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あおいとりドロップ 7




 
 
 
センゴクの話は気になったが、明確に打てる手は何もなかった。懸念を抱えながらも、またいつも通りの日々に戻る。
エースは最近朝早く起きて朝食の準備を手伝うようになった。マルコは自分が寝汚い自覚はあるし、朝も苦手だ。一人の時は朝食など行きがけのコンビニで買って会社で食べていたが、エースがいればそういうわけにもいかない。ごはんと、前夜の味噌汁と、玉子の何か。スクランブルエッグにしたり、目玉で焼いたりで、間違っても玉子焼きなどできはしない。そのうちエースが保育園から得た知識を基にビタミンを要求するようになったので、果物か、サラダ的な何かが加わるようになった。最近の保育園は食育もしてくれるらしい。まったくありがたいものである。包丁やコンロはまだ扱わせられないから、エースの役目はもっぱら玉子をかき混ぜたり、レタスを千切ったり、そういうことだ。その間にマルコは玉子を焼いて、トマトやキュウリを切って、味噌汁を温める。
そうやっていつものようにニュースを眺めながら朝ごはんを食べていたら、思い出したようにエースが言った。
「マルコ、おれ、ほうちょうほしい」
「包丁?」
思わずオウム返しにすれば、こくりと頷く。
「…なんで包丁なんだよい?使ってみてぇのか?」
今度は首を横に振る。わけがわからず促せば、もぐもぐと噛んでいたごはんをごくりと呑み込む。
「おれがりょうりできたら、マルコがたすかるだろ?」
朝っぱらから腹にヘヴィな一撃だった。
「…………エース…」
「なに?」
そりゃ確かに朝は苦手な上に、料理も下手だし、上手くなるような努力もたいしてしていないが。
「子どもに生活力を心配させてどうするよい…」
不審そうに覗き込んでくる子どもの頭をぽんぽんと撫でて、気をとりなおす。
「まだ早ェんじゃねぇのか?」
「ほいくえんでもつかったことあるから、はやくない」
「そうかよい。…そりゃおまえが料理に興味があるってならいくらでも買ってやるけどよい。そうじゃないなら、せめてもっと好きなモンをねだれよい」
「でもおれほんとうにほしいんだ」
「…なら、まあ、子ども向けのヤツ探しといてやるよい」
「うん」
食事を再開するエースはこころなしか満足げだ。あまり欲しいものを言わない子どもだから、叶えてやることに否やはない。別に金銭に困っているわけでもないから、もっと言えばいいと思う。男子ならそれこそ、サッカーボールや野球道具、携帯ゲームなどいくらでも欲しいものもやりたいこともあるのではないか。さすがにすべてを買い与えるつもりは毛頭ないし、甘やかすのも無理強いするのもまずいとは思う。しかし、やはりそれでも、いきなり料理道具というのもどうだろうか。
いつも通りにエースを園に送り届けて、いつも通りに仕事をこなしながらも、一度気になるとつい考えてしまう。さらに職場の子持ちの同僚と無駄話ついでに聞いてみれば、返ってきたのは割と想像を絶する世界である。つまり、野球やスイミングなど序の口、英会話教室や、ピアノやバレエやダンスや劇団や…、そういうことだ。もちろん、聞けば熱心なのは母親の方で、子どもも男よりは女子の方がそういった熱が高いらしい。
「…最近のこどもは大変だよい」
「まったく。煽られる子どもの方がいい迷惑」
誰にともなく呟いたら、背後から涼しい声で返答があってマルコは思わず飛び上がった。
「ベイ、あんたか…。驚かすなよい」
通称・開発部の氷の女帝が、相変わらず小柄な体を高いヒールで嵩上げしてマルコに向かって嫣然と笑った。マルコとは同期になる彼女は元は同じ営業部で、結婚・出産して開発部に移動した。完全に男社会だったこの会社に、産休と復帰と時短勤務という概念を持ち込み、誰にも文句を言わせない業績を上げる女傑である。
「マルコ、さ来週の営業部飲み会、行くわよ」
「いきなりなんだよい」
嫌な話題が出てきてげんなりと返す。
「もともとアンタの送別会だったンでしょう?聞いたわよ。あっさり断ったって」
「独り身のガキ持ちを飲み会に誘う方が無茶だよい」
数日前ハルタが持ってきた話だったが、その場で断った。さらにマルコがエースを引き取ってから一度も飲み会に参加していないことを聞いて驚いていた。同情するような目を向けられたが、子どもがいるなら当たり前のことだし、言うほど不便でもない。それを若い同僚に想像しろというのも難しいのかもしれない。
