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アルコールとセックスと猫、そして彼をめぐるいくつかの謎 1





※注意
このお話は、オフライン本の再録です。
「FLAME COLLECTOR」のこよいさまといねこの共作となっています。
書き手はそれぞれの話の最後に記載しています。






 
 
一 話
 
 
 ノイズのほうがよほどクリアなラジオからは、続々と運転取り止めの情報が聴こえてくる。一番最後まで残る無敵の――或いは単に往生際の悪い――乗り物とはなんだろうと、ふとマルコはそんなことを考えた。記録的な暴風雨の猛威により、その有力候補たる深夜バスまでが運転手及び乗客ごと横転とあっては、この先いくら店を開けていたところで、客の訪れなど望めはしないだろうことも。
 まあいつもとさしてかわらねェよい、とうそぶいて酒に戻る。「SLEEPING IN」の文字が半ば消えかけた、開店記念に作ったきりのコルクのコースターを見遣りながら、手酌さえも面倒で、壜に口を付けて生のまま呷れば、ちろり舌先を灼いた。
 どれほど陽射しが強い昼日中であろうと、この店はいつも、頑なまでに暗闇のなかに在る。外界と彼とを隔てる分厚い扉を、ギギギ、と大儀そうに押し開けては、「ドンパチでもやらかす気か」と口の悪い客が、そう言って嗤った。あの晩に辿り着くまでは、どれだけ遡ればいいのだろう。若いの呼ばわりされていたマルコが、いつしか他人をそう呼ぶようになっている。
 篭城する気などさらさらないが、超弩級と報じられる外の嵐でさえ、風の音すら感じられない。あすの朝、外に出てみたら、この辺り一帯は廃墟と化しちまってるかもしれねェよい、とそんなことまで考え始めた自分に、さすがにマルコは少しあきれた。芳しい香り、濃密な甘さ、ヘビースモーカーの女と交わした口付けのような、と流し込んだ酒の余韻に浸ってしまいそうになるあたり、これはかなり回っているかもしれない。
 そういえば、昨日の夕方からアルコールしか摂っていなかった。それでなくてもこの酒は、飲みやすさのわりにかなり度数が高い。
 時刻も時刻、天候も天候であることだしと、提げても提げなくてもあまりかわらない気がするプレートを、一応はOPENからCLOSEDへと裏返しに行こうと立ち上がった、まさにそのときだった。
 
 ゴオッ、と咆哮めいた凄まじい暴風が、店内に雪崩れ込む。客のボトルキープタグを付けたままの件のブッカーズが、カウンターを転がり落ちて、あっけなく砕ける音。不安定に揺れる照明に一瞬目を逸らしてしまったが為に、片手に酒壜、ずぶ濡れの全身から水たまりでもこさえそうな勢いで雨の雫を床に滴らせている青年を、今夜はもう看板だとそっけなく追い返すタイミングを、マルコは失った。
 タオルを投げてやる。まだ雀斑なんか頬に散らせたその客の、男にしては少し長いような髪の毛先が好き勝手跳ねているのが、とても自由な生きものである証のようで、マルコはほんのわずか息苦しい思いをさせられた。
 布地が色が変わるほどに濡れた状態で、遠慮なくスツールに腰掛ける。これでマルコの思惑はどうであれ、まごうかたなきバーテンと客の構図だ。
「飲み明かすつもりだった店が、こんなんじゃ客も来ねェって早じまいしちまって。警報がいくつ出た、あっちもこっちも電車止まったって言われても、まだちっとも酔えてねェし。この嵐ン中、まだやってそうな店探して、適当に歩いてた」
 一番往生際の悪い乗り物とやらは、どうやら人間だったらしい。肩を竦める。どこの界隈にも、規格におさまりきらない輩はいるものだ。
「そのターキーは?よりによって12なんかラッパ飲みしてやがったのかよい」
「これで勘弁してくれよ、って追い出されるとき貰った。キープしてた客が遠くに行っちまったから、気にしねェで飲んでやってくれって」
 遠くとは何処だろうと、表情を変えぬまま、マルコは漠然と考える。ブッカーズが好きだった旧い客の陰気な眼差しが浮かんだ。小指にワケありが透けて見える金の指輪を嵌めていたが、その下にはきっと傷痕があったはずだ。バーボンしか呑まなかった。ボトルを入れていた男と同一人物だったかは定かではない。ターキーの客も然り。
 同じ客だとしたら、行く先はたしかに遠い。とりわけ若さを振り回して歩いているような、目の前のこの客には。
「甘くて強いのが飲みてェんだ。カクテルとかわかんねェけど、なんか甘くて強いやつ」
 ワイルド・ターキーのライで、マンハッタンのスタンダード。飾ったチェリーを最初に摘んで、舌で招き入れるようにして、ちゅ、と音を立てる。あまい、と吐息まじりの声が言う。そうかよい、とそっけなく返す。
 二度同じものをオーダーした青年が、辺りを見回しながらスツールを降りたので、半分眠っていたマルコは、手洗いならそっちの扉からじゃなしにこっちから行けよい、と立てた親指で店の片隅を肩越しに示した。洗面所は店のものではなく、地下の店舗で共用しているものだが、客からは死角になるカウンター脇、身を屈めなくては絶対に通れない小さな出入り口からも、こっそり行くことはできなくもない。まともに外の風が吹き込む階段真正面の扉と違い、そちらならば、これ以上ワレモノの後片付けに手を焼かないで済む。
 嵐はよほど激しいのだろう。ラベルのターキーは半ばふやけて白茶けていて、もしかして中には雨水ってのもありうるよい、と手持無沙汰のマルコはグラスの横に無造作に置かれた壜の中身をまずは嗅いで、それから口を付けてみたが、どうということもなかった。ややあって、間接キス、という古めかしい単語が、記憶の奥底から浮かび上がってきただけだ。
 そういえば遅いなとそれでようやく気が付いた。終電の心配をしてやる必要はないから油断していたが、倒れられていたら困る――それは、バーテンの客に対する気配りというよりはむしろ、口実に近かった。別に本当に倒れているのではなどと思ってはいない。日頃何を飲んでいるかは知らないが、青年はどうやらかなり酒に慣れているふうだった。
 チカリとした光に目を凝らせば、石目調の漆黒の床に靴底の形をした琥珀色の星屑が煌めいている。ブッカーズの破片だということには、一瞬遅れて気付いた。
 
