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the Order 2

 
少なくとも、傍で見ていた人間にとって、エースの本質は、あの襲撃の姿そのままだ。
手負いの獣の、剥きだしの敵意。傷は、その時負ったものだけではない。エースの内側から、渦巻く力が外に向かい、耐えられず裂け血があふれ出るようだった。それを受け止めた懐の広さは白ひげだからであって、決して己に真似のできるものではないとマルコは知っている。エースは白ひげだから受け容れたのであって、ひとからげに己らを認めたわけではない。
だが、だからといってあの優等生面はいただけない。まったくもっていただけない。借りてきた猫のような、あるいは、飼いならされたふりを装う猛獣のような。
スペード海賊団のときと同じ役回りをさせる気など毛頭ない。ひとりで世界を背負っているような悲愴さはここでは迷惑なのだと教えてやらないといけない。仲間を守ることだけでなく、仲間に守られていることを、こいつは知らなければならない。
…のだがいかんせん。
 
「………あんた、いつでも相手してくれるって言ったよな?」
「うるせぇよい。本当に忙しいんだ。勘弁してくれ…。おい!!それはそっちじゃねぇって何べん言わせりゃわかるんだよい!!」
エースが怒るのも無理はない。あの手合わせの後、本当に何度かエースの方から申し出があった。あったのだが、あまりにもマルコが忙しすぎた。またこれがちょうどタイミングの悪いときに近寄ってくるのだ。
 
「マルコ、ちょっと見てくれ。なんかおかしいんだ。ここがこの量なのは…」
「そりゃ、あの馬鹿の仕事だろい!!」
「あの馬鹿がこの数字を回してきたんだ。埒があかねぇ」
「……こりゃ完全にぼられてやがるクソ野郎…。再計算してくれ。向こうにねじ込むよい」
「おれぁ…無理だって、そんな難しいのわかんねぇよ!」
「ちっ…あの馬鹿はどこだ!」
「おーいマルコ、次の目的地までの航路が出たぞ。確認してくれ!!」
「オヤジに回してくれ!!」
「サッチはさっき港のいざこざを治めに…」
「…あー……誰も残ってねぇのか…」
「マルコ!オヤジは今日調子がよくねぇらしい…ナースの連中が駄目だって言ってる」
「マルコ!納品された酒が十樽も傷んでる!!あいつらオヤジの好物に不良品を混ぜやがって! 許せねぇ!!」
「あ!おいっ馬鹿!!誰かジョズを呼べ!!あいつを止めろ!!」
「マルコ!まずいぞ、海軍の最新情報がきた。奴ら…」
「……エース!」
予期しないタイミングで呼ばれて、所在なく佇んでいただけのエースが反射的に飛びあがる。
「な…何だよ!」
「おまえ読み書きはできるか?」
「当たり前だ!馬鹿にすんな!!」
「騒ぐな。うるせぇよい。それなら重畳だ。計算は?」
「…難しくねぇやつなら」
「ならこれだ。こことここ、税率がおかしい。これぁ古いやつで今は三分の二に下がってる。ここも手数料が二重に計上されてる。わかるな?ここも、そもそも元の約定でこの金額は十年は据え置きのはずだ。その条件で計算し直してくれ。時間は…三十分もあればできるな?」
「なっ?ちょっと待てよ!おれはあんたと手合わせに来たんだ!何でおれがそんなこと!!」
「やかましい。いちいち耳元で騒ぐなよい。時間があるときにっつたろ?時間がねぇんだ、ヤりたいなら時間をつくる手伝いくらいしやがれ!」
「~~っ!!」
「マルコ!!」
急かすように別の場所から呼ばれる。それにつられて振り向けば、目を離した手の中から書類がひったくられる。もう一度振り向けばマルコの足元にどっかりと座りこんで、手にした書類を読み始めている。思わずふっと笑えば、睨みあげられる。詫びの代わりに愛用のペンを渡せば、背中を丸めて床を台に書き込みだす。
結局、その計算をエースは四十分かけて成し遂げた。途中で質問が一回入って、できたと手渡されたものにマルコはざっと目を走らせる。
「……上出来だ。おい!これをサッチの阿呆のとこもってけ!いざこざなんざ放っといててめぇのケツはてめぇで拭けって伝えろよい!」
マルコの足元で緊張を解いた少年の鼻先に、次の一枚をつきつける。
「次はこれだ」
「なんでっ…!!」
「何度も言わせんなよい」
歯噛みせんばかりに悔しがる少年は、それでも逃げようとはしない。意外に使えるとマルコはほくそ笑む。てっきりもっと時間がかかるか、逃げ出すものと思っていた。いいものを拾ったとマルコは内心だけで舌舐めずりした。
 
