも誰もそれを一切止めなかった。血のつながらない人間同士が十数人集まって「家族」というだけでも相当に異様なことである上に、この「家族」には警察、検察、ヤクザ、民間軍事会社の傭兵、風来坊の大会社社長と物騒な人間ばかりが揃っている。利害の対立することもしょっちゅうで喧嘩が絶えることはない。それでも不思議と縁が切れたということがない。すべてがなし崩しに「家族」だから仕方がないということになっている。
そんな有様だから、食事の席も当然会話が弾むとは言い難い。つるがほとんど料理をしないため、通いの家政婦がつくった晩御飯を、なぜかまだ帰るそぶりもないドフラミンゴとともに囲む。ガープは不機嫌。つるは無頓着。ドフラミンゴは品のない冗談をエースとマルコに投げながら、ひとり喋っている。エースはまだ警戒心丸出しで半ばマルコにくっつくようにして黙ったままもそもそと箸を口に運ぶ。エースはこう見えて、最近ものすごくよく食べるようになった。好き嫌いなく、ごはんとみそ汁は必ずお代わりし、肉も魚も野菜も大人顔負けに食べる。小さい体で気持ちの良い食べっぷりを見せる。時折きちんと噛めよいと指導が入るくらいにはかきこむのを知っているから、ちびちびと食べて、半ばを残してごちそうさまと呟いたエースにさすがに心配になった。
「エース、遠慮せずに食べろい」
「…もうお腹いっぱい。残してごめん」
つるがちらりと表情を曇らせる。ガープがようやくその様子に気づく。エースの残した茶碗を見て眉をぐっと顰める。
「何だっ!男ならきちんと―――――」
残さず食え、とでも言おうとしたのであろうセリフを、鮮やかな盆の一撃が遮る。当然つるの手による。その隙にふらりと立ち上がったドフラミンゴがエースをわきからひょいと抱え上げて猫の子のようにぶら下げる。
「フッフッフッ。腹いっぱいになったなら、風呂につきあえ。マルコじゃ教えてくれないことも教えてやろう」
「お断りするよい!」
慌てて奪い返す。手足を丸めてエースは完全に硬直している。そうかと思えばマルコの首に腕を回してしがみついて肩に埋もれてしまった。最近ルフィという弟分ができて兄貴ぶっていたのに、すっかり子ども返りしてしまった。
「エース、遠くまで来て疲れただろい。風呂入って寝るよい」
こくりと首元でうなずく子どもを抱き上げて、憮然とするガープに目配せする。ドフラミンゴがいつもの笑い方をして、そういえばこいつは見た目よりは人間が好きなのだと思い出す。この男の周りにはいつも、食い詰めた青年やひねた少年やうつろな目をした子どもがいる。じいさんと同じ。何でもかんでも拾ってくる。猫も犬も人間も一緒くたに。
まったくもって面倒くさい「家族」だった。
離れたがらないエースを寝かしつけて居間に戻れば、酒盛りの真っ最中だった。一升瓶をこたつの真ん中に置いて、うわばみ三人がとぐろを巻いている。
「…明日は仕事じゃねぇのかい」
「有給をとったに決まってる」
まるで茶でも飲むように日本酒を啜りながら平然とつるが応える。つるとガープは警察庁の重鎮だ。体がいくつあっても足らない程度には多忙なはずだ。休みなどあってなきが如し。日曜だろうが何だろうが電話一つですっ飛んで行くのが習いで、有給など一度も使ったことがないはずだった。
「携帯なんぞ鳴らしたら僻地で一生交番勤務をさせてやると言ってある!!」
ガハハハハとガープが陽気にコップを掲げて、それにドフラミンゴがカチンと合わせる。
「全く平和とは素晴らしい。フッフッ虫唾が走る」
義孫(?)のために有給をとった警察官僚二人と、それにつきあうヤクザ一人。
「張り切るぐらいならもうちょっとまともに接してやれよい」
溜息をつきながらこたつに足を突っ込む。布団の下で若干の醜い争いを演じてから、差し出された湯呑で酒を受ける。
「―――いつもはああじゃないのかい」
口火を切ったのは珍しくつるだった。冷淡に見えて思慮深い面にわずかに後ろめたさがある。昔から子どもは苦手だと公言して憚らない人だったと苦笑が漏れる。
「おまえ本当にちゃんと面倒を見てやってるのか!ろくに喋りもせんし飯も食わん!子どもが元気なくてどうする!!」
こちらは相も変わらずの無神経さでしみじみと腹立たしい。言葉にしない部分で孫と存分に遊べなくて期待外れと思っているのが透けてみえるだけに余計にだ。
「エースは家ではよく喋るしよく食ってたよい」
エースの勢いこんで喋る様子や、食っている途中で寝落ちする愛らしさを動画で送りつけてやろうかとも思うが、見せてやるのすらもったいない。
「ここに来るまでも、『ウチのかぞく』に会えるってんで楽しみにしてたら…、葬式ン時の恐いオッサンやオバサンがいたというワケだよい」
憮然とするガープは言わずもがなの鬼瓦だし、葬式のときのつるの態度は、あえて悪役をかって出たものだが、六歳の子どもにとっては十分恐怖だっただろう。ドフラミンゴなぞは存在自体が周囲を威嚇しているようなものだ。
「フフッ、それぐらいで怯えてもらっちゃァ困る。浮世では生き延びれねェ」
「わしは何もしとらんぞ!!」
