何度か身体を重ねた後の、とある日。明日は両方非番で、片方の自室で酒を酌み交わしながら悪い雰囲気じゃなくて、航海の真ん中あたり、上陸にはまだ間があって、最後に足が地面を離れて経った時間が他人の肌を懐かしく思わせるころ。
特に誘導せずともそういう流れになって、肩を押して圧しかかって明りを消しても抵抗もなく腰に手が回る。普段なら触りあっているうちにどこに力が込められたともわからぬままひっくり返されて主導権を奪われるところだが、今日ばかりは肩に力を入れて掴んだ男の手首をシーツに強く縫いつける。
「ぉ…」
おい、とでも言いかけた戸惑った唇をふさいで舌をいれる。きつく絡めて引きぬくまでも気を抜かないように相手の動きを封じ込めた。意図が正しく伝わるように。
「…エース」
「今日はやりたい」
呟いて、こどもみたいだなと嫌になる。仕切り直してささやいた。
「あんたを抱きたい」
「……………」
せっかくかっこつけてみたけれど、反応は案の定はかばかしくない。
鳩が豆鉄砲食らったように、普段は半分ふさがってる瞼が持ち上がってちょっと間抜けに目を丸くしてる。即座に拒否されることも当然考えてはいたので、蹴りだされないだけましなのだけれど。
「…だめ?」
やっぱり、という言葉を呑みこんだら、素っ気ない言葉が呆っ気ない調子で返される。
「……別にいいけどよい」
「!いいの?!」
「一度肌あわせちまえばどっちだってたいしてかわりゃしねぇし」
「………そんなもん?」
「そんなもんだろい。明日もまあ休みだし。けどなァ……」
「…けど?」
「別に義理だてする必要なんざねぇぞ?」
「……なにが?」
「もうちょっとましなのを見繕えよい」
「……」
「おまえ、物好きにもほどがあるよい」
それは例えば男同士だとか、歳がひとまわり違うだとか、どう贔屓目に見ても眠そうなおっさんだとか多分そういうことを言いたいのだろうけど。
「…あんたは薄情だよな」
ぼそりと言ったら怪訝な顔をされた。どの言葉よりその表情に傷つく気がする、から、笑って否定する。
「なんでさ。あんたは強くて、鳥んときは幻みたいにきれいで、やってるときはすげぇ色っぽい」
「……並列かよい」
「一緒だよ。見てると興奮する」
「…。だから物好きだって言うんだい」
「いいよ物好きで。あんたに手を出す人間は少ない方がいい」
「おい」
「もう黙って。キスしたい」
細い目が呆れたようにさらに眇められるのを見ながら、ふたたびその唇にかじりついた
重たそうに伏せられた瞼の下から眼球がぬらりと覗く。
エース、呼ばわる声はいつも低く無造作で、叱責する時も褒める時も、睦言をささやく時も喘ぐ時も、どこかそっけない。
だから、いったいどこまで真に受けていいのか、いつもエースははかりかねてしまう。本気で怒っているのか、本気で拒絶されているのか、本気で感じてくれているのか、わからない。
わからないから、答えが返るまで繰り返したくなる。
「しつっこいっ…いっ!」
後ろ髪を掴まれて引き剥がされる。罵倒の言葉を、挿れた指を奥までねじ込むことで封じる。力を失って離れた手をいいことにもう一度顎をかじる。食いしばられた歯を舐めて、耳朶を食む。耳の小さな骨をひとつひとつなぞって、肩をどかそうとする力に抗って、耳孔に舌を突っ込む。
「…っ!」
びくりとする身体に、反射とわかっていても嬉しくなる。耳の後ろに吸いつこうとしたら、容赦のない鉄拳がきた。
「…おれがおまえに痕つけたことがあったかよい」
「あー……、そういやないかも…」
「次やったら、その場で中断するよい」
「了解」
