果たして、攻撃を意に介さない"敵"がこんなに厄介なものだとは思わなかった。序盤で見せた炎への怯みはすでになく、爆風を羽で切って遅滞なく突っ込んでくる相手を止める術はほとんどない。既に何度か鉤爪に引っ掛けられ傷を負っている。深手こそないが、疲労と緊張で乱れる息を必死で整える。これほど全開で能力を使ったのは、この船に乗って以来かもしれない。襲い来る鳥を焼き尽くして再生するわずかな時間を稼ぐ。獰猛な嘴をナイフで受ける。受けた衝撃のまま後ろに跳んで一転、跳ね起きて刃を薙ぐ。手ごたえはある。肉を切る感触。エースのナイフも覇気を纏っている。幻炎の形をとらえることはできる。できるが意味はない。再生。何度致命傷を与えても。再生。血すら流れない。何を相手にしているのかわからなくなる。何を。
十字の炎を飛ばしながら思わず叫んだ。
「マルコ!!」
名を呼ぶ。焔の矢が胸の誇りを貫く。すぐさま蒼い焔に覆われて消えていく。蹴り飛ばされて地を這う。フォローを受けて距離をとる。
「マルコ!!いい加減起きろよアホ!!」
氷のような眼は何の感情も浮かべない。かまわず全身で叫ぶ。
「マルコ!!」
巨大な鳥のはばたきがエースの声を圧する。衝撃波に等しいそれを防御して、尚も呼ぼうとした時、サッチの叫びが重なった。
「エース!来るぞ!避けろよ!!」
鳥の攻撃のことではない。とっさに本船を振り返る。遠目の本船の甲板に見慣れない細身の砲身が十数門。それが一斉に火を噴く。
山なりの砲弾を予想したエースは、それより速く己の炎の身体をすり抜けていった小口径の弾に驚く。それはエースを素通りして巨鳥の羽を連続して穿つ。
新手の攻撃に、威嚇の叫びをあげて鳥が舞い上がる。埒の開かない状況に苛立っていたのは鳥も同じなのか、攻撃の意志がエースたちから離れるのがわかる。長い首を優雅に振り向けて、砲など届くはずのない圧倒的に優位な高さをもって船の上空を旋回する。あの速度と巨体で船に突っ込まれたら、穴どころでは済まない。そのはずだった。
先刻見た細身の砲身が射角を変えている。第二撃が火を吹くのが見えて、それは弓なりではなくまっすぐに天空の鳥を貫く。すぐに第三撃が放たれるがこれは速度を増した鳥に避けられる。その先を読むように四撃目。これは砲撃手の腕だ。
思わぬ空中戦に見惚れてエースは呟く。
「何あれ…」
「んーうちの船大工たちの趣味」
普段船の横腹は直射砲で角度はほとんど変えられない。甲板にあるのは曲射砲で、相手の甲板に弾を落とすのが目的だだ。どちらも敵船を攻撃するためのもので、空を攻撃する手段は存在しない。当然だ。空からの攻撃など誰も想定しない。
しかし今、天空を飛ぶ鳥を攻撃する砲は射角が極端に大きく、かつ、その角度も向きも相当自由度が高く作られている見たこともないシロモノだった。
「対空砲とでも言うんかなァ。昔、シキっつう空を飛ぶ厄介な海賊がいてな。一時期一触即発な状況だったから、装備をあつらえてたんだ。ずっと倉庫に入れっぱでな」
「すげぇ」
「まさかこんなときに役にたつとはね」
「連射できるやつもあるのか…」
さらに数台、引き出されてきた砲は、いくつもの砲塔を束ねたようなガトリング式だ。クランクを手回しして、対空砲で鳥を追い込み、その先を掃射する。
「ただまあ、これで仕留められるわけじゃねぇけどよ」
言葉の通り、降下してきた鳥がフォアマストを蹴飛ばし、半ば亀裂が入るのを止められない。サッチがああと呻く。
「馬鹿マルコ。元に戻ったら修理させてやる」
このままでは埒が明かないのは変わらない。むしろ、無人島の海岸と違い、船はあの鉤爪の前では脆い。破壊を防ぐすべがない。
「…船に引き付けてどうする気なんだ?」
「そりゃもちろん」
サッチの言葉が終わらないうちに、甲板に、ぬっと巨きな影が現れる。人並み外れた巨躯に愛用の偃月刀。威風辺りを払う姿に、必死で鳥を牽制していた兄弟達が喊声を上げる。
「!オヤジ…!!」
「反抗期のムスコを止めんのはオヤジの仕事ってな」
白ひげ自ら戦陣の先頭に立つことは滅多にない。その相手がよりにもよって一番隊隊長として最も信頼する人間の一人だというのだから、皮肉と言うべきなのか、相手に不足はないというべきなのか。
もはや傍観を決め込んだらしいサッチが傷だらけの体で砂の上に座り込む。いつの間にか逃げていたクルーたちも戻ってきていて、母船の上で繰り広げられる光景を声もなく見守っている。
船首に立ちはだかる白ひげを、鳥は窺うように、高く低くその周囲を巡る。長い美しい尾をたなびかせ、刻々とかたちを変え、濃淡を変える焔を揺らめかせる。伝説の物語から抜け出たような姿に、だが、纏うのは獣の怒りと殺意だ。あれほど慕い、信じ、誇りとしていたのに、その記憶は欠片もないのか。その殺気を白ひげに向ける姿にためらいはない。
鳥を見上げる白ひげはむしろ穏やかで、泰然自若としたその姿は普段息子達を見るそのまなざしとかわりない。だが、それでも、白ひげがその身体の中に力を溜めこんでいくのがわかる。いつでも全力で、己が息子を討ちとる覚悟。その気迫。離れた海岸にまでも伝わる互いの覇気のぶつかりあいに、空気が帯電する。
「すげぇカードだ」
サッチがぼそりと呟いた。それが合図のようになった。滑空から、なめらかに急降下にうつる鳥が、一瞬で最高速度に達する。エースはその光に見惚れた。
襲いかかるは覚醒した不死の鳥。理も情もなく。この上なく神秘的な炎を纏い、全ての攻撃を無効にする。何もかもが滅びても尚も再生を続ける、夢幻の青い鳥。
迎え撃つは世界最強の海賊。全てに破滅と崩壊をもたらす悪魔の実の力と、覇王としての力を併せ持つ、この世の一切を滅ぼすことのできる男。
最強の盾と、最強の矛。
白ひげ海賊団の誇る一対の美しい矛盾。
その激突。
白ひげが撓めた力を解放する。大気に不可視の亀裂が走り、放射状に割れる。その震えは地を這うものだけでなく、空を飛ぶものをも揺らす。
翼を支えていた空気そのものがぐらつき、鳥がバランスを崩す。失速する。海への距離は近い。誰もが落ちろと念ずる。
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