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アルコールとセックスと猫、そして彼をめぐるいくつかの謎 5

 



 
五 話
 
 
 何の前触れもなく姿を現したと思ったら、「言っとくけど、飲みに来たんじゃねェから。さっきそこで、知らねェ女のコに、これあんたに渡してくれって泣き付かれちまって、嫌々、仕方なく、だ。きっちり受け取れよな」と、ドアのところから手にした封筒をこちらに投げて寄越そうとする。
 目配せをひとつ。わかっていると言わんばかりに、タウザーはふっさりと黒い波を起こしてスツールから降りると、突っ立っているエースの足許に、くるりとまとわりついてみせた。ドアを出て行こうにも、どうにも尻尾が邪魔をする。
 踏むぞ、とエースはタウザーを睨み付けた。踏めるものならな、と挑発するように猫が赤い口で鳴く。
「――そんな不届きな真似、一度だってされたことねェよいって、あんた言ってたくせに。あんなコ相手にザマぁねェな」
 飲み逃げされたの知ってンだぜ、と小バカにしたような目付きで見られて、目上の人間としては、おそらく説教のひとつもくれてやらねばならない場面だったにもかかわらず、マルコは思わず笑ってしまった。
「ザマぁねェよい」
「わ、笑うとこじゃねェだろ!」
 多分、今初めて、実感というのをさせられたと思う。なんとまあ、ありふれた、使い古しの理由。
「………捨てられちまったかと思ってたよい」
 あれこれすっ飛ばして、ぽろりと本音が零れた、その瞬間にエースが見せた表情が、無防備過ぎて虚を衝かれた。ふて腐れた態度で、油断したら最後、おれだってと口走ってしまいそうな自分を、必死に押し隠そうと口許を手で覆う――たぶん、そんな感じであるはずの、その子供じみた人恋しさが愛おしかった。
「――別に、たまたま通り掛かっただけなんだ。そしたら、ちょっと綺麗なコがこの階段の一番上のとこから壁にすがるみたいにしてこっちを覗き込んでて――」
「それで?」
「声かけたさ!悪ィかよ、それが?」
「――なんか悪ィのか、それが」
 エースは目を合わそうとしない。
 
