エースが「兄弟」になった日。
隊長格にオヤジから厳命が降された。否、オヤジは、そこまで大仰だったつもりはなかったかもしれない。しかし、白ひげ海賊団にとって、オヤジの命とはすなわちすべて厳命であった。その内容が何であるにしろ。
件の少年を配属も決まらないままとりあえずと一番隊の大部屋に放り込む。と、まずは同年輩から強烈な対抗意識を向けらた。無理もない。十代なんざたいていは海賊見習いもいいとこで。船の雑用をこなしながら戦闘には先陣をきって突っ込んでいく。血の気が多くて頭の悪いやつらばかりだ。七武海とまともに渡り合ったエースと張りあうにはいささか格が足りなくて。それでも初めは先輩風を吹かすやからが少なくないだろうとは思っていた。なぜならかれらにはこの船が世界一の船だという自負がある。自分たちはその一員だという驕りと紙一重の誇りがある。少なくとも己が同年だったら素直にその能力に感心して、唯々諾々と受け容れるなんてことは絶対にしない。どれほどの実力かと敵愾心剥きだしで、性質の悪いちょっかいのひとつもかけててみるだろう。実際その手の小競り合いは船の中ではしょっちゅうで、中堅どころもガス抜きとして黙認している。
ところがまったく意外なことに。当のエースがその手の挑発に一切のらなかった。その気になればいくらでも力を誇示することができるだろうに。むしろそれまでの敵意むき出しの態度からすれば、見習いの下っ端程度一気に圧倒しようとしてもおかしくはないだろうに。無口で無愛想ではあったが、侮る風情も拒絶する空気もない。虚勢も張らなければ大口を叩く気配もない。あからさまなからかいにも黙って頷き、憑きものが落ちたように静かな態度で淡々と任された作業をこなしていく。むしろ言われる前に気付いたことを申告し許可を得ては進めていく。それは部分の仕事しか見えない見習いの視点ではなく、若くとも一船を率いていた船長の視点だ。あいにく経験のない人間が若さと意地だけで太刀打ちできるものではない。
そして戦場では言うまでもなく圧倒的だった。売り出し中の海賊団が十隻もの船団を率いて囲んできた時。炎の能力者はその真価を遺憾なく発揮した。いまだ細い体躯から無限にあふれこぼれる業火。炎の力でまるで重力から解き放たれたかのように跳び、舞い、周囲の大気すら焼き尽くし、瞬く間に一船を沈める。結局、単独で三船を陥とし、かすり傷ひとつ負わず帰還し、誇ることも驕ることもない。オヤジに挑んでは跳ね返されていた姿しか知らない多くの船員にとっては初めて見る、この上ない"海賊"の顔だった。
そのくせ食堂では物を食べながらいきなり突っ伏して寝始めるのだから。初めて見たときには誰もが開いた口がふさがらなかった。あんまりにも無防備で突拍子もなくて食い物の皿の上で実に健やかに眠る寝顔はガキそのもので。それが海侠のジンベエと五日にわたって闘い親父へ百回を超える襲撃を行い業火の中で殺戮に眉ひとつ動かさない悪鬼と同一人物とは思えず、…同世代の毒気を抜くには十分だった。つまり、これは自分たちの手に負えるものではないと。
それからは畏敬と同胞意識と若干のおかしみという微妙なブレンドで一目置かれている。
それよりさらに若い、十四五歳ぐらいのやつらはもっといちころだった。それぐらい若くて船に乗っているのは主に厨房やなんかの間接部門や船大工の見習いで。エースは最初から彼らに対して優しかったらしい。たぶん初めて笑顔を見せたのも、オヤジを除けば、彼らに向けてだと思われる。つまり、エースが豪快に積み上げた空皿を下げに来た、給仕の少年―――とは言え、エースとは二つか三つしか違うまい―――に向けて、照れ隠しのようにテンガロンのつばをちょっと引き下げて、「ありがとう」と、にかっと笑った…と伝え聞く。それは実に人好きのする笑顔で、たまたま近くにいてそれを目撃した船員が度肝を抜かれて手にした料理の皿をサッチの頭にぶちまけただとか。言われた少年は顔を真っ赤に染め上げてそれ以来エースのファンだとか。嘘か本当かわからない逸話とともに流布されて、かつ、エースはその態度を一貫して変えなかった。