従順さを強調すべくこめかみにキスを落としたら、非常に嫌そうな顔をされた。開かされた脚の間を占領され、後孔に指を三本咥えさせられていても、男の態度はいつもどおりでそれが少なからず悔しい。
「…エース」
招かれてキスをする。薄くて人より少し長い舌だと思う。差しだされるのに絡める。後頭部に回された掌が髪を撫でていてくすぐったい。男のもう一方の手がエース自身を握りこんで上下に擦り始める。
「ん…」
返礼に内側を探る指に集中する。前立腺を刺激し、かき回し、模して抽送する。男の呼吸が速くなって、キスの合間に混ざる呻きと短い喘ぎに、頭の中が灼かれる気がする。他愛なく。本当かどうかもわからないのに。だからこそ、もっと聞きたくて、しつこいと言われるまで止められない。
エースの頭を撫でていた男の掌が背に回って、なだめるように背骨を撫でる。そのまま下に降りて、腰骨をノックする。
「…?」
「もう、…いいから、挿れろ」
「…うん。平気…?」
「まあ、なんとかなるだろい」
「ん」
うつ伏せになろうとする男の肩を止める。
「このままがいい」
「……悪食」
唾液でぬれた唇が歪んで微笑って。ひそめられた眉と一緒のその表情に、この夜一番欲情した。
「あんたのほうが悪食」
指を引き抜いて、脚を抱え直す。
「許してくれると思ってなかった」
熱をあてがえば、息を呑んで、慎重に吐く気配がする。
「あんたが一番わからない」
吐ききって次の息を吸う、その瞬間にきつく押し込んだ。
男が、初めてではないことは発言の端々からわかっていたし、それとなくリードされるのも、まあ、歳も経験も下では仕方がない。己が上手いとは到底思っていないし、相手を無視して自分だけ突っ走るのも嫌だから、ぎりぎり自制して我慢してゆっくり動く。やがて痛みに食い縛られていた男の歯が少し緩んで喘ぐように息を吐く。突き上げた動きに「ふ」と色めいた呻きがもれて、わずかに安堵する。
「……大丈夫?」
「…ああ」
閉ざされていた目が薄く開いて、するりとエースを流し見る。
「…おまえの、入れると案外でけぇなァ」
発火、しなかったのが不思議なくらい。反射的に深く突っ込んで奥でゆすれば、男が明瞭な嬌声をあげる。それがまた頭の中に火を注いで、無茶苦茶に突き上げたいのを理性を総動員して抑える。男の中は熱くて狭くて零した潤滑剤でぬるんでいやらしい音をたててエースの意識を侵す。
「いいから。…そのまま動け」
耳元に吹き込まれる誘惑と、腰に絡みついてくる男の脚。何もかも。貪ってしまえばいいという承認。揺さぶるままにあがる掠れた声に他愛もなく煽られる。このまま甘えて、気持ちのいいことだけ食い散らかしても男は許してくれるのだろうけど。
欲で煮えたぎった頭に水を差す思いがある。慣れた男の態度の、全部演技とはいかないまでも、どこまで本当なのか。
どこまでが情けで、どこまでがエースのものなのか。
全部欲しいというわがままを、聞いてもそれでもゆるしてくれるのか。
「なァ」
表情を隠す男の腕を剥がす。動きを止めないまま上体を倒して、眉間をゆがめて見返す蒼い目を覗き込む。
「おれは、あんたが、いいように、したいんだけど」
荒いだ息じゃあんまり説得力ないだろうけど。いつもどうされたら気持ち良かったのか、思いだして真似る。深いところで回して浅いところを繰り返し擦って、腹の間の男のものを握りこんで弄る。暗闇の中反らそうとする顔を懸命に見て、息をつめたところ、眉間の皺を深くしたところ、を繰り返し責める。短い嬌声を耳元で聞きながら、よけいに寄る辺がなくなっていくようで怖い。
「マルコ、いい?なァ、本当に気持ちいい?」