「だから、アタシもウチの子を連れてくるから、アンタも来なさいっていうこと」
「何で課の違うあんたが出てくるんだよい。自分が飲みてェだけだろ」
「悪い?」
ベイの子どもは確か四歳だったか。もとは相当な酒豪だった女である。子育ても一段落してたまには飲みに行きたいというのもわからなくはないが。
「大丈夫、座敷にしとけって言っとくし。あんたも同僚の恨み言のひとつやふたつくらい聞いてやんなさいよ」
笑い含みのベイの言葉に溜息をつく。マルコが急に抜けて、古巣がてんやわんやなのは聞き及んでいる。イゾウやビスタあたりが嫌味のヴァリエーションを用意して手ぐすね引いているのはわかっているのだ。ベイを巻き込んだのもどうせ彼らに決まっている。
「…わかったよい。ただし、エースに聞いてからだ。嫌だって言ったらこの話はなしだよい」
「わかったわよ。アンタもすっかり保護者ね。エース君か、会うの楽しみ」
禁煙の店選んでおくわ、と言い残して立ち去るベイは、既に行く気満々のようだった。思い出せば、彼女が妊娠するまでは良く飲み、互いに仕事のことでも何でも話していた。しかし、ここ数年は時間も合わず、話題も合わなくなってしまい話す機会すらなくなっていた。
それがこうして思いもしなかった共通項として持つことで、再び認識を共有するようになっている。可笑しな気分だった。むしろ若い同僚の話す言葉の方が、今はもう食い違う。彼らに禁煙の店を選ぶような発想はないだろう。
むろん誰かが変わったわけでなく、マルコの視点が変わっただけなのだ。エースといれば今まで見えていなかったものが見えてくる。それは多分独り身で気楽に酒を飲める立場より得難いものだった。マルコはほんの数か月での自分の変わりようを少し笑って、せっかくだからエースの可愛さを独り身の野郎どもに自慢してやろうと決めた。
 
珍しく早めに保育園に迎えに行って、すれ違う余所の母親たちの会話を聞くともなしに聞いていれば、またぞろ習い事の話なぞを思い出す。始めるなら早い方がいいなんて話が聞こえてくればなおさらだ。それでなくとも周囲から浮く身を若干縮めていたら、自分以上に周囲から浮きまくっている人間を見つけてマルコは目を丸くした。
「おやァ、珍しい」
珍しいのはアンタだよい、とは口にせずに、マルコも苦笑する。シャンクスと名乗った男は、左目にかかる三本傷を歪ませてにっかりと笑った。
保育園という空間の中で、野郎でかつ平均以上に上背があるということは邪魔なことこの上ない。それが二人もそろえば尚更だ。ということで、お互い被保護者を拾うと、早々に退出することになった。相変わらず動物のようなルフィという子どもとエースが、まるで仲の良い兄弟のように手をつないで歩くのが少し眩しい。
「いやあ、珍しく仕事が早く終わってさ、たまに早く来たらほかのガキどものが泣くわ喚くわ」
海賊が攫いに来たーって言われちゃってさ、ガハハと大口を開けて笑う。
「そりゃア…無理ねェよい」
園児にとっては朝早くに預けに来て、夜遅くに迎えにくる人間を知らないのも無理はない。さらにおそらくルフィがずっと自分の保護者のことを「カイゾク」だと公言しているのだろう。身長百八十センチを超える大男が派手な傷と片腕とチンピラシャツで現れたら、大概の子どもは泣くのではないだろうか。
「アンタ、どうせ悪乗りして脅したンだろい」
「ハハッ!保育士さんにスゲー怒られた!怖ェのなんの」
半身を揺らして笑う。以前もそうだったが、ずっと笑っている印象のある男だった。仕事が早く終わったと言っていた。どんな仕事なのか想像もつかない。
「あんた、仕事は何をやってる?」
「当ててみてくれ」
何の躊躇もなく返されて、言葉に詰まる。これは答える気がないということだろうか。真意を測りかねて顔を覗き込めば、ルフィという子どもと同程度にはキラキラしい目がマルコを見返している。とても同年代の同性とは思えない。思わず呆れてしまった上に、それをあからさまに表情に出してしまったとしても、とがめられはすまい。多分、そんなことを気にするタマではない。
「…作家。あるいはそれに類するモノ」
「ブッブー!」
「…在宅のトレーダー、か、プログラマー」
「違うよーってか、何で在宅!」
「その恰好で通勤はねェだろうよい」
