忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

王の鳥(21)

 
 
 
 
 
 
二番隊隊長就任の宴だった。浴びるほどの祝いの言葉とともにしたたかに飲まされて、這う這うの体で白ひげの膝元に逃げ込んだ。上機嫌に酔った白ひげが片腕を伸ばして迎えてくれる。笑ってエースを掬いあげて、笑って何が欲しいとエースに問うた。
正式な祝いは既にもらっていた。蒐集家が望んで身代を潰すほどの価値がついた酒、それを二本。一本はその場で空けて振る舞った。隊長連が一口づつ口づけて廻して、残りは運の良い者の胃袋に収まった。もう一本は白ひげが海賊王になったあかつきに空けると全ての兄弟の前で誓った。笑われたが嗤われはしなかった。嗤わせはしなかった。果たせない望みだとは思わなかった。
もうもらった、充たされた昂揚のまま告げれば、あれは「家族」からのプレゼントだとかわされた。
 
――――ろくでなしの親父からクソッタレ息子にくれてやりてぇんだ。
 
何が欲しい?
 
 
酔っていた。後先など知らなかった。目に映ったものを知らず指差した。アレがほしい。
 
「あの鳥がほしい」
 
 
あの鳥。
―――――― 王の鳥。
 
 
 
 
 
 
 
 
エースは、オーズ.Jrに会うまでおとぎ話というものを聞いたことがなかった。
子どもの頃に山賊に囲まれて暮らせば、そういうものを語ってくれる人などない。文字は長い間読めなかったし、読めるようになれば子どもじみた物語はわざわざ読む気などしなかった。
オーズは巨人族で、人よりもずっと寿命が長かった。エースの何倍も何倍も生きていて、これから先、何倍も何倍も生きることができた。だからこそいろんな物語を知っていて、それを口伝えで語り継ぐことを誇りとする種族だった。勇ましい巨人族の戦士の冒険譚。たおやかな姫の悲しい恋の物語。愚かな王と賢い旅人の笑劇。知恵と機智にめぐまれながらそれに溺れたネズミの寓話。
誰かの口から語られる物語は色のない文字よりずっとエースの興味を惹いた。読めば陳腐でありきたりなおとぎ話も、人の語りを通せば身近で血の通ったものとなった。オーズの国に滞在する間、閑さえあればエースは物語を聞きたがった。船縁よりも頑丈な巨人の肩に腰掛けて、知らない国の知らない人々の、本当か嘘かですら定かでない逸話に耳を傾けた。嘘吐きモンブランの話。海の泡になった人魚の話。永遠に岩を運び続ける罪人の話。人食い虎になった詩人の話…。
国引きの巨人の話も聞いた。「オーズ」の名はその「魔人」の裔の名だと誇らしげに自慢した。
 
「オーズはなんでオヤジの下についたんだ?」
 
いつものように巨人の肩に飛び乗って、エースはまるで物語の先をねだるように問うた。巨人族の中でなら青年でも、オーズは白ひげよりも長く生きている。その巨体と力をもってすればあるいは「白ひげ」を打ち倒すこともできるかもしれないのに。
屈託なく渡された物騒な問いは、問うた本人が信じていないだけにより一層凶悪だった。戦争すら引き起こしかねない不躾な問いにオーズは心底愉しそうにカラカラと笑った。
 
「白ひげのおやっさんには鳥がいだからなァ」
「鳥?」
「賭げをしたんだ。どっちの方がでっけぇ声がでるかっでなァ」
 
あんなちっさい人間が、オレの自慢の雄叫びよりでっけぇ声を出すとはおもわねがった。
巨人の国では既に伝説になっているらしい。互いの命と誇りを賭けた白ひげとオーズ.Jrの雄叫び合戦は、山を削ったオーズ.Jrの咆哮と海を割った白ひげの一喝のどちらを勝者と決着するかでおおいにもめたらしい。互いに譲らず、すわ戦かと身構えた両者の前に降りて来たのが、目にも鮮やかな色をした大きな鳥だった。その鳥は迷わず白ひげの肩に止まり、それで巨人側は白ひげの勝ちを認めたのだと言う。
 
「……それってマルコのことだよな?」
「鳥は神さんの使いだ。鳥が選んだなら間違いはね」
「マルコはそんなつもりじゃなかったンじゃねぇの?」
「鳥の『つもり』なんぞ関係ねぇ。天の意志に逆らえるモンはいねぇからな」
 