「自覚ねェのが一番性質悪ィ。まず、ガキの前で喧嘩すんなよい。エースは警戒心が強ェから、自分への敵意じゃなくても反応しちまうンだよい。その代わり、きちんと丁寧に説明すれば信用してくれるよい」
蜜柑を剥きながらつるが「そうかもしれないねェ…」と呟く。
「あの子どもは敏い目をしていたね。見透かされそうで怖いと思ったこともわかってしまったのかもしれない」
「…オレのときは硬直していたぜ。何をのぞいちまったかな」
「教育上よくないことだけは確かだよい」
ふふ、とつるが小さく笑って、きれいに筋をとった蜜柑をマルコとドフラミンゴの前に押しやる。次の瞬間にはぎらりと眼光を閃かせる。
「さて、作戦の失敗は明日に持ち越さないのが原則だね」
宣言した顔は既に警察庁警備局の懐刀と呼ばれる参謀のものだった。
「作戦会議だ!!」
ガープが得たりとこたつの天板を叩き、ドフラミンゴが派手な指笛をならして囃し立てる。寝かせろよい、と誰が聞くでもない愚痴を呟いて、マルコは蜜柑を口に放り込む。あいにくと夜はまだまだ長かった。
翌朝、マルコとエースはいつもより少しだけ遅く起きだして、久しぶりに人に作ってもらった朝食を食べた。
今日一日特に予定はない。午後からじいさんの墓参りに行こうと思っているぐらいだ。幸いにも天気は良く、冬晴れの空が高く広がっている。古くとも大きな家は真冬にも関わらずあちこちの雨戸を開け放って風と光を通している。草木の茂る庭に面した縁側は、生垣に囲まれて往来からは見えず、日当たりも素晴らしく、冬には近所の猫も日向ぼっこに訪れる絶好のポイントである。昨夜から引き続き、小さな体を緊張させてマルコにくっついて歩くエースを、そこに誘導するのは難しいことではなかった。
マルコの影から縁側に踏み出したエースの足がぴたりと止まった。明るい冬の朝に、ゴリゴリとリズムの良い音が響く。広い庭ではガープが一心に木材に鋸を挽いていた。低い台に載せた長い板を片足で押さえ、両手で握った片歯の鋸を慣れた様子で前後させる。動きにあわせて板は揺れながら、少しずつ切り込みを深くしてゆく。切断面からはらはらと木屑がこぼれ、地面に一筋の線を書く。足元には既に何枚かの木片がおいてあり、金づちや釘なども散らばっている。エースの視線が好奇心をもってそれらの間を動くのをさりげなく確認して、マルコはガープに話しかける。
「朝っぱらから何やってんだよい」
「見てわからんか。巣箱じゃ。そこにほら」
ガープが庭の一画に立つ樹を指さす。冬で葉はすべて落ちているが、立派な枝ぶりの楓で、庭の中でもひときわ大きな樹だ。指にあわせてエースの小さな頭がくるりと上向く。
「アカゲラやヤマガラが来るんじゃが、どいつもこいつもやせっぽちで見とられん。巣箱とな、餌台でも置いてやれば冬を越すのも楽になるじゃろう」
そこで今気づいたようにエースに目をやる。繰り返しマルコやつるが強調したように、いっそ素っ気ない態度でガープがエースに声をかける。
「坊主、アカゲラは知っとるか?」
ちょっと体を強張らせて、しかし、思わずといったようにぶんぶんとエースが首を横に振る。身を乗り出したその仕草から否定ではなく好奇心だとわかる。ふっとガープが目元を綻ばせる。
「頭だけが赤くてな、尻尾の白と黒の格子が見事な鳥じゃよ」
鋸と板切れをその場に置いて、思い直したように鋸だけもってよっと掛け声とともに縁側に上がる。隅に放り出してあった小さな本をつまんでパラパラとめくる。
「野鳥ハンドブックじゃ。こういう地味な鳥は子どもの図鑑には載っとらんかもしらんな」
引き寄せられるようにしゃがみこんだエースの前に、開いたページを見せる。
「これがアカゲラ。きれいな赤じゃろう」
毛むくじゃらの太い指でそっとページをめくる。
「これがヤマガラ。派手な色でな、すぐわかる。こっちがコガラ。ヒガラも来るがようわからん」
地味な色ながら、なじみのある姿の鳥たちが一羽一羽名前とともに載っている。エースの図鑑は世界中の鳥がテーマだったから、身近な鳥はあまり載っていなかった。
「餌台にはリンゴやヒマワリの種、あとは脂身のきれっぱしを置いておくんじゃ。カラスが来んように網もかけてな」
そう言って、おもむろにエースの前に鋸の柄を突き出す。
「やってみるか」
口はへの字のまま、きらきらとした目でエースがガープを見上げる。戸惑いと好奇心と警戒と興奮とがないまぜになった顔に、マルコはいっそ感心する。男子に鉄板の「工作」とエースの大好きな「鳥」に、子どものプライドを満足させる「一人前扱い」。つるの立てる作戦はいつでも完璧だ。うずうずとしている背に最後の一押しをする。
「ほら、ちゃんと返事しろよい」
「…やる!」
ガープも今度こそ破顔して頷く。
「マルコにもちゃんと見てもらえ」
「うん!!」
意気揚々と鋸を受け取って裸足で庭に飛び降りようとする子どもを慌てて止める。急かされながら玄関から靴をもって来れば、エースは午前の光を浴びながらこの家に来て初めてケラケラと笑っていた。
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