まあ、本当を言うと、体つきからして椅子に座る職業ではないだろうとは思う。ヤクザかと聞きたいところではあるが、包み隠されもせずにそうだと言われたらそれはそれで困る。ただし、ドフラミンゴやミホークのような裏社会臭がしないのも確かなのだ。拘束時間が長くて見るからに怪しい人間が務まる堅気で在宅でない肉体系の仕事ってなんだ。
考え込んでしまったところに解答をくれたのは、前を跳ねていた子どもだった。
「シャンクスのしごとはぼうけんすることだぞ!」
振り向いた顔が実に誇らしげだった。ルフィと手をつないだままのエースがぽかんと「ぼうけんか?」と繰り返す。マルコもまったく同じ気分だ。ぼうけんかって、冒険家、かまさか。
「あ、ルフィ!ばらすな馬鹿!」
「…そりゃあんたのほうがばらしてるよい」
冒険家。ちょっと茫然とする。知識としてそれが存在する職業であることは知っているが、生モノを見るのは初めてだ。クック、アムンセン、ナオミ・ウエムラ。子どもの頃、読んだ物語を思い出す。誰もが一度は夢想する。それを果たせる者は限りなく少ない。やみくもに興奮が湧いてきて「凄いな」と呟く。
「あんた、凄いな。何処に行くんだ?海か?それとも山か?道理でやたら鍛えてるはずだよい」
そうであればこの浮世離れした風情にも、そのくせ裏の臭いがしないことにも説明がつく。ひどく納得した勢いで聞けば、男の方が目を丸くした。
「あ、信じてくれんの?うぉすげェ!!一発で信じてもらえたの初めてだ!」
絶対、最初は冗談か詐欺師か頭のおかしい人間の三択なのにな。腹を折って笑いだすから思わずムキになる。
「言われてみりゃあんたは、それか海賊にしか見えねぇよい」
「ハハハ、まァそうさ。海賊と冒険家なんざ、百年前までは一緒のモノさ」
笑いすぎでにじんだ目元をぬぐって、今だって、とシャンクスは続ける。
「冒険家ってカッコつけたって、九割がたは地味に資金集めだ」
大げさに嘆いてみても、目が誇りと自信に満ちている。そこに浮かぶ不遜なほどに強い光に思わず惹きつけられる。
「でもあんたほんとに変な人だな!すげェいいよ!嬉しいな、なァ、あんたもおれたちと一緒に行かないか?!」
満面の笑みだった。そのくせ凄みのある眼差しでマルコを射抜いて片手を広げる。片手、と片方の肩を。中身のない袖がひらりと揺れて、マルコは不意に言葉を失くした。
「シャンクスのアホ!!いっしょにいくのはおれだってやくそくしただろ!!」
ルフィの大声で我に返った。そこは陽の落ちた住宅街で、いつの間にか腕にはエースがくっついている。跳びかかったルフィをじゃらしながらシャンクスはふいと微笑んだ。
「そうだな。おまえを宝島に連れて行ってやるんだった」
まるっきり子どものようにくしゃりと表情を崩せば途端にまとう空気が変わる。
「だけどなぁルフィ、おまえカナヅチのまんまじゃあ海には出れねぇぞ?」
「そんなの!すぐおよげるようになるっていっただろ!!」
「そういっておまえ全然ダメじゃーん。やーいカナヅチルフィ」
子ども相手に大人気なくべろべろばーをする推定年下の男に、うっかり見惚れたとは死んでも認めたくないことだ。溜息をついて、無言でくっついているエースに手を差し出せば、小さな掌が強い力で握り返してくる。無難な平和的な話題を探して、そういえば今日一日一番の懸案だったはずのことを聞いてみる。
「あー…、あんたもスイミングスクールとか、通わせてるのかよい」
「まっさかー」
まあ、そうだろうな、と聞くまでもなかった回答に頷く。この「親子」が習いごとなぞに悩むわけがない。自らの懊悩が実にちっぽけすぎて溜息が漏れる。
ルフィを肩車にして片手で器用に支えてシャンクスが振り向く。
「だってマルコ、考えてもみろよ。こいつらどうせスグに『親』なんかいらなくなるんだからさ。今ぐらいはうんざりするぐらい一緒に遊んでくれたっていいじゃんか」
すーぐにうぜーとか、だまれーとかいっちょまえに言い出すんだぜ?シャンクスの肩の上で何も知らず笑い転げている子どもも、マルコの手を絶対的な信頼で握り返してくれる手も、またたくまに大きくなって、さびしいほどにあっけなく離れていく。それは当たり前のことで、それがさびしいのも当然のことで、ならば、確かに今ぐらいうんざりするほど一緒に居てもいいのかもしれない。
「ダメな大人だよい」
「まったくだ」