押し寄せる雑事がひと段落したのは、別隊が無事にもどり、人手が増えてマルコが自身の範囲内だけこなせばよくなってからだった。傍らにいたはずのエースはいつか姿が見えなくなっていた。そういえば、どっかに伝令に出したんだったか。そのまま戻って来なかったなら、押し付けられる仕事に嫌気でもさしたか。もしそうだとしたら、もう手合わせをしろとは言って来なくなるかもしれない。
がりがりと首の後ろを掻く。ちらりと後悔がよぎる。
「マルコ」
「っ!」
思ったより動揺してしまったマルコの反応を不審気に窺いながら、エースが音もなく近寄る。
「飯の時間」
「あァ…今行くよい」
頷きもせず背を向ける少年に、伝えようとして、迷う。例えば今日は助かっただとか、次こそは手合わせの約束をきっと守るだとか。
「…エース、おまえ今日当直だろい。外すように手配しとくよい」
今日こき使ったエースの時間は、本来夜番に備えて睡眠にあてる時間だった。手合わせ一本なら当直に差支えもないだろうが、時間いっぱいこきつかった自覚はある。このまま一睡もせずに任につかせるわけにはいかない。
「別に、平気だ」
「馬鹿いえ。居眠りでもされたら困るんだよい」
「平気だ」
「…エース」
頑なにマルコの話を聞かない少年に、マルコは少しだけ声音を緩める。
「おまえ、読み書きはどこで習った?計算も式に癖はあるが正確だったよい」
十八の、どう見てもスラム上がりの海賊が、読み書きだけでなく計算もできるというのは珍しいことだ。海賊船なら、文字も読めない腕っ節だけの船長も多い。
「…癖?」
反応があったことに安堵する。エースは自負心が強い。褒められるのも気遣われるのも嫌いだ。しかし、能力を正当に認められるのは満更ではないらしい。半分だけ振り向く少年に、過剰な感情を伝えないように抑制する。
「もう少し手数の少ねぇ方法があるだけだ。間違っちゃいねぇよい。どこで教えてもらった?」
「…ガキん頃、知ってる奴がいて…そいつに」
言い淀む。その反応に好奇心を覚える。エースが自分のことを話すのを聞くのは初めてかもしれない。しかも『そいつ』という第三者の存在。噂に聞く弟ではないのだろうと判断する。『そいつ』という気安い呼び方にかまをかける。
「そいつもガキだったのかい?」
「…そうだよ」
「へぇ、…たいしたもんだ」
「…え?」
「あ?」
「なんで、たいしたもんなんだ」
「そりゃ…おれァ、十六まで読み書きできなかったが、覚えるのにはずいぶん苦労したよい。ガキがガキに教えてそれだけできンなら、よっぽど教え方が上手かったんだろい」
「…そうなのかな」
わずかに嬉しそうな気配が乗る声に、意図せずとはいえ正解を引き当てたことを確信する。こいつは自身より、周りを褒められた方が喜ぶのだろう。『そいつ』がどんな奴なのかは知らないが、よっぽど近しい位置にいるのだろう。直截に聞いてみたいが、そうすれば途端に警戒するのも目に見えている。だから猫を警戒させないように視線は向けない。
「そいつには他に何を習ったんだい?」
「…海図も少し。本借りただけで……ほとんど独学になっちまったけど」
「……」
さして役に立たない勘ながら、この時ばかりはわかった。その本を返す先は、もう、ないのだ。
「…海賊すんなら、それくらいできなきゃ駄目だって言われたから」
あるいは共に航海する約束をしていたのか。想像でしかないが、そこまで外れていない確信がある。こいつが妙に真っ当なのはそのせいかもしれない。亡くした者への忠誠というのは根の深い感情だ。
「そりゃあ『そいつ』が正しいよい」
一石二鳥の策を思いつく。不謹慎にも内心だけで舌舐めずりする。目的は明確だ。この少年を「甘やかす」という大命題と、この戦力は逃しがたいという、ささやかなマルコの要望。少年がその教わった技能をわずかでも誇りに思っているなら、その二つは同時に満たせる、はずだ。
「…なァ、おまえ、おれを手伝えよい」
「はァ?嫌だよ。何でおれが」
「空いた時間だけでかまわねぇよい。どうせ閑だろい」