食堂の給仕や、航海士見習いや、船大工見習いの少年にはわけへだてなく笑いかけた。「ありがとう」だとか「頑張れよ」だとかそんな他愛ない言葉と一緒に。そしてその強さと乗船経緯とであっという間にガキどもにとっての英雄になり、また懐かれればびっくりするほど面倒見がよかった。親方から叱られて船の倉庫の隅っこで泣いている見習いに、ポケットの中から当たり前のように菓子を取りだして与えているのをうっかり目撃したこともある。ガキの視線にあわせてしゃがみこんで、所在なく押さえた帽子で表情を隠していた姿を。
中堅の連中は内心はどう思っていてもそれを表にだすような可愛げのある奴らではない。ガキどもとは違う、自負と誇りをもっている。彼らには並はずれた力はないが、白ひげの仲間として、長年グランドラインを相手に航海し、戦ってきた船乗りとしての経験があり、その自信に基づく度量がある。さらに言えば、兄弟みな仲良くという、オヤジの方針が徹底されている。だからこそ、幸か不幸か突出してしまった者に対する寛容さもあり、扱いづらい人間を遠巻きにはしないお節介気質をもって、エースを新しい弟として扱おうとして……若干失敗したらしい。エースは、あからさまに嫌がりはしなかったものの、彼らの年若い者に示すような親愛にストレートな困惑で返した。それが迷惑だと拒否されたのだったら、対処のしようもあったのだろうが、何の気なしに頭を撫でた少年に見上げられて、―――照れたり恥じらったりガキ扱いすんなと拗ねたりといった顔を少しでも期待していなかった、といったら嘘になる、と話してくれたクルーは遠い目をした―――心底不審そうな表情をされた日には、歴戦の海賊の毛の生えた心臓をも粉々に打ち砕くには十分だった…らしい。エースがただ無口で無愛想で可愛げのないガキならば諦めもつくのだろうが、エースはエースできちんと馴染もうと努力していた。敵愾心や対抗心は軽くあしらったが、他愛ない会話や日常の雑事や退屈を紛らわせる賭け事や理由の無い宴会に加わり、ジョークを言われれば笑い、所望されれば愉快で馬鹿げた話のひとつも開陳した。モビーディックほど巨大な船の躁船に加わるのは初めてだったようだが、知識の不足を恥じようとはしなかった。自らの無知を認め、技術を貪欲に吸収した。非の打ちどころのない海賊として振る舞った。ほんの少し前の、ガキのような頑是ない拒絶と敵意と襲撃が嘘のように。その態度を子どもの強がりだとか背伸びだと思いこんでしまえば簡単だったのだろう。しかし、その代わりに、…永遠に、エースの信用を失くす気がした、と、彼らは述懐する。大人ぶるガキの無駄に高い矜持を折るのは大人の義務だろうが、ただ子どもの態をしただけの「海賊」に、舐めた真似をしたなら、払うべき代償は己の価値だと。
船乗りの勘は最大限尊重されるべきであり、そこに異論をさしはさむつもりはない。いささか大仰だと思いはしても。ともあれ、策尽きた彼らが光明を見出したのが、怪我が治って復帰してきた、元スペード海賊団のクルーたちの態度だ。総じて若い海賊団は、それでも彼らより年下の元船長を気軽に「エース」と呼び捨てた。エースもそれに応え、気軽に肩を小突かれて笑っている。一見船長への態度ではないが、そのくせ根底にあるのはまぎれもない、盲目なほどの敬意だった。彼らは、よく知っているのだ。彼らがここまで。新世界まで。白ひげの膝元まで。生きて辿りつけ、今尚生きていられるのはこの少年のおかげだと。
中堅の連中はそれに倣った。つまり、彼らの歳の半分ほども生きていないエースを、同格に扱った。歴戦の、齢を重ね、あらゆる過酷な経験を積み、困難を笑い飛ばし、板一枚下の地獄を、薄刃を渡るような生を心底楽しめる同士として。
正直に告白すればと、己が一番隊副隊長は吐露した。
少年の中に棲む飢えも孤独も彼らの手に負えるものではなかったのだと。
かくして、オヤジの厳命は隊長格の直接の仕事と相成った。
「…で、どうするよ」
「どうするも、こうするもなァ…」
