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アルコールとセックスと猫、そして彼をめぐるいくつかの謎 閑話2

 
 



閑話 二
 
 
 皮肉家ではあるかもしれないが、悲観論者からは遠い。秘密主義というよりは、あれもこれも面倒だというクチだろうと、サッチはこの愛想のないバーテンをそう値踏みしているのだが、実例のヴァリエーションには事欠かない過去の実体験を鑑みるに、なぜかいい女に限ってこの類いの男に弱い。貢ぎ物どころか甘い言葉さえ寄越しはしない相手に、止める間もなくズブズブとハマる。波瀾万丈にして喧嘩上等、弱肉強食なチンピラライフを送ってきたサッチが、この酒場へ来るときに限って常に独りなのは、概ねそんな理由で――
 
「あ、来た来た!ほら、サッチ来たぜ、マルコ。おれのカン冴えまくりじゃん。まぐれじゃないって、これ絶対」
 そんな理由だったはずが、くるり変わった。最近になってやたらとカオを合わせるようになった、一応は成人しているらしい雀斑の青年。この屈託のないニューフェイスのバカ話をうりうりまぜっ返しながら、マルコに作らせた酒をガンガンやっつけるのが、キレイなおねーちゃんのぱよんぱよんの胸の谷間に、せーのでダイヴをかますよりも愉しい。枯れたかな、とほんのちょっと不安にならないでもないが、あまり深く考えない性質なので、サッチは今日も機嫌がいい。
 
 
 
 
 秘密主義でこそないけれど、この酒場のマスター兼バーテンは、控えめに言って謎だらけ、もとい謎まみれの人物と言える。こないだ酔っ払ったイキオイで羊の代わりにマルコについてわかっていること――他人から得た情報としてではなしに、この店に通うようになって自分が知ったこと――を数え上げてみたら、金髪、ヘンなあたま、じきにハゲの三つしか浮かばなかった。翌朝になって、そーいや目の色が青だったなと思い出したりしたが、なんだか不毛な気がしたので止めた――まあそんな程度だ。たかが知れている。
 ミルクの焼酎割りとオーダーした時点でお高いバーから丁重にお引き取りをと促された経験が一度や二度ではない(客の好みをとやかく言ってるわけじゃねェ、オーダーしたお前の見てくれがヤバすぎた所為だよい、と後にマルコはそんなほろ苦い過去をバッサリと斬って捨ててみせた)サッチは、寝ているのか起きているのか判断しかねるような重い瞼の持ち主の手許に目を遣って、期待に胸を高鳴らせた。そっけないステア。それでも、ミルクと焼酎とが音もたてずに、けれどもサッチの無駄に優れた動体視力を鼻で笑うようなスピードでミキシンググラスの内側を駆けめぐるようすを目の当たりにすれば、目の前の人物の腕前くらい見当が付くというものだ。
 あのとき、一口飲んで、美味ェよ、と涙目で讃えると、バーテンはわずかに――カタギならば気付かずに終わるほどの――動揺の色を見せた。ひやかしの客だと思って油断した、と未だにマルコは後悔を口にする。まさか本当に飲みやがるとは思わなかったんだよい、とわざとらしいほどのためいきを吐いて、エースの前で迂闊を嘆く。
(飲まないと思ったのに美味い酒作って、でも飲まれちまったから失敗?意味わかんねェな、あんたらって)
 わかったようなわからないような表情をしている青年は、たぶんまだ、このバーテンが身を置く深刻な状況を、まったく知らない。
 薄暗いビルの地下。となりの大衆酒場から響き渡る演歌と、もうひとつのとなり、小洒落た焼き鳥屋に流れるムーディーなジャズとが、好き勝手に店内に渦巻いている。どちらの店もあまり美味くはない――マルコの店の客の入りはと言えば、さらに救いようがない。
 わけあって、身を隠している。だから美味くもないが不味過ぎもしない(さらにいうなら、かろうじてトラブルにはならないが高い)酒を言われるままに出し、常連客どころか人の口に上ることのない平凡な酒場を巧妙に作り上げて、素知らぬ顔をしている――
 よくは知らないが、大体そんなとこだろう。下手に詮索して姿を消されでもしたら、かなり傷付く自信があるので、サッチは何も訊かない。
 
 
 