 本人はあくまで慎重に店の様子を探っているつもりだったのだろうが、傍から見れば怪しいどころの話ではないし、まるで気乗りはしなかったが、そこは性分というやつで、どうかしたのかと一応訊ねてみたら、突然、やたらデカイ目から、ぶわっと涙を溢れさせた、のだと言う。
 わたし、この地下にあるバーから通報されてるかもしれないんです。お詫びに行かなきゃいけないなんですけど、この辺りってなんだか薄暗いしお店の人きっと凄く怒ってるしひとりじゃ怖くて、と周囲の目も憚らず泣きじゃくったという相手に、エースは心底辟易したのだろう、げっそりと恨めしげなまなざしでこちらを見遣る。
 そこの兄ちゃん、女泣かしてンじゃねェぞコラ、と野次馬から無責任な声まで上がり始めたので、やむなく角のコーヒーショップに入ったというエースに、そりゃ災難だったよいとマルコは心から同情した。あの店のコーヒーは、ホットでも冷汗が出るほどに不味い。
「数年越しで付き合ってる彼氏に、いきなり別れ話切り出されたらしくてさ。大事な話があるっていうから、てっきりプロポーズだと思ってたらそれで、なんで急にそんな展開になっちまうのか心当たりもねェし、そいつと別れたあと、やけっぱちで『胡散臭い』店にひとりで入ったんだってよ。『お店の人は背が高くて愛想もなくて目が怖いし、他のお客さんはひとりもいないし、おまけにいつのまにか彼の好きだったお酒を頼んじゃってるし、でももうあのひと元カレになっちゃったんだ、って』」
「――ああ」
「それでわけわかんなくなっちまって、次に我に返ったら、どうやって帰り着いたんだかまったく記憶にねェらしいんだけど、何せ自分の部屋でわあわあ泣いてたんだとさ」
 以上、と肩を竦める。こんだけ聞き出すのに、軽く一時間超えだぜ?
「女一人でバーで飲むタイプじゃねェなとは思ったがよい。おどおどしてるわりに、オーダーは慣れた調子だったからつい油断しちまった。コースターにロックグラス置いた瞬間に、号泣されちまってよい。そのまんま店を飛び出して行っちまったんだが、何せこっちも呆然としちまって追い損ねた」
「『お金、渡しといてくれませんか?それであの、ごめんなさいって――お願いします』だってさ。無理矢理これ押し付けられちまって、なんか凄ェ逃げ足早ェの」
 これ――封筒から千円札を二枚引き出してカウンターに投げる。
「足りねェよい」
「はァ?一杯だけだろ?なんか高い酒だったのか?それとも――ああ、チャージか」
「別に。この店で一番安い酒でも、それっぽっちじゃ飲めねェよい」ぱちくり、と余程意外だったのか、エースが目を丸くする。「たしか、カルーアミルクだったな。不足分は――」
 額を言うと、相手は暫し絶句した。
「嘘だろ?そんな高いのか、この店。だったらいつも、おれ――」
「お前のは、そのうちまとめて請求してやるよい」
「それであんたの店、客がいねェのな。やっとわかった」
 わかってねェよい、と気付かれぬようマルコは、唇を歪めた。この店に客がいないのは、勘定が高い所為も無論あるだろうが、第一に、出される酒が中途半端に不味いからだ。美味ければ、たとえどれほど高かろうが、そのうちに通い詰める者が出てくるはずで、それは困る。かといって、不味すぎることで人々の口に上るのも、彼にとってはこれまた都合が悪い。
「こっち来いよい」
「あのコの不足分肩代わりとか、絶対断る。コーヒーぐらい最初から奢るつもりだったけど、どさくさまぎれとか遣り口が汚ェよ。あんたの方は、多少足りねェにしても、ゼロよりはマシだろ?」
「お前を寄越した時点でチャラだよい。それよりそのスツール、いい加減に勘弁してくれねェと埃が積もっちまう」
「――『予約席』ってプレート、置いてあるぜ」
「お前の席だよい――いいから来い。見せてェものがあるんだよい」
「見せたいもの、って?」
 おいで、と低い声で囁くように手招く。とおい昔、誰かを思わせる特徴のある毛並みが懐かしくてどうにもならなくなり、こちらをじっと観察しているタウザーにかけたのと、言葉だけは同じだ。ややあって、舌打ちしながらエースは、カウンターの一番端、彼の指定席へと足を踏み出した。
「そっからこっち側、覗いてみろよい」
 しぶしぶといった様子で、たしか一八五㎝ほどだと言っていた長身のエースでも胸の辺りまでの高さがあるカウンターに、ひょいと上体をのりあげる。身のこなしが、目を瞠るほど軽い。
「覗くって何を」
「おれの手許だよい」
 これみよがしのため息を吐いてから、酒を作る為のスペースを言われるがままに覗き込んで、エースはその頬をかあっと紅潮させた。
「甘やかしすぎだ、ってサッチが揶揄いやがるからよい」
「………バカみてェ」
「おれ専用のカルヴァドスと、サッチ専用の芋焼酎、それから――」
「チェリーの酒、だったよな?」
 特別扱いしてるってのを、できればあんまり気付かれたくなかったんだよい、と本音を洩らせば、なんで?とエースが俯く。
「さあな。お前が来なくなったあいだに、忘れちまったみてェだよい」
 「見せてェもの」ってのはこれだけだ、と指で弾くようにして額を押し返す。カウンターのこちら側には、絶対に見られてはならないものが他にもある。
「――マルコ」
「なんだよい」
「他に隠してることは?」
「いくらでもあるよい」
 うん、とエースはしかたなさそうにわらった。
「作ってくれよ、いつかの」振り切るように、朗らかな声を張り上げる。「なんとかセブンだっけ?」
「セブンス・ヘブンだよい」
「それ何?」
「どっかの宗教に、そういう最高の天国があるんだってよい」
「ふうん。おれたちにはきっと縁がないな、天国なんて」
 そう呟くエースの瞳が、暗闇の色をしている。マルコの記憶にあったものよりずっと深い色合いの、さながら暗黒。胸騒ぎがした。
 なんでもないようなスプリングがひとつ。
 仮にそれを見られたところで致命的な事態を招くはずもないと、そうマルコは自分に言い聞かせる。
 いつもの自分なら絶対にしなかったミスだ。それでもあのとき、そのまま出て行かせてしまったら最後、二度と自分の前に姿を見せないであろうエースを、どうしてもマルコは引き止めたかった――この先の人生を秤にかけてでも。
「おれもある」
 隠してること、と呟く。
「おれほどじゃねェよい」
 ほんとうにいくらでもある。キスしてやりたくなった、とか。
 
 
 
 
「――エース?」
 席を外したのは、たいした時間ではなかったはずだ。
 何処へ行ったのだろうと訝しみながら、カウンター越しに彼の座っていたスツールにふと目を遣って、それきりマルコは動けなくなった。
 万札が一枚。そして重石のようにその上に乗せられているのは――
「………ベレッタ」
 愛銃をいまさら見誤りようもない。カウンターの内側に極限まで分解して置いてあるそれを、思い出したように念入りに掃除しては、また組み立てる。平穏に慣れた日々のどこかで、それが許されるわけもないと、自分に思い知らせるために銃の手入れに没頭していれば、なにもかも遠いところの出来事のように思えてくるのが、マルコは好きだった。
「エース、お前――」
 言葉が続かない。
 スライドとフレーム、マガジンあたりはそれなりにカムフラージュして抽斗、あとは無造作にグラスに突っ込んで棚の奥に押し込んでおいたはずだ。エースが久々に現われたときは、このところ怠けていたベレッタの分解掃除を始めたところで、客が来たときにいつもそうするように、気配を感じると同時に全て隠したつもりが、相手が相手だと平静ではいられなかったらしい。スプリングだけが手前に残っていたというわけだ。
 完全に分解してはいなかったが、それでもパーツは全部でいくつあったろう。それらすべての在り処を、おそらくはマルコの視線から探り、精確に組み立ててみせた銃を見せつけるようにして、エースは消えた――消えてしまった。
 
「おれは、わかってたよい」
 
 いつかこんなふうに、終わりがやってくることを。




(こよいさま)

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