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枷 2

 
 
 
 
「…ごめんなぁ」
謝罪にしては少し軽すぎる声だった。その男はいつもそうで、いつだってそうで、こんなときもそうなのだった。
「…サッチ!」
ありとあらゆる呪いを込めてマルコは己が友を罵る。
身じろいだ拍子にじゃらりと耳障りな音が鳴る。両腕を固く縛めた海楼石の鎖。それがこすれあって軋む忌まわしい音。舌打ちすることすら苦痛なほどに、体中の力を奪っていく。圧倒的な力で己がすべてを無力化される感触。
その感覚があまりにも恐ろしく、抗うように自ら怒りをかきたてる。
「離せよい!!」
壁から生えた鎖を渾身の力で引く。頭上で吊るされた手首に痛みが走る。それでもわずかでも戒めが緩めばと無茶苦茶に腕をねじる。いっそ折れたとしても、この枷から抜けられるならすぐに再生できる。そう思うのに、自らの手首を折るほどにも力が入らない。ぞっとするほどの無力感。叫びだしたいほどの恐慌を唇をかみしめてねじ伏せる。
「……。わかるだろ。おまえがいると足でまといなんだよ」
目の前に立つ男がこれ見よがしに肩をすくめる。
馬鹿みたいな早業で、酒瓶に薬を仕込んでみせた。この男から回された酒に口をつけて、昏倒した挙句、役立たず呼ばわりされたのではあまりにも我慢がならなかった。
「サッチ、てめぇただで済むと思うなよい」
一番長く近くに居た。手癖の悪さなど知り尽くしていたと思っていたのに、こんなときに限って己は油断した。
「怖ぇなァ。…ま、その話は帰って来たときな」
女に向けるように片目をつぶって見せる。海に出てしまえば二度ともどって来はしない、気障で軽薄な男の仕草そのままに。
 
――― 恐怖が。
 
怒りを越えて溢れる。目の前が暗くなる。歯の根が合わない。震えを止められない。力ない指が触れる鎖を無為に掻く。
この男は、二度と帰ってこないかもしれない。この男だけではない。己が愛する何もかもが。守ると誓った何もかもが。
己がここに在る所為で。
 
誰もが今度の戦は厄介だとわかっていた。
天竜人は、最悪の疫病神だ。分別のある人間なら誰でも知っている。天災と一緒でただ身を低くして暴威と強欲が去るのを待つしかない。己と己が家族にだけは不幸が降りかからないようにと祈りながら。
無法だ極悪だと言われる海賊でもそれは変わらない。天竜人を傷付ければ、海軍大将がでてくる。それはこの新世界では知らない者のいない事実で、それゆえ、自ら好んで天竜人にかかわるような馬鹿はいない。
その最大最悪の、クソのような厄ネタを、マルコは白ひげ海賊団に引き寄せてしまった
天竜人の強欲は不死鳥を欲した。白ひげ海賊団の一番隊隊長である、その存在を。
世界最強の海賊団の、海軍とですらまともにぶつかればどちらも無事ではすまない、世界の均衡を支える一角を向こうに回して。ただその小児じみた我儘さをもって。
白ひげが、いっそ、マルコを見捨てるような男だったなら。兄弟が、いっそ売り渡してくれたなら。己がいっそ自ら投降するような犠牲に浸れる人間だったなら。
己は己が魂以外何一つ失わずにすんだかもしれないのに。
 
 
 
「…マルコ」
「ッ、ジョズ!」
狭苦しい地下の牢獄にうっそりと巨体が現れる。気遣わしげな視線がいつもの思慮深い仲間のものだった。一縷の望みを抱いて身をのりだす。
「ジョズ!頼むよい、これを外してくれ!!」
動けばおぞましい石の感触がいっそうに強まる。苦痛に