そうしてオーズはもうひとつ、物語をエースに教えてくれた。
遠い遠い互いに隔たった国々で、いくつものいくつもの違った時代で、まるで定められたことのように語られた物語。
 
 
王たる者の傍らに降りる鳥の話を。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「オヤジと何悪巧みしてたんだよい」
 
船の狭い通路で。角を曲がったら出くわした男がエースを認めてわずかに口の端を引き上げる。意地の悪そうなその表情が、男が軽い驚きを隠すときの癖だと気付いたのは何時のことだっただろうか。
 
「悪巧みなんてしてねぇ」
「嘘つけ。こっちを指さしてただろい。どうせろくでもねぇこと話してたんだろい」
 
細い目が見下ろすように眇められるのは機嫌が良いか、完全に機嫌が悪いときだけ。今は機嫌が良い方。そんな一挙手一投足がわかるのが馬鹿みたいだと思った。
仕掛けてきた会話は、言うほど興味はなかったのだろう。すれ違って甲板に向かおうとする男の肘を掴む。何時の間にか背も体重も追い越して、独特な間合いも呼吸も読む術を覚えた。
掴んだ肘を引いて男を壁際に押さえつければ、眠そうな目を丸くする。これは予想してたときもしてなかった時も同じ反応を返して見せるからわからない。
 
「エース」
「悪巧みなんかしてねぇ」
 
酒が入っていても男の体温は低い。距離を侵しても男の感情は揺れない。
 
「酔ってんのかい」
「親父に何がほしいかって言われたから、あんたをくれって言った」
 
短く息を呑んで、するりと視線をそらして、堪え切れず笑う、そうしようとした男の。ずっと、何度も騙されてきた、常套手段を、遮る。
遮って噛みつく。
いつか人を狼のようだと例えた鳥の舌に、望みのままに牙を立てた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「あの鳥がほしい」
 
白ひげは少しだけ黙って、自慢の髭の先を捻った。それが困ったようにも愉快そうにも見えることを知っていた。それは間違いではなかったし、ことにエースといるときはいつもたいていそんなことばかりだった。
 
「おまえの願いならかなえてやりたいが、あいにくあれはおれが繋いでるわけじゃねぇ」
囲った鳥なら譲ってやることもできたかもしれねぇがと嘯く。かつて世にも稀な鳥が墜ちて来たときも、彼は枷はおろか扉に鍵すらつけなかった。飛べるのなら籠することは哀れだし、飛ぶ気のない鳥を飼う趣味もなかったからだ。そしてその意志で海賊となった鳥を、さまざまな人間が譲れと脅してきた。まるで、白ひげが鳥を不当に所有しているとでも言わんばかりに。そしてそれらの人間を、彼は誰一人として許さなかった。誰一人。
 
「知ってる、でも」
 
彼の末息子は、頭からつま先まで酒に漬けられたようなありさまで、目つきだけは海の果てを見ていた。エースの厭うその血が、鳶色の眼差しの奥で煌々と輝いていた。
 
「オーズが言ってた。『鳥はみずから王の元に降りる』って」
 
大概の人間が畏怖と警戒をもって接する巨人と、苦もなく打ち解けていたエースを思い出す。人より長い時を越える彼らから聞いた物語には見当がつく。
かつてさまざまな物語が繰り返し繰り返し伝えた。古い東の国で、滅びた南の国で、鳥すら凍てつく北の国で、人の混ざりあいう西の国で。王と認められた者の元に鳥が訪れる。吉祥と啓示を携えて降り、その繁栄を言祝ぐ鳥。
 
「…あれは、アンタの鳥だ」
 
多くの王が一度手に入れた鳥を留め置こうとして、ある者はその風切り羽根を折り、ある者は城一つもある豪奢な籠を造った。そうして捕えた鳥はやがて同じ声でその最期を歌う。傍らにあっては滅びすら歌う美しい鳥。
すべてはおとぎ話だ。誰もが知ってる。伝説の中のみの鳥。現実には陳腐な物語。
それでも、とひとは言う。
 