「閑じゃねぇよ!」
「なら閑を作ってやるよい。シフトに組み込んでやるから」
「やめろよ!あんたの仕事をなんで手伝わなきゃいけねぇんだよ?!」
「計算ができて、綴り間違いの少ねぇ奴は貴重なんだよい」
「主計の奴らが居るだろ?!」
「責任とる人間が把握してねぇわけにはいかねぇだろい」
こればかりは本気で舌打ちする。
「サッチの阿呆がこっち方面ではからきしなんだよい。ただでさえ一人欠けてんだ。判断する頭が足りねぇ」
「そんなんサッチにあんたが教えりゃいいだけじゃねぇか!」
「三十過ぎた人間が今更新しいことを覚えられるわけねぇだろい。やつには期待するだけ疲れたんだよい。その点おまえさんなら大丈夫だ。若ぇし基本もある」
「難しいのなんかわかんねぇよ!」
「細かい数字が素人に扱えるかよい。それは専門家に任せるにきまってる。ただ、専門家の連中は逆に前線がわかんねぇのさ。戦闘員じゃねぇから、次にぶつかりそうな相手が誰で、そいつらに対してどれだけ弾薬やら武器やらを消耗するかなんざ、計算できねぇ。ましてや、船にひとり増えたからって、十人前の食糧が毎日消えていくなんざ想像もつかねぇだろうよ」
誰を指しているかは言わずもがな。憮然とそっぽをむくエースに畳みかける。
「なに、おまえに今判断しろとは言わねぇよい。ただ、現場から見ておかしいところを見つけておれに要点を説明してくれりゃいいんだ」
まあ実のところをいうと白ひげの主計を担う連中はそんなことではびくともしない。次に向かう海域から必要弾数くらい割り出してみせる。ただ、よりによって主計をまとめるべきサッチが阿呆なのと、二番隊隊長の欠番をマルコとジョズの二人で行っているため負荷がかかっているというだけなのだ。
「あとは、いちいち差し戻してらんねぇのを修正してくれりゃあいい。今日やった要領だよい」
「あれは仕方ねぇからっ!だいたいあんたは約束ひとつ守らねぇくせに…っ、あんたの都合で勝手に決めるんじゃねぇよ!!」
約束ときたか。虚を衝かれて丸くなる目を咄嗟に逸らして、笑いだしそうになるのを渾身で堪える。ここで笑ったら、確実にこじれる。間違いなく今までコツコツと積み重ねてきたあるかないかのなにものかがすべてのこらず台無しになる。
「…おれの仕事が早く終われば、おまえの相手をする時間もできる。船の仕事も早くまわって皆助かる。手伝えばおまえも船の仕事が学べる」
表情だけは真剣なまま、記憶を隅々まで引っくり返して、エースが引っ掛かりそうな言葉を探す。エースを応と言わせる言葉。エースがエースを納得させられる動機。
「おまえが船の仕事を覚えればオヤジが喜ぶ」
「………喜ぶのか」
中り。切り札を使ってしまった気がしなくもないが、嘘ではないし、エースの折れどころとしても悪くはないはずだ。
「喜ぶよい。おまえが報告に行けば喜ぶ。オヤジは向上心のある奴が好きだからねい」
もうひと押し、
「海賊は無学と相場が決まっている。誤魔化してくる連中は多いし、実際、こっちも苦手なやつが多い」
どういう表情を作ろうかと思う。真摯を貫いてオヤジへの忠誠という共感に訴えてみるか、自嘲を見せて相手の自負心をくすぐってみるか。どちらの方が、この少年は本心を見せるだろう。
「おまえさんが手伝ってくれると、助かる」
「………オヤジのためだってンなら手伝ってやらねぇこともねぇけど」
結局浮かべたのは、慣れたいつもの皮肉な笑みで、それでもエースが返してきた半ば肯定の言葉に知らず安堵する。
だから、次の弾丸への備えなど何ひとつできていなかった。
「あんたのそのわらいかた、おれはきらいだ」
虚を。
するりと突き刺して少年は、エースは、笑わない。猫のように傍らをすり抜けて、もう一度振り返り念をおした。
 
「約束、守れよ」
 
 
かくして一番隊隊長はもっとも有用でもっとも厄介な駒を、自らがさし招いたことにようやく気付いた。
 
 
 
 
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