とりあえず、子ども用の包丁だけは週末に買いに行こう。それだけを決めてマルコは余計な煩悶をやめにした。幸せは子ども自身が決めるものだと、胸のうちで繰り返した。
 
 
 
営業部飲み会は、エースがすんなりと頷いたことで参加することと相成った。初対面の相手には警戒をむき出しにすることが多いから意外にも思ったが、どうやら興味の方が勝ったらしい。思い返してみればいつもそんな感じだから、あの派手な威嚇はあるいは好奇心の裏返しなのかもしれない。
指定された店はベイの予告通り座敷席が多く料理の旨いことで定評のある和食居酒屋だった。場所も会社とマルコの家の中間あたりに設定してくれているのが有難い。一度退勤してから保育園にエースを迎えに行き、現地で集合する。エースにはとりあえず酔っ払いに絡まれたら容赦なく噛みつけと言ってある。
居酒屋の喧騒の中でも、ひときわ喧しい集団がマルコとエースを目ざとく見つける。
「お、主賓が来た!」
「遅れたよい」
十数人の大人に一斉に注視されて、握ったエースの手がわずかに強張る。しかし、すぐにぎゅっと力が入って、無遠慮な視線に臆することなくパカリと口を開いた。
「コンバンハ」
むしろ喧嘩を売る気概であったと、のちに評された。
「おれのなまえはエースです。マルコがいつもおせわになってます。これからも、よ…よろしくおねがいします」
マルコが思わず天を仰ぐのと、むくつけきどよめきが居酒屋を揺らすのは同じだった。
「おい、なんだずいぶん出来たガキじゃねぇか」
「オレぁマルコがガキを拾ったって聞いたんだが、逆じゃねぇのか」
「いやいや、ありゃすいぶんイイ眼光をしてやがる。見ろ、下手を言おうモンなら噛みついてやるって面してらァ」
「マルコ、テメェこんなガキんちょにどういうしつけをしてやがる!」
「テメェらうるせぇよい!」
蜂の巣をつついたような騒ぎを古参の権威で黙らせる。とりあえず端の席を確保してエースの防波堤になってはみたものの。思わず小声で確認をとる。
「エース、あれァ誰から教わったよい」
「ルフィがシャンクスに教えてもらったって」
「……」
あの浮世離れの極楽トンボめ。
いささか酷な評価であるとわかっているが思わずにいられない。保育園では家の事情など筒抜けであることはわかっていたものの、いちいちそれに伝言を寄越してくるか。
「まさか…ほかにも、教わったことがあるのかよい」
「うん。だれかにマルコにかのじょがいるかってきかれたら、おれがろうごのせわをするよていですっていえって」
「あのクソガキ…エースそれ間違いだから絶対言うなよい」
「そうなのか?」
こそこそと話している間にも、マルコにはビールが、エースにはオレンジジュースが回ってくる。念のため匂いを嗅いで酒でないことを確認してから、エースに手渡す。
「信用されてないねェ」
どっかりと長い髪の男が隣に座りこむ。
「当たり前だよい。てめぇらの悪ふざけは度が過ぎる」
「エースくん?よろしく~。このオッサンの元同僚のイゾウでェす」
両手を可憐に組んで笑う、整った美貌は一見女にしか見えないが、声はドスの効いた男のものだ。エースが初めてみる種族に目を白黒させている。
「エース、こいつにオカマって言うと殺されるから気をつけろよい」
「テメェが言ってンじゃねェかよこのクソハゲ」
「…イゾウ、子どもが怯える」
「おまえの図体の方が怯えンだよ。だいいちビビるようなタマじゃねェだろ。見ろ、この目」
「なあ、エース、マルコにちゃんと飯食わせてもらってる?変なことされてねぇ?マルコってかのじょ連れてくる?」
「あんたら、酔っ払いがカラむんじゃないわよ」
「ベイ、いいとこ来たよい。助けてくれ」
ベイの子どもがよたよたと歩いてエースに手を伸ばしてくる。大勢の中で人見知りしない子だ。エースが思わずというように抱き留めて、それを見た周りの大人がやんやと囃す。
「いい子じゃないの、マルコ」
「当たり前だよい」
一斉に向けられた周囲の生温い視線は、反論する気もないので柳に風と受け流す。