頭が朦朧としてきて、止められない不安が縋りつくような言葉になる。男の鼻梁を流れる汗を舐めて唇を舐めて、男の眼の色が何を思っているのか必死で探ろうとする。
「っ…クソッ、まじまじ見んな…っ」
顎を髭ごと舐めて、首筋を噛んで、耳朶を食む。問うているのに、答えなど聞きたくなかった。
「だって、わかんねぇ。なぁ、おれ、すっげぇ気持ちいいけど、あんたは?」
「………!!」
「あんたもいい?」
つながったところが、ぎちりと絞められて反射的に背中が反る。目が眩む。歯を食いしばって衝撃をどうにか受け流したら、腕の下で男がチッと舌打ちした。
「…これでもいかなかったか…」
「~~ひでぇ!あんたひでぇだろ!!」
「うるせぇ!ガキがごちゃごちゃ考えてんじゃねぇよい!」
「だって、おれはあんたがいい方がいいと思って!」
怒鳴られて、ムキになって反論したら、今度は舌打ちじゃなくて、呆れたため息がふってきた。
「手加減されてイけるか阿呆」
図星を突かれてはからずも熱が上がった。それが男にもわかったのだろう、仄かに笑う気配がして、つながった状態のまま、男が手を伸ばしてエースの肩を支えに身体を起こす。
「マ…」
呼ぼうとした名は深い口づけで遮られた。惜しむ間もなく離れた唇の端を、男の舌がゆっくり舐める。
「エース」
呼ばれる名で呪いがかかる。目を離せない。
「もっと」
薄蒼い眼が闇の中でひかって、唇が陶然とした悪い笑みを刷く。
「もっと、乱暴でいい」
その言葉に、今度こそ男の望むようにした。
三戦終わって我に返ったら、どうしようもなく恥ずかしくなって、枕に顔を埋めたまま男が一服する時間を耐えた。
そんなことに頓着せず、後始末より何より煙草を選んだ男が紫煙を吐き出しながらぽつりと何でもないことのように呟いた。
「おまえ…ああいうのの方がいいのかよい」
「…?何が?」
「女にするみたいに優しくされたい方なら、今まで悪かったと思ってな」
驚いてがばりと起き上がり、男をまじまじと見る。
「…え!?やっそんなことないけど!」
「そうなのか?てっきりやり方に不満があるから言い出したのかと思ってたよい」
「違うって!!いや確かにいつもちょっとあっさりかなーとは思うけど!そんな意味で言ったんじゃねぇよ!!」
あんなに最中に言ったのに何でわかってくれねぇかな。ちょっと空しくなりつつ、振り向かない男を睨むが、男は男で別のことに衝撃を受けたらしい。
「あっさり…あっさりなァ……」
肩を落として煙草の端を噛んでいる。
「や、ごめん、ウソです。いつも結構なおてまえで…」
言わなくてもいいことまで申告しながら、ふと思う。それはそうだ。人は自分の気持ちいいことを相手にしたいだけだ。少なくとも最初はそこから始めるしかない。
「おれ、あんたに抱かれるのもすっげぇ気持ちいいんだけど。いっつもおればっかの気がするから、たまにはあんたもそうなればいいと思ったんだ」
口にして、少し違うような気がした。間違ってはないけれど、本質とは少し違うような。でも本当のことだった。抱きしめながら何度も伝えたけど。
豆鉄砲をくらった不死鳥が、うっと呻いて、何事かと思う前に声を殺して笑い始める。
「くそっ!笑うなよバカ鳥!あんた本当にひでぇな!!」
どこかで見た光景だと思う。いつも、人が真剣に伝えようと思うのに、この男はまともにとりあってくれないのだ。
いつも。
「悪ィな」
煙にむせた声で悪いとも思っていない謝罪をして。
「エース」
きちんと振り向いて顔を合わせて。身を乗り出して鳥がついばむようにキスをして。耳元で低くさえずった。
「…悦かった」
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