「ガキ扱いはダメだってんだろ?めんどくせぇな」
「年少扱いすることが甘やかすことになるのは、相手が意地を張っているときだけだ。エースはそうではないということだろう」
「あんたのいうことはわかってるさ。…ガキでいられりゃ楽だったろうになってことさァ」
「やっこさんは何でもかんでもできすぎる。かわいそうなぐらいにな」
「だが『大人』にもなりきれん」
「ガキっぽいところは本当にガキなんだがな…」
「この間の小競り合い、あれは肝を冷やした。フォローもなしで突っ込んでいくなんざ無茶もいいところだ」
「女の話題はけっこう逃げるらしいな。童貞でもねぇのに、妙に潔癖なとこがある」
「潔癖で、頑なだな」
「すれっからしに見えて、甘っちょろいところがある」
「『仲間』、とかな」
「…だからオヤジが気にいったんだろう」
「此処こそがガキの総本山さァ」
「違いねぇ」
くすくすひそひそと拡がる笑い声を咳ばらいひとつで遮る。
「本題から逸れてるよい」
「おや、怖いな」
「失敬失敬。…ただまぁ。材料が足りないのも本当でな。おれたちゃやっこさんのことをあまりに知らなさすぎる」
「おれらにいたっては船が違うんだ。例の騒ぎも聞いただけ。人となりもしらねぇのに妙案がでるわけねぇ」
「生まれ育ちは聞かねぇのが筋ってのはあるが、…何か聞いてねぇのか」
「しらねぇなぁ…。そもそもあいつ、おれらには近寄ってこねぇし、話しかけてもすげー儀礼的っつーか、そっけねぇし」
「素っ気ねぇよな?!あの扱いはひでぇよな?!同室のやつらとは割と話してんのに!隊長差別だよなぁ!!」
「そりゃおまえが暑苦しすぎるんだ」
「まあ暑苦しいな」
「そのうえおしつけがましい」
「さらにやかましい」
「っていうか、うざい」
「うざいってゆーなあぁぁぁ!!!」
「うるせぇよい」
元凶を床に沈めて何事もなかったように再開。
「スペードの、っつったっけ?なかなか骨のある連中だったらしいな。あいつらなら少しは知ってるんじゃねぇか?」
「……まァ、聞いてはみたけどよい。録音があるが、聞くかい?」
―――――エースのことっすか?
すっげぇ強いっす。あと航海術も詳しいし、操船も上手いし。だからうちずっと航海士いなくてね。グランドラインに入ってからひとり雇いましたけど、よっぽどエースの方が勘がいいっすよ。器用で大概のことはやっちまえるし。楽器なんかもね、しらねぇって言うから教えたら、すぐにおれより上手くなっちまって。まぁ、そもそもが勉強家ですしね。え?けっこう本読んでますよ。知らないことを知らないのは嫌だって。まあ自慢するような人じゃないですけどね。若いってんでよくなめられますけど、安い挑発には乗らないし、堅気には手ぇださねぇし。まあ子どもじみたとこもありますけど、何ていうか、達観してますよ。
係累?ああ、家族の話なら、あの人は気ィ許した相手には自分から喋りますんで。まァ楽しみにしといてくださいよ。
「……なんだこの最後の優越感たっぷりな感じのコメントは」
「ベタ褒めだな…つうかベタ惚れか」
「ぽっと出に奪られてたまるかって感じがありありだなー」
「聞いた人間ほとんどがこの調子で参考にならねぇよい」
「……だがこれはいただけないな」
「ああ、いただけないねぇ」
「…無理もない。彼らこそ、あのエースを見ていない。……見せて来なかったんだろう」
「『仲間』が聞いて呆れる」
「仲間だからこそ張りたい意地があるだろう」
「…おまえさんはいつでも優しいねぇ…。まァとりあえず、その『家族』ってのがひとつの試金石なわけだ。この中に聞いた奴は、いねぇよな?」
「あ、おれ聞いた。弟がいるって」
「なんでおまえが聞いてんだよ!!」
「おれ、見習いだと間違われたんだよ。ずっと三番船に居たから顔知らなかったみたいでさー。ちょっと隅っこの方で仕事してたら手伝ってくれて飴ちゃんくれて弟がいるって教えてくれたぞ」
「嘘こけっ!どうせてめぇ適当な作り話で同情引きやがったろ!!」
「情報収集してやったんだ!感謝しろよ!」
「…エース、騙されたと知ったら傷つくだろうな」