注がれる酒を適当に飲んで、冗談まじりの恨み言に大人しく相槌をうつ。エースはベイの子どもと一緒に数人の面倒見の良いメンツに囲まれて、あれこれ話しかけられるのに素直に答えている。自分より幼い子どもがいると、途端に大人びるのが可愛いものだ。エースは同世代の中や年上の人間の中では気性の烈しさばかりが目立つ。保育園のクラスでも喧嘩は絶えず、しょっちゅう誰かを泣かせている。泣かせる理由もさまざまだが、エースから手を出すことが多いうえに、謝りも言い訳もしないらしい。そのくせ年齢が入り混じる延長保育では不思議とトラブルが少ない。おかげで保育園の先生たちの評価は――直接言われたわけではないが――難しい子どもだと思われているのが七割。気難しいが年下想いのしっかりした子どもだと思われてるのが三割というところだ。マルコにしてみれば、口下手で喧嘩早くて年若い者を可愛がるのは、そのまま、「白ひげ」と呼ばれ希代の侠客とされたじいさんの気質だった。例え血など繋がっていなくとも、それこそがじいさんの子どもの証だった。それだけで誰に頭を下げるのもかまいはしなかった。
「マルコ」
「……なんだよい」
ぐるりと宴会を回ってきた元同僚が再びどっかりと隣に座りこんでくる。握った一升瓶を傾けるのを片手で遮る。飲みすぎれば子どもを連れて帰るのは大変になる。にやりと片頬だけ歪めてイゾウは瓶を引っ込めた。
「すっかり親バカの顔をしてンじゃねぇか」
「それはもうあちこちで言われたよい」
「らしくもねェ」
「そうでもなかったってコトだろ」
「馬鹿言うな」
ばっさりと切り捨てられて、笑ったままのイゾウの顔を見返す。
「テメェみたいな仕事馬鹿が、こんなの長く保つわけがねぇ」
「…九時五時で帰る生活も存外悪くないよい」
「物流部門から改善要求と提案が馬鹿ほど増えたって社長がぼやいてたとさ」
「給料分の仕事してるだけだろ」
「あそこじゃ何もできやしねェさ。十年経ってガキがテメェのことなんざいらなくなったとき、テメェはどうするつもりだ。今の部署じゃキャリアなんざ無い。ウチが終身雇用の殿様会社じゃねェことは分かってンだろう」
営業部随一の美貌を歪めて短く鼻をならす。
「さっさと誰かに押し付けろ。さもなきゃ結婚でもして女に面倒見させろ。テメェの能力は買ってンだ。ここじゃ三年現場を離れりゃ使いモノにならなくなる。早く戻ってこい」
イゾウの言うことは嘘ではない。トレンドが目まぐるしく入れ替わり、パターンも素材も色も微妙に、そのくせ致命的に変わっていく業界では、一線を離れて感を鈍らせることは最悪だ。会社は若く小さく無用な人間を置いておく余剰はない。少なくとも年を食えば体力では若者には勝てない。マルコが五十になって体力がおちれば会社としては、若い人間を安く採用してマルコの首を切る方が賢明だ。
「…そうならねぇためにあれこれしようとしてンだけどな」
「ずいぶん余裕な話だ」
「おまえの言い分はわかるけどな」
冒険家だと名乗った男をちらりと思い出す。片腕で冒険家でそのうえ子持ちだ。どうやって食っているのかもわからないが、少なくとも人生を楽しんでいるように見えた。あれを見ていると悩むのが馬鹿らしくなる。
「おれは、そこを考えるのはもう止めたンだよい」
 
紹介すんなら嫁か転職先にしてくれと口の悪い友人の肩を叩く。イゾウは無言で酒を呷って、それ以上は言わなかった。
子持ちの予定にあわせた飲み会は早々にお開きになり、帰り道をエースと歩く。エースはなかなかに上機嫌に過ごせたようで、半分眠そうにしながらも一生懸命、誰がどんな話をしてくれたのか報告してくれる。結局「マルコのろうごのせわ」云々は言ってしまったらしい。「おれ、りょうり、がんばってつくるから」と意気込むのは、いったい何をふきこまれたものやらと心配になる。
それでも、エースはきっと料理はできた方が良い。今でも身の回りはできる方だとは思うが、洗濯も掃除もひととおりできた方が良いだろう。十年後、ガキに必要とされなくなったときにどうする、とイゾウは言ったが、きっと、早々に反抗期を迎えて、十年と少し後にはとっとと自立した方がエースのためにとっても良い。マルコは自分の老後の世話などエースにさせるつもりは毛頭ない。
「日曜日に、包丁、買いにいくかよい」
「うん!」
話しかければ満面の笑みが返る。十年後はさぞかし生意気になっていることだろう。仕事をないがしろにする気はない。だけど今はそれより優先しなければならないものができてしまった。少なくともマルコの十年のキャリアよりは、エースのこれからの十年の方が重いはずで、自分のキャリアなんぞ、そこからもう一度積みあげれば良い、ただそれだけだった。
 
 





 
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