 
「で、何よ?」
 席に着いたサッチと入れ替わるように、タウザーがふいと扉の向こうへと消えた。あれは何年前だったか、泥酔したサッチに「今夜はおれと熱い夜を過ごそうぜ」と抱きすくめられ、そのまま必死の抵抗むなしく連れ帰られてしまってからというもの、その警戒心ときたら生半可なものではない。その晩のことはサッチにはまったく記憶はない(爪痕ならば、翌朝起きてみたらたじろぐほどにあった)が、よほど鬱陶しい目に遭ったのだろう。まあ想像は付かなくもない。
 おれのこと待ちわびちゃってたんだろ、とおどけた調子でエースの顔を覗き込む。ははーん、かまってほしーィ、とか?おれオマエなら宗旨替えして喜んで喰っちゃうぜ、とわざとらしく擦り寄ってみたら、頭上からの衝撃にぐしゃりと潰れた。カウンター席だけで事足りそうなこの酒場では滅多に使われることのない銀色のトレイ。手でふれて確かめるまでもない。おかげで自慢のリーゼントスタイルは瀕死だ。
「さ、サッチ?」
「――はぁい」
 おそるおそる揺すられて身を起こした。あ、死んでないと満面の笑みを向けられると、なんかもうどうでもよくなってしまう自分に呆れつつも、サッチはそんなお気楽な自分が大好きだ。
「おれ、こないだからちょっと間、このあたりを留守にしててさ。で、土産買ってきたんだ、ふたりに」
「ンまあ、気の利くコね」至近距離からの投げキッスを躱されて、ちぇー、とむくれる。半ばおふざけ、半ば本気。「まさか、この奇妙な物体とお揃いとかじゃないよな?」
「まっさかー。そんなのあんたら、テレて嫌がるフリするだろ?」
「ハイ!なーんか理由に納得いかねェところがあるんですけど」
「おれもだよい」
「じゃ、やっぱり色違いのストラップとかのがよかったのかな?」心持ち気落ちしたふうで、エースはデカい図体を――尤もマルコも自分も他人のことは言えない――心なし縮めた。「日本酒、なんだけど」
 どうやら米と水の佳い辺りへ行ったらしい。そう聞いて真っ先に浮かんだ土地でちょっと厄介な抗争があったことがチラリとリーゼントの内側をよぎったが、えー、なになに誰と何処行ったって?と、ふざけて訊いたのはするりとはぐらかされた。日本酒も飲むのかと、そういえばこないだ隣り合わせたとき、些かくどいほどに訊かれた気がする。甘酒以外はと答えた記憶も。
 観光客相手の店が建ち並ぶあたりから、ちょっとタウザー似の野良猫を追いかけているうちに路地裏に迷い込み、困っていたら偶然、あだっぽい――とは、エースは言わなかったが――なかなかの美人に出くわしたらしい。どうやら気に入られたようで、なんともいえない風情のある造り酒屋に連れて行かれ、あれこれ好みを問い質されたあとで、これなら間違いないからと、二本、これとこれにしろと推してきたと言う。
 
「好み――って、お前、何て答えたんだよい?」
「ひとりはカルヴァドス、もうひとりは芋焼酎を冷たいので割ったのがイチ推しなんだけど、って」よくよく聴いてみれば、その酒屋の一人娘だったそうだ。「試飲しまくった酒がどれも美味かったから、その姐さんのセレクト、たぶん堅いと思うんだよな」
 ほほう、冷たいの、だなんて、なかなか洒落た言い回しするじゃん、とサッチは感心した。おれも使っちゃおーかな、みたいな。たしかに、それまで左党同士、意気投合して盛り上がっていたのが、ミルクで、と言った途端、急によそよそしくなるケースというのは決して少なくないのだからして。
 
 フムフム考え中のサッチにはおかまいなしに、じゃーん、と安上がりな自前の効果音付きで、エースはパチリと指を鳴らした。ウィンクのおまけつきだ。溜息をつきながら、それでもマルコが冷蔵庫を開けてやるのを、サッチは呆然と見守った。自分がいくら頼んでも拝んでも、冷ややっこ用の豆腐一丁だって入れてくれた例がないというのに、甘いにもほどがある。
 瓶二本をサンキュ、と受け取り、さらに、そのちっこいの二つ貸してくれよ、と言われるがままマルコがすんなりこの店のものにしてはかなり高価なショット・グラスを並べてやるようすは、違和感満載、ホラーを通り越して既にイリュージョンだ。
 そんな視線に気付いたふうもなく、手漉き和紙か何かでラッピングされた一升瓶の、口のあたりだけをエースはガサガサと剥く。
「なんでそのままくれないわけ」
「だって、マルコは商売柄そうだろうなって見当付くけどさ、サッチもいろいろ詳しそうなんだよな。銘柄知ってたら、意外性無くなっちまって面白くないじゃん」
 酒を知識で飲むなんて野暮、しないんだけどナー、とこっそりひっそり胸のうちでだけ反論しつつ、ま、いっか、とサッチはうんうんと同意してやる。なにせエースがとびきり御機嫌とあっては、大概の事はスルーの方向性で何の問題もない。
 きゅぽん、とすばやく栓を抜いて手のなかに握り込んだのは、事前情報なしに飲んだときのリアクションをよっぽど愉しみにしているのだろう。キラキラと目を輝かせて、とぷとぷとぷとぷとぷ。
「えっと、左のがマルコ――」
 ってことは右がおれね、と躊躇なく、くいッとグラスを傾ける。一瞬の逡巡のあと、マルコも手を伸ばしたのが目の端に見えた。なぜだか驚いたようなエースの顔も。
 なかなかどころではなくいい酒だ。高級フルーツもかくやという実に上品な香り。やわらかな甘み。キラキラと咽喉を落ちてゆくようなイメージ――
 無言でグラスを置く。同じタイミングでとなりに置かれたグラスを掴む。示し合わせでもしたかのように、こちらの置いたグラスをマルコも手に取った。喉元もあらわに、それをくいと流し込んだのも同時。
 