「おうよ。せっかく心を開いてきているのにな…あっという間に人斬りナイフに早戻りだな」
「なんだよおまえらっエースの笑顔が見れねぇからってひがんでんじゃねぇよ!」
「うるせぇっ図星だよこの野郎!!」
「やかましいってんのがわかんねえのかよい」
ひと動作でまとめて壁まで蹴り飛ばして悠々と席に着き、机を指で叩いて議論を急かす。
「弟な。まぁいかにもだろう。ありゃ間違いなく長男だ」
「やんちゃな弟でたいへんだったって言いながら、すげー嬉しそうだったぞ」
「長男だな。しかも、『放任系長男』ではなく『世話好き系長男』だ」
「…オヤジへの尋常でない反発を見ても、父方の縁は複雑なのだろう…」
「女の話題が苦手で、世話好きとなれば、母親はいなかった可能性が高いな」
「やたらと礼儀正しいところもあるだろう?躾に厳しいじいさんやばあさんがいたということも考えられるぞ」
「どちらにしろ、さぞかし甘えるのは下手だろうな」
「甘やかすのも一苦労だ」
意味ありげに投げられる視線を、零度の視線で弾き返す。
「…ふむ。これは本で読んだ話なのだが」
コホンと別の方向から咳払いがひとつ。
「古今東西の社会において、『長兄』という存在を導くのは『父親』ともうひとつ、『伯父』という存在だ」
「伯父…オヤジの兄弟なんざいねぇぞ?」
「なにも肉親である必要はない。歳が離れた同性で、尊敬する『父親』の系譜につながりつつも、それと対抗、あるいは異なる主張をもつ存在だ」
「オヤジと異なる主張ってのは…難しいだろ」
「なに、そこまで難しくない。つまり、オヤジが厳しく叱れば後でちょいと慰めて、オヤジが鷹揚に許す部分を諌めてやればいい。オヤジが無欲なら、俗っぽいところを教えてやり、強大な力をもって君臨しているなら、弱い人間的なところを見せてやればいい」
「おお、なるほどそりゃあいい」
「確かに。いわゆるあれだな。陸のマフィアにおけるアンダーボスだ」
「ワノ国のヤクザのワカガシラみたいなもんだな」
「つまり、まぁ、うちで言うと一番隊隊長殿的な?」
「てめえら同格だろうが。隊長職なら誰だってかまわねぇだろう。何ひと一人に押し付けようとしてんだよい」
「いやいや何もそんなことは思っていないとも。ただ、『伯父』のもうひとつの要素が『父親』と同じように尊敬されねばならんということなのだ」
「尊敬か。それはひとつの鍵かもしれんな」
「確かに。あの手のガキは自分の認めた人間のことしか聞かねぇもんだ」
「つまり、だ」
と、まとめられる話の矛先が厄介な方向を向いていそうで眉をしかめる。
「ヤツの誇りとする分野において、ヤツをねじ伏せられなければならないわけだ。つまり我らがオヤジ殿のようにだ」
「馬鹿言うな。結論を急ぐにも…」
ほどがある。とっさに言いつのろうとするののを、カンッという高い音が遮った。煙管の頭をテーブルに叩きつけた男が口の端だけ歪めて嗤う。
「オレァ早撃ちも狙撃も、撃ち合いなら誰にも引けをとらねぇ自信があるがな」
「…………」
「純粋な殺し合いになったとき、エースに勝てるかどうかは自信がねぇな」
沈黙がその場を支配して、一瞬だけ誰もが考える。あの少年を。ロギアの、炎の、何一つ恐れない少年を、力ずくでおさえこめるだろうかと。
「…おれぁ…無理だな。情けねぇが覇気で鎧ったって、火に耐えるにも限度がある」
「……相性が悪いな…。相討ちならなんとかいけるかもしれないが、賭けになる」
「船同士ならな、いくらでもなんとでもなるが…タイマンは歩が悪ィ」
「待てよい。前提がおかしいだろい。純粋な殺し合いなんて状況存在しねぇだろい」
「あのガキがガキなのは、そういうコトでしか、まだ人を測れないところさぁ」
「…………」
「殺せる奴は…自分より弱い奴は庇護の下に置く。殺せねェ奴は…まあ今んとこオヤジだけだったんだろう。おれたちは、奴にとっちゃあ居心地の悪い存在さ。隊長なんざ肩書だけで恐れ入る気はねぇ。だからといって殺せるのか殺せねェのかわからねぇ。ならまあ、まずは殺せねぇってのを見せつけてやんねぇとな」
