陸で強烈な地震に耐えながら、エースとサッチも趨勢を息をつめて見守る。エースにとっては、白ひげの能力は身をもって知ってはいたが、これほどの広域にわたり強烈な地震を起こすのは初めて見る。
人間が地面に立っていられないほどの衝撃を、中空でまともに受けた鳥は、それでも海面にぶつかる寸前かろうじて羽ばたきを取り戻した。怒りの叫びをあげて上昇、背後から急角度で襲う。白ひげが兇爪を偃月刀の柄で受ける。人並み外れた巨躯を誇る白ひげと、それをすっぽり覆えるほどの羽根をを広げた巨大な鳥が力で拮抗する。
ぶつかった勢いを逸らし、受け流すようにして偃月刀が鳥の爪を弾き飛ばす。いったん上空に逃れるかと思われた鳥は、飛ばされた姿勢をするりとひねり間髪いれず攻撃に転ずる。白ひげが、実に嬉しそうに笑って刃を振るう。覇気と振動を纏った遠慮も容赦もない一撃。翼の半ばが千切れ飛び、ついに船へ墜ちる。狙いすましたように数人が海楼石をもって駆け寄る。が、それを再生した羽根のひと羽ばたきで退けると、鳥は舞い上がってメインマストの檣楼に降り立った。いつも、マルコが好んで登っていた、白ひげの旗の、そのすぐ下。
黒々と翻る白ひげの印と、蒼く煌めく炎の鳥。それはこの海賊団の象徴で。誰もが誇りとともに仰ぎ見る光景だった。今、この瞬間でさえ。
「マルコ」
低い穏やかな声で白ひげが鳥の名を呼ぶ。叫ぶでもないその声は空気を震わせ高処にいる鳥へも届く。
「ここがおまえの家だ。…早く帰ってこい」
不意に鳥が高い音で鳴いた。今までの怒りや威嚇の声とは違う。高く、長く、誰かを呼ぶような、何かを訴えるような、甘く哀しい鳴き声。
そして、それに重なるように低い不吉な轟。
鳥が、何かに気付いたように首をめぐらす。
その視線の先を追いかけて、誰もが水平線を見た。それがいびつに盛り上がっているのを。
見ている間にもそれは、急速に、そして異様な高さをもって迫りくる。
白ひげの起こした"海震"。それが巨大な津波となって島に押し寄せようとしていた。最初から、それが狙いだった。海へ、引きずり込むしかない相手に。
鳥が翼を大きく広げばさりと羽ばたく。
「行かせるな!!」
すかさず白ひげが大音声で命じる。
はじかれたように砲撃手が砲座にとりついた。鳥の退路を牽制し、翼を穿ち、鳥の意識をひきつけようとする。
それを懸命に振り払い不死鳥が羽ばたく。なりふり構わず逃れようとする。白ひげも、自ら起こした津波をかき消さないよう、規模を抑えた指向性の強い振動で鳥の平衡を奪い高度をとらせまいとする。
音が迫る。海を揺るがす巨大な津波。水深が浅くなるにつれ、自然には起こり得ないほどの高さをあきらかにする。島に向かって打ち寄せようというその波の壁は、進路に当然のようにモビー・ディックも捉えている。
そして、船が呑みこまれれば、当然能力者である白ひげも無事ではすまない。まさに一蓮托生の策だった。
「林に逃げ込め!!できるだけ高いところに行けよ!!」
海岸で津波を認めたエースが叫ぶ。一番隊員が事態を悟って、三々五々島の奥に走り出す。津波の規模によっては、陸地の数キロ先まで被害を受ける。せめて遮蔽物のあるところで、木にしがみついてでも難をやり過ごすしかない。
「エース!!おまえも逃げろ!!」
「…っだけど!」
鳥は、本船が必死に牽制しているが、まだ逃げる手段を有している。投げられる網を振り払い、砲座を蹴飛ばし、バランスを崩して失速しながらも巨大な翼ではばたく。島に向かって逃れようとする。
そして、その行く末をわけるのは、波が鳥より先に船に到達するということなのだ。
空を覆い尽くさんばかりの巨大な波濤。それがまずモビーディックを呑みこむ。
逃亡を遮る力が途切れて、鳥が渾身の力で空を叩く。
「…っ行くな!!」
サッチのこんなに焦った声は初めて聞いたと、場違いにそんなことを思った。常に冗談ばかりで、揶揄か、皮肉か、からかう言葉ばかりで、こんな真剣で必死な叫びなど。
「行くな!!マルコ!!」
斬撃が飛ぶ。片羽を落とす。わずかの遅滞。それだけ。
―――――逃げられる。
思って、頭の別のところが急にぞっとするような確信を抱く。
(一週間ほど飛び続けて力尽きて拾われた)
(記憶が全部すっ飛んでて)
(どこで生まれたかも覚えてない)
青い鳥は、逃がしたら、もう二度と帰ってこない。
巨大な鳥の影が太陽を遮る。視界が暗くなる。すべてを塗潰す恐怖。
何もかもが一瞬だった。全霊を込めて叫ぶ。行くなと。
「――――マルコ!!」
目が。
合った。
鳥になっても変わらない。
青い蒼いアイスブルー。
鳩が豆鉄砲をくらったみたいに。
丸く見開かれて。
確かにエースを見て。
羽ばたきを止めた鳥の体を、崩れる波濤が呑みこんだのは次の瞬間だった。
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