「くーっ、たまらん。こういう濃厚でどっしりした山廃仕込、おれだーい好き!」
「佳い酒だよい。上品な色沢といい、さすがに純米大吟醸ともなると、ひと味もふた味も違うもんだよい」
「――――あんたらキモチ悪い」
 なにそのシンクロっぷり、と薄気味悪そうにこちらを見るエースの視線が痛い。だって「マルコが左」ってお前が言ったんじゃん、と抗議したら、「向こうから見て」だろ、とあきれたように言われた。
「なんで『マルコから見て』になるわけ?おれは?おれの立場は?」
「えーと、ついで?」
「……あそ」
 あしらわれても腹は立たない。純米大吟醸と同じく大吟醸の山廃仕込なら、むしろ後者、つまりはサッチの酒のほうが高かったはずだ。予算云々ではなく、あくまで、自分たちの好きそうな酒を土産にと考えたようなのが透けて見えて、くすぐったいような気分になった。テレ隠しなのか、そっけないそぶりがまた可愛い。さりげなく瓶のラベルをチラ見して、やっぱりあのあたりに行ってたのかと、胸の奥で燻る何かを無理矢理消した。あーもう、どーするよ?
 
 
 
 
 それなりに緊張していたのだろう。「んじゃ改めて、これ。土産な」とふたりにそれぞれ瓶を渡すと、晴れ晴れとした表情で、おかわりを催促するエースに、高く付きやがる土産だよいとマルコが苦笑している。
(――それにしても、このコってば)憐れみ成分をたっぷりと含んだ視線を向けると、ニコッと笑いかけられたので、慌ててサッチは、えへっと笑顔で返した。(こんな不味い店で、そんな美味そうに飲んじゃって、まー)
 そーゆーとこもカワイイよな若いコって、よーし、おにーさんが今度ちゃんとイケてる店に連れてっちゃるかンな、と実は言うほど金に困ってないサッチがひとりひそかに決意したそのとき、ふと湧き上がったおぞましい疑念。
(こいつもしかして、おっさん見る目に妙なフィルターかかってやしねェだろな)
 大袈裟でなく、ぶわりとチキン肌が立った。どうかしたのかよ?と目の前で掌をひらひらされて、ん?ううん、なんでもないよーん、とあきらかに納得していない相手を笑顔で押し切る。ならいいけど、とまた酒に戻ったエースが、美味ェ、としあわせを絵に描いたような顔をするので、鳴り響く着メロに店の外へすっ飛んで行ったその瞬間、衝動的に彼のグラスに口を付け――
 とりあえず、アンドロメダ星雲あたりまでは飛んだ。
 
「――お前さー……」
 カウンターの向こうから怪訝そうな視線を寄越す。なんてこった無意識かよ、と胸のうちで呻く。それってサイアク――最っ悪っっじゃね?
「あーっ、おれの酒!」
 バカ!サッチのバカ!!何飲んじゃってんだよ、バカバカバカ!!!と、すぐに戻ってきたエースに散々罵られて、サッチはうるりと涙ぐんだ。こんなガキが口にするには、あきらかに美味すぎるモスコミュール。わかってないオトナもわかりっこないガキも、どいつもこいつも、まったく世話の焼ける――
 
 やべェ燃えてきた、と口走って、ぎゅううとばかりにエースに抱き付いた。よせって熱ィだろ、と藻掻く力は見てくれに似合わぬ強さだが、力比べならまだまだ若者に負ける気遣いは――
 存在ごと消されてェかよい、とマルコがにっこり微笑むから、この勝負、サッチの負け。




(こよいさま)




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