「長兄だからな…庇護…奴の言う仲間には弱みは見せられんか…」
「長兄ってのはな、親父にも…弱みは知られてても見せまいとするもんだからなぁ」
「てめぇら揃ってひとの顔見てんじゃねぇよい!!」
「いやいやいやいやおれらは何もおまえのことなんか言ってねぇからな。おまえの駄目なとこはみーんなよぉーく知ってるからな」
「誰もそんなこたぁ心配してねぇよい。わざわざ言うんじゃねぇよこのクソリーゼント」「いやいやいや何もおまえさん一人に押し付けようというわけじゃない。こういうものはみなでばらばらに寄ってたかってやっても効果がない。それぞれの実力は各々の機会に示せばよいだろう。まずはあの頭をカチ割る必要があって、その適任はおまえさんだという話だ」
「そうそう。
「…………………」
「えー…じゃあまあそういうことで、しばらくおれらはどうするよ」
「むやみに弟扱いしないのはアリだろう。まずは実力を認めていることを示してやるべきだ」
「とっとと小隊のひとつでも任せてみた方がいいかもしれねぇな」
「立場的にはその方が落ち着くな。文句を言うやつはいねぇだろう」
「『異例の抜擢』だ。これも甘やかしてる内に入るのかね?」
「適材適所だろ。齢は関係ねぇ」
「なら一番隊の小隊長だ。ひとつ席が空いていただろう」
「……………おい」
「近くの方が都合がよいだろう?」
「………わかった。小隊の件は別に問題ねぇ。力を見せつけるのもいい。だがそれが本題じゃねぇだろい。その後どうしろってんだい」
「どうもこうも、言葉どおりにしてやればいいだろう」
「いや待て。ちょっと待て。あー………………まず言葉の定義から決めねぇと…」
「阿呆か。定義なんざあるか。おまえが拾われたときはどうだったってぇ話だ」
「…………………」
「まぁ、おれもだがな」
「…そうだな。おれもだな」
「ここにいる奴は大概そうだな。あれほどとんがっちゃあいなかったがな」
「あれほど頑固でもなかった」
「あれほど…死にたがってもいなかった」
「………苦労はするだろうが、オヤジの厳命なんだ。仕方がねぇよな」
「まったくもってその通りだ。仕方がない」
「しょうがねぇよな」
「まああきらめな」
「仕方ねぇ」
「オヤジの言うことだしな」
「なるようになるだろ」
「仕方がないさ」
「おまえさんなら大丈夫さ」
「適任だろ」
「ま、仕方ねぇよな」
「大丈夫だって。きっと」
「協力は惜しまない」
「まったくだ」
「責任重大だなぁ、兄弟」
「てめぇだけ後で殺すよい」
かくして滅多に開かれることのない全隊長会議は、ほぼ、総意をもって閉会した。
配属と小隊長への任命を告げた時も、エースは無表情を崩さなかった。
白ひげ海賊団における小隊長は一隊につき六人。その上に隊長と副隊長が存在する。小隊長はそれぞれが十名前後の部下を持ち、日々の仕事も小隊が基本単位である。だから本来なら、団の仕事に精通し、隊員の人となりを熟知したベテランが就くものだ。そういった意味ではエースにはまだ早い。早すぎるだろう。しかし、ことが戦闘になれば、この少年を一隊員としておくのは危うすぎる。小隊長は、戦闘において部下の生命に責任を持つ。いったい誰が、この少年の突出した戦闘能力の責任をとれるというのか。そう考えれば、直下に置くのは間違いではないし、十人の部下の生命という、そのくらいの重石をつけておいた方が、この少年にはちょうどよいのかもしれない。どれだけ見損なっても、部下を見捨てるような真似だけはすまい。
エースの無表情を見ながらつらつらと考えていると、そばかすの浮いた顔が居心地悪げに歪む。
「……話は、それで終わり?」
「ん?ああ」
「じゃあ、仕事にもどるから」
「ああ」
ぺこりと仕草だけは妙に律義に頭をさげて退出しようとする少年は、確かにサッチあたりが嘆いたように実に素っ気ない。何故とも聞かないし、臆する様子も謙遜する様子もない。抜擢されたことに対する、例えば、喜びや昂揚や、そういったものも見せない。
まあ、そういったものは大部屋に戻って、多少はうちとけた船員にするだろうし、その様子は他の小隊長からの報告を待てばいい。