 
 
 
「………マスター?」
 やはり潰れてなどいなかった客が、不思議そうにマルコに目を向ける。
 銃の連射音のような雨音。ちょうど停電したようで、強風に開け放たれたままの洗面所のドアの向こう、通路の非常口マークが唯一の光源になっている。
「――――と思って」
「あァ?」
 二つある洗面台のさらに奥、姿身のカオのあたりに、「売女」と切り裂いたような赤――おそらくは口紅の仕業だ――で二文字。さらにその上から力任せに殴ったのだろう、蜘蛛の巣のように亀裂が走っている。
「凄いなこの鏡、と思って、つい」
 ちいさく笑った鏡の中の青年の片頬に、「売女」の文字が踊る。
 その刹那、理性らしきものを、マルコはかなぐり捨てた。
 親指と人差し指とで顎を仰のかせて、唇を塞ぐ。舌の根を枯らすほどに吸っては、同じだけ吸われもした生々しいキスのあとで、どこか放心したように、酒臭ェし、と呟いた青年の、額から頬にかけての色濃い陰翳が別人のようで目を奪われた。あまりの性急さに身を捩るのを、洗面台に肩から抑えつけておいて、引き下げたジッパーから指を忍ばせる。湿った布地が肌にしがみつくようなのをじんわりと剥がして、濡れた肉を握った。わざと音を立てて扱く。
 くそ、と舌打ちして無理な姿勢からマルコを睨め付けた青年の瞳は、黒なのにさながら燃えさかる炎だった。抗うどころか、まるで貪り貪られるのを待ちわびていたかのように、体温を上げる。
 濡れた首筋から雨の、その向こう側から不埒な匂いがした。みすみす誘き寄せられてやる。雨粒とも汗雫ともつかぬ水滴を舌先で壊して啜ると、青年は言葉を手放すことにしたらしい。胸許を這う片手に肌を粟立たせながら、切羽詰まった声音で切なげに鳴いた。
 熱すぎるような卑猥な肉を、サディスティックな気分で弄ぶ。掬っては擦り付けて、ぐちぐちと焦らしながら快楽の在り処を突き止めてゆく。どくりと手のなかで弾けたものが、指の隙間から、ぬるり滴る感触にマルコは口の端をうっすらと上げた。耳朶を舐るようにして囁く――お望みどおり、こいつで奥まで挿れてやれるよい。
 ちがう、というように頭を左右に振りたくるくせに、強請っているとしか思えない、厭らしいやりかたで腰を揺らす。下肢を露わにさせて、まずは小指。強引に抉じ開け、有無を言わさず見えない場所へと潜り込ませてやると、いまさら拒むように、ひくりとのけぞってみせるから笑わせる。狡いよい、と強引に指を増やしてゆく。
 意外にすんなり探り当てることのできたその場所を、ときおり引っ掻いては、無意識を装って素知らぬ顔を決め込んでいると、焦燥のあまり、とうとう考えること全てを放棄することにしたのだろう。鉤のように強引に関節を曲げて入口を歪ませ、ぐちゃぐちゃと悪さばかりするマルコのぬめった指を、残らず逃がすまいとばかり、ふしだらに内側を蠢かせてきた。
 そう急かすなよい、とわらって、じわじわ追いつめるように宛がう。苦鳴にも似た荒い呼吸を宥めすかしながら、これ以上はどうにもならないところまでを埋めた。まるでひとりであるかのようにぴったりと密着している躯から、小刻みな痙攣が伝わる。床にぱたたッと何か散ったのは、衝撃でまた達したらしかったが、落ち着くまで待ってやるだなどと、到底できない相談だ。
 洗面台の高さがお誂え向きだと言うことに、マルコは初めて気付いた。力任せに突っ込むのに、なにせ角度がいい。外の嵐は、ますます酷くなって来たようで、気付けば幾筋かの雨水が、蛇のように向こうからこちらへ流れ込んでこようとしている。闇にだいぶ慣れてきた目に、非常口の緑を帯びて映るそれは、幻想的とまでは言わないまでも、どうにも現実味に欠ける光景だった。声を上げさせたくて、頸動脈に齧り付いてみたはいいが、その仕返しはあまりにも官能的に過ぎた。獣のように低く唸って、いまさら嘘も真実も、何もかもどうだっていい。
 愛だの恋だの、余計な感情など入り込む余地のない、凶暴な衝動が全ての交わりに、ふたりして狂う。時折猫の声が紛れ込む嗚咽めいた呼吸。目が眩む。快感を遣り過ごせなくなって、靴底の星を散々に踏みにじる青年の脚を抱え上げて、さらに犯す。溺れる。
 
 
 
 
 そんな獣じみた嵐の夜が、そもそものはじまりだった。



(こよいさま)

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