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痛いこと(12)

 
 
 
マルコの部屋はだいたいいつもとっ散らかっていて、読みかけの本や予備のサンダルや勝負途中のチェスが床に、脱いだままの服や買ったばかりだけど何だか気にいらなくなったらしい装飾品や、やっぱり読みかけの本がベッドに、それぞれ崩れそうに積み上げられている。書きもの用の机の上には厨房に返していないコーヒーセットと半分中身の減ったブランデーボトル。山になった上に凝った柄のナイフを重石替わりに乗せられた書類と手紙の束。片付けようにも物の逃げ場所がないし、多分ベッドの上に置いてあるものは彼なりの必然があってそうしているのであって、床に落とすと自覚せず機嫌が悪くなるから、昨日洗いざらしたシーツと煙草の匂いの染みついた毛布と誰かの土産にもらった常冬の国の複雑な織の上掛けと服と貴石と本の間に持ち主の身体を押し倒す。唇をこじ開けてキスをしようとしたら、脚が絡んだと思ったとたんにひっくり返される。その拍子に足が机のへりを蹴飛ばして上に乗った白磁のカップと揃いのソーサーががちゃんと大きな音をたてる。
「壊すなよい」
「人のせいかよ」
当たった足の甲に痛みはない。引きずり出されて咬まれた舌も痛いと思う前に炎になってしまうから、愉しむにはコツがいる。態勢が入れ替わったときに背の下になった銀と貴石の大ぶりの細工物がごつりとあたる。だからあんたには金の方がいいって言ったのに。光を消した金に青と緑の中間くらいの石が似合うって。磨かれた銀と黒瑪瑙とで作らせて、いざ持ち帰ったら使いにくくて捨てられなくて埋もれて、背に当たっている。
「痛ぇって、ちょっとどけて」
「ん」
「これ。使わないなら売れよ。こんなとこに埋めてないで」
「そのうちな」
受け取って、こちらも溢れそうな、壁につくりつけの棚の一番上。大事なものを置くところ。やっぱり床に落とさなくて良かった。少しの間だけ離れた背。起き上がって腹に手をまわしてシャツの隙間から歯をたてる。主導権の主張。今日誘ったの俺だし。
「食うな」
「食いたい」
「そっちの気分じゃない」
腰に回すついでにズボンに突っ込んだ手を止められる。不満の唸りをあげれば犬猫のようにはたかれた。
「止めるかい?」
「する」
あんたの部屋の中で、あんたの気配に囲まれて、悪くもない雰囲気なのに断るはずがない。互いに服を剥ぎながら部屋の中に重ねていく。シャツとズボンとベルトは椅子の背に。靴は床に放り投げて。脚から外したナイフは鞘ごと枕元、互いの手が届くところ。首飾はカップを囲むように。雑把で几帳面な男の脳みその中そのままに。
 
ざらりとした手は素っ気ないのにそれで腰から腿のあたりをなでられるとたまらなくなる。キスもまさぐる指もざっくりとしていて気負いも執着も感じられないのに、非道なくらいに逃げ場を奪う。獣のように唸って身をよじる。くらやみを言い訳にあられもなくさらけ出す。鳥のくせに夜目のきく男に無防備な腹を曝す。
「いっ…痛っ…」
「…集中しろよい」
「…っわかってるよっ」
痛みを残さないと悦楽も感じ取れない。ぎりぎり感覚を維持しないと、身体は勝手に銃弾やナイフの刃のように男の熱を受け入れずすり抜けさせようとする。触れて気持ちいい、それ以上のことをしようと思ったら、敢えて苦痛を残さないといけない。痛みに意識を集中しなければいけない。快楽以上に痛みを貪って。そうしてようやくこの男と繋がる。
「エース」
「ハハ…痛ぇ…」
手首を強く拘束する男の手も、その気になればすぐにすり抜けられる。後に残るのは炎だけ。でも炎では固い掌が汗で湿るのを感じることはできない。圧迫する力に込められた感情を知ることはできない。ぬるむ舌も酒と煙草の苦みも不快と思えばすぐに感じなくなることはできるけれど。溢れた唾液が口の端をこぼれるのを目を閉じて感覚する。
「…気持ちぃ…」
最後の「い」が悲鳴で消えて、何もかもいちどきに揺さぶられて、簡素なベッドと床の軋みと互いの呻きと本の落ちるばさりばさりという音と衣ずれと全てが尖らせた感覚を揺さぶって増幅して苦痛と快楽の最後の一片まですべて拾いあげて果てた。
 
 
マルコが棚の一番下段に置いてある煙草をとって火をつけている間に、書きもの机の上の酒を一口拝借する。椅子の背にかけられた衣服をまとって、ベッドと壁の隙間にずり落ちかけているナイフを定位置に収めて、石を首に戻す。マルコは煙草をくわえたまま床に落ちた本を拾ってはたいてベッドに戻して、書きもの机の上からカップとソーサーの載ったトレイを手渡してくる。
「…何これ」
「駄賃やるから頼むよい」
受け取った両手がふさがったのをいいことに、右肩の下あたりでひやりとした感触とともにかちりと嵌る音がする。銀を地金に浮き彫りされた黒瑪瑙の精緻な馬の意匠。
「…なんで鳥にしなかったんだよ」
「トリが鳥着けてどうすんだよい」
「…おれ、着けないよ」
「いいよい。黒はやっぱりおまえの方が似合う」
安くもない値で、気に入りの意匠を彫らせて、売ることもできなかった品をあっさり手放して、目を細めて微笑う。
書類の山から抜いた封書を一瞥して、書き物机の空いたスペースに投げる。雑多なもので溢れそうな棚の、一番上の大事なものの場所は空いたまま、そこを何かで埋めて、誰かにくれてしまうのがこの男の悪い癖だった。
 
 
 
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