のんびりとそんなことを考えながら見送っていると、姿勢の良い後ろ姿が、扉に手をかけたところで止まる。何かと思う前に、まだ細い背中がふっと小さな息を吐いた。くるりと向き直って、顰められた眉の下で頑なな目がマルコを睨む。
「おれは、誰からどんな引継を受けて、具体的にいつから始めればいいんだ?」
「…今は副隊長が代行してるから奴から引き継いでくれ。正式な発表は三日後だ。隊員へはこっちから伝えるよい」
「何かねぇの?隊長から、小隊長の心構えとかさ」
挑む目のまま問われて、試されてるのはこちらも同じかと胸の内だけで苦笑する。
「こき使うよい」
簡潔に伝えれば、「了解」と短く返る。そのまま猫が扉をすり抜けるように退出する。足音もせず気配だけが遠ざかったのを確認して、ひとつ見損なわれたかと思って肩をすくめた。
エースの小隊長就任は、案の定さしたる反発もなしに受け容れられた。周囲はさもありなんという反応で、直下につけられた船員は、むしろこの若い炎の能力者を戴き圧倒的な戦果をあげることを誇った。他の小隊長や副隊長からの報告によれば、相変わらず驕ることはないが、認められ頼られて嬉しそうにしている様子が見えるとのこと。さらに日々の仕事もフォローを受けながらも上手く采配しているということで、ひとまず悪くない配置だったといえそうだ。
となれば次は、曰く、「力を見せつけろ」とのことなわけなのだが。
「……そんな機会もねぇよい」
ここのところ起こる戦闘は小規模なものばかりで、隊長格が出張るほどのものはない。縄張りの島を荒らす海賊団を追い出すだとか、挑んでくるルーキーを蹴散らすだとか、無許可で航行する武装商船を脅したりだとかせいぜいその程度だ。
おかげで多くのクルーは体力もてあまして、今も後甲板では若手を中心に戦闘訓練と称した賭け組み手が行われている。武器なし能力なしでウエイトでのハンデもない。話題の新人も参加しているというそれをサッチに誘われて見物に行く。
「やっぱりさぁおんなじくらいの体格だと敵なしっぽくてよー」
強ぇ強ぇと四番隊隊長たる者が手放しで嬉しそうに騒ぐ。武器なし能力なしなら格闘の技術が活きてくる。ただの殴り合いでない、関節技や締め技寝技投げ技等力任せでは太刀打ちできない多彩さで、クルーの中にはその手の技を能くするものも多い。はずだが。
「…おい、てめら情けねぇよい」
晴れた空の下、広い後甲板はまさに死屍累々といったありさまだった。海賊らしく、トーナメントなんて生温いものではなく連戦上等の勝ち抜き戦。勝者は延々戦い続ける過酷な条件だ。車座になった人の輪の中に対戦者。エースと、あれは三番隊の一番古株の小隊長か。倍以上ある身長と、三倍程はあるだろう筋肉が重さを感じさせないスピードで動く。丸太のような腕が風を切って伸び、途中で器用に軌道を変えて華奢な影を追う。
追われる影は一撃を避け、二撃目を流し、空振りさせた三撃目を踏み台に反撃に転ずる。身軽さを活かし、頭上を乗り越え、ガラ空きの急所に強打。驚くべき破壊力。崩れ落ちる巨体を避け、油断なく構える。何の型とも言えないが、余計な力の抜けた、良い姿勢だった。
「いやーあれはマジで強いっすわ」
最初の方で敗れたらしい一人が寝転がって試合を眺めながら感嘆とともに呟く。
無言で先を促せば、いっそ晴れ晴れとしたように続ける。
「あいつあんなに身が軽いのに打撃はびっくりするほど重いんっすよ」
こいつは確か、入って五年目で、そろそろ小隊長に手が届く実力の持ち主だ。逆に言えば、入って数週間であっさりその立場を得たエースを、羨みこそすれ褒める道理など何一つないだろうに。
「無手勝流つうか自己流なんすけど、よく鍛えてますよ。あの歳で、あんだけ使えるなんざ……」
どれだけの。修羅場をくぐりぬけてきたのか。たった、十八歳の少年が。