「それでも欲しいのか」
 
ここは『新世界』だ。此処こそが、おとぎ話が真実になる、伝説のその地だと。
 
「……欲しい」
 
業深いものだ。欲したものは手に入れなければ済まない男だった。無惨に奪うのではなく、必ず相手を魅了した。呆れ、ため息をつき、誰もがその男の望む通りにしてやった。
既におぼろでしかない面影にかぶりを振る。
鳥は自らの意志を持つ。そこに枷はなくそこに鎖はなく翼を遮るものはない。
否。そこに鳥の意志はなく。
ただ王の元に降り、王の傍らにあり、王の滅びを見届ける。
鳥がどう生きたとしても。
この青年と少年の狭間の生物が、どれほどその血を呪ったとしても。
いっそ祝福する心もちだと笑う。この海では伝説も呪詛もましてや『運命』などという言葉すら本当になる。
 
 
「…なら、くれてやろう。エース、おまえにくれてやる」
 
 
 
 
鳥は王の元に舞い降りる。
必ず。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「エース、」
きつく握りこまれた手首が痺れる。引き離そうと咎めるみずからの声ひとつ、抗う衣ずれひとつが神経を煽る。吐く息も裸の肩も熱と酒精をはらんで重い。近すぎる体熱もしがみつくような仕草も動揺を直截に伝染す。
「…逃げねぇから」
かろうじて吐きだした甘言に。わずかばかり背を抜かした年下の男が首を傾げて覗きこんでくる。乏しい明りのもと濡れたような黒眼が衝動と苛立ちで底光る。
「……アンタは嘘吐きだ」
「知ってるよい」
再び噛みつこうとした顎門を首をふって逃れる。代わりと言わんばかりに頸動脈の上に咬みつかれ、そのまま力を込められて呻く。つけた痕のまわりをべろりと舐めて、鼻を近づけてくる。獣が獲物の匂いを嗅ぐ仕草そのままで可笑しさが湧き上がる。消す程でもない痛みを脳みそは簡単に別のものにすり替える。もう一度伸ばされた舌を今度は迎え入れる。ざらりと絡まる肉の感触を味わう。他人の咥内をあまさず蹂躙しようとする若い舌を、抑え、煽り、弄る。唾液に塗れた唇を擦りつけあって食む。手首を掴んでいた力が緩む。解放された手で癖毛の頭を抱え込めば、腰を抱かれて引き寄せられる。あからさまな昂りをごつりと押し付けられて体の奥が一気に発火する。
わかりやすい肉の反射に呆れて、それでも歳を食っただけそれを飼い馴らすことができる。掻き回していた髪を掴んで引きずり剥がす。べたついた唇を舐めて、情欲は隠さないまま哂う。
「…おれはやりとりされるようなモノじゃねぇよい」
「知ってる」
どこか蒼茫とした表情で喉をさらす、張りつめた皮膚の下に流れる炎の血。若く、力に溢れ、生命力に満ち、汚濁を飲み込む闇をはらむ獣。
「おれたちは豺狼の群れで」
ただ一頭の主を頂いて、完全な秩序と友愛の元どこまでも冷酷に残酷に獲物を追い詰める獣の群れ。誰が例えて言ったことだったか。それは確かに此処に似つかわしく。この青年を現わすに相応しい。
そして己はいつまで経っても、同じものにはなれない。地を駆ける獣にはなれない。
「あんたはあの人の鳥で、…それでいいんだ」
一度目を閉じて再び開けたときには、悪戯を見つかったような笑みだけがあった。にやりと屈託なく告げる。
「あんたが欲しい」
「…欲のねぇ…」
ふっと息を吐けば今度こそ容赦なく抱き竦められて息が詰まる。
とうとうつかまったのだと思った。
否、とうとうつかまえたのだと。
くしゃくしゃの頭から、短い間にがっしりと変わった首に、そのまま背までなぞる。その背には今、白ひげの証が刻まれている。決して消えない誓い。この青年が誰のものでもない、「白ひげ海賊団」のモノであるという証。
彼はついに得たのだ。「次」の「王」を。この海賊団の「先」を。
手に入ると思っていなかったものがこの手の中にあって。ひどい全能感に目が眩む。
全能感と罪悪感。触れてはいけないものにふれ、得てはならないものに手をかける。
 
その代償を知っている。
いつかこの王の滅びも歌う。
いつか。
 
必ず。
 
 
 
 
 
 
 
PR

Copyright © 炎の眠り : All rights reserved

「炎の眠り」に掲載されている文章・画像・その他すべての無断転載・無断掲載を禁止します。

TemplateDesign by KARMA7
忍者ブログ [PR]