この前途ある青年が累々と屍を晒す道を。血の滲むような努力なんざ鼻で笑い飛ばす航路を。どれほどの実力があろうと、決してそれだけでは辿りつけないこの海の果てへ。単身乗り込んだ少年が、その短い人生において、いったいどれほどの犠牲を払ってきたのか。黙り込んだ男の背を叩く。ときに輪の中心では一番隊の副隊長が、鮮やかな関節を決められてタップしているところで。打撃技だけではないと見せつけた少年が立ちあがって汗をぬぐう。その腕の下から物騒な視線が己を認めてきつく歪む。
「…見つかっちまったよい」
ひとりごちる。強すぎる視線から外せば、極められた肘をさすりながら馴染みの部下が情けなさそうに近寄ってくる。
「馬鹿野郎」
「いやあ素手は専門じゃなくてね」
確かに彼の得意とするものは刃物であって、そっちなら『白ひげ』の中でも余裕で隊長格に張りあう実力だ。だからと言って、閑があるごとに手合わせさせているのだから弱いというわけはまったくないはずなのだが。
「強ぇのかい」
「…勘が良い。読まれてんのかと思った」
「…へぇ………」
「あと、ここまで立ち技だけで関節使う素振りもなかったからちょいと油断した」
「意図的に隠してたっていうのかよい?」
「そこまではわかんねぇよ」
「マルコ隊長!」
「おう隊長殿、何だ参加か?かたき討ちか?」
マルコの姿を見咎めたあちこちから声がかかって、止める理由もないから円陣の中に踏み込む。少年の、火花のような緊張が伝わってきて薄く笑む。胴元がだみ声を張り上げて賭け金を募る。札が乱れ飛んでギャラリーが興奮した声をあげる。無理もない。隊長格がこの手に関わることは滅多にない。
白ひげ海賊団が傍目にはどれだけ牧歌的に見えようと、海賊であることに変わりはない。そこにあるのは極シンプルな掟だ。つまり、強い者が偉いということで、隊長はそれを体現している。隊長より強い者はいない。それを引っくり返すということは、すなわち、現状の位階を引っくり返すことだと。
それを知ってか知らずか、エースが傍らの船員に無造作に訊ねる。
「…あの人強いの」
「強ぇよ。べらぼうだ」
「ふうん」
汗だくで、わずかに肩で息をしている。疲れは明らかで、それでも少年の戦意が衰えることはないらしい。ぎらぎらと餓えるような眼差しが向けられるのを久しぶりだと思う。せいぜいひと月程度しか経っていないというのに。こいつは、すっかり牙を隠してしまっていたから。
ゆっくりと、距離を測るように歩く。円を描きながら。つられるようにエースも足を踏み出す。上背はマルコの方が少し高いぐらい。体格も十代のエースよりは厚いが、この海賊団では薄い方だ。互いが能力者であることは知っているが、そもそもの地力は知らない。
「エース。おまえ何戦目だい」
「…十二戦であんたが十三戦目だ」
「なら、ハンデだ。三十秒間、おれからは攻撃しねぇよい」
ぶわりと、空気が灼熱する。怒りが、物理的な力を持つ。人垣が一歩下がり、いつでも炎から逃げ出せる態勢をとる。
「…ハンデなんざいらねぇよ」
地を這うような唸りは、餓えた狼か人食い虎かといった風情だ。挑発を受け流せない少年をさらに煽る。
「負ける理由を連戦のせいにするかい?」
「……誰が、何の言い訳をするって…?」
ちりちりと大気が焼けるようだった。覇気だなァとのんびり思う。素質は十分。無意識で使っているから制御が効かないのが難点。教えてやらないと、と頭の隅に書き込む。
「威嚇はいいから、とっととかかってこいよい」
悪役風に差し招く、動作を終える前に懐に入られた。素晴らしい敏捷性だった。至近から繰り出される拳をガードする。続けざまに放たれる蹴りと拳をかわし防ぎ、勢いを利用して距離を稼ぐ。が、即座に肉薄される。徹底したインファイトをしかけてくる相手に苦笑する。いくらマルコが最初は攻撃しないと言っていたとしても、当てやすいだけカウンターを喰らうリスクも高い戦術を、敢えて選んで突っ込んでくる。
若く柔軟な身体が奔り、撥ね、意表を突く角度から攻撃を放つ。一撃必殺とはいかないまでも、牽制など知らぬと言わんばかりにまっすぐに急所を狙ってくる。その代わり、スピードも意外性もあるが、狙いが単調だ。
そして、そう思わせることが伏線だ。
ちらりちらりと交錯する視線は先刻の激情を抑えて驚くほど冷静で。だからこそ、衝動のままに仕掛けているのではないとわかるから。
フェイントを見破る。突然に緩急のついた打撃をいなす。渾身の作戦を見破られて、鋭い目つきがわずかに驚愕する。それがその日見せた唯一子どもらしい反応だった。
精確に三十一秒目に反撃に転ずる。突き込まれる拳を体の横で流す。突きと同じ速さで引き戻されるそれを掴む。体を入替え投げ飛ばす。猫の子のように器用に着地した相手の胸元に爪先を当てる。間合いの確認。余裕をもって。ひゅっとエースが息を吸う。すばやくガードするように上げた両腕の上から一撃。片脚で己が上半身を支えたまま、掬いあげるように二撃。ガードが崩れた隙間から正面へとどめの一蹴。
後方にすっとび、数人を巻き添えにして倒れる。勝負ありだと誰かが叫ぶ。観客が一斉に沸き、倒れたエースの周りに人が駆け寄る。すぐに立ちあがってくる気配もない。マルコは構えを解いて薄く滲んだ汗をぬぐった。背後で見物していたサッチにお疲れさんと肩を叩かれる。
「…やりすぎちまったかねい」
「んー…まあ……あんなもんでしょ。で、どうよ」
「末恐ろしいよい」
端的に感想を述べたら、へぇと意外でもないように返ってくる。
一撃目で戦闘不能にするはずだった。だから二撃目は力加減がわからず中途半端になったとは言え耐えられてしまった。さらに前半の心理戦。猪突猛進と見せかけて仕掛ける隙を窺っていた。十八歳の血気に逸った新人がやれるようなことではない。
人の輪の中、少年が誰の手も借りずふらつく足で立ちあがろうとしている。鼻血に気付いてぐいとこぶしで拭い、唇の端の血はべろりと舐める。威嚇する獣のように少し前かがみで心底悔しげに睨みあげてくる。いい目つきだと感心する。感心して、はたと気づく。当初の目的とあまりにかけ離れていやしまいかと。
(…甘やかさなけりゃいけねぇのに、反発させてどうする…)
さりとてここで、よくやっただの、将来楽しみだなどと言ってみたところでさらなる反感を買うだけなのだ。いつまでも動かない少年に、何と声をかけていいやら内心頭を抱える―――周囲から見たらさぞかし険悪に睨みあう光景に見えただろう―――先にエースのへの字の口がぱかりと開いた。何だ負け惜しみでも言う気かと思ったら。
「マケマシタ」
潔い敗北宣言に周囲がどよめく。しかしマルコが驚いたのは間髪いれずに続いた言葉の方だ。
「次はいつやれる」
…隊長が新人と手合わせできる時間など簡単にはつくれない。ましてや一人だけ特別扱いするわけにもいかない。当たり前の理屈はすぐに頭に浮かんでかき消えた。
「また」や「今度」や「もう少し強くなったら」などという曖昧な言葉でごまかせるとも思わなかった。
エースがこの船に乗って、自らの望みを口にしたことはどれほどあっただろうか。
―――――――『あいつを甘やかしてやれ』
オヤジはそう言った。それはマルコにとって厳命に等しい。必ず果たされるべきことだ。ただ、その言葉のもつ、優しげで子どもじみた響きに戸惑っていた。年少扱いすることや、褒めたり頭を撫でたりということが、そう、ではないことはわかっているつもりで。ならどうするかと問われると途方に暮れるのだ。何故なら、マルコはエースの望みを何一つ知らなかった。
今までは。
敵意むき出しでぶつけられる挑戦に応えてやることも甘やかすとカウントして良いのだろうか。
「…いつでも仕掛けてくればいいよい」
己でも予想していなかった言葉がこぼれた。慌てて、意地悪く表情を取り繕う。
「オヤジにやったみたいにな」
バツが悪そうにうつむくエースに、堪え切れず笑うふりをする。周囲がつられて笑いだし、口々に少年をからかう言葉の合間に、まるでなんでもないことのように伝える。
「手が空いてりゃいつでも相手になってやる」
人の腹の底までも見通さんとするようなエースの視線にさらされながら、そうだ、覇気を教えてやらなければいけないと己に言い訳をする。
かくして船で一番の新入りは、船で最も多忙な一番隊隊長への特別で直接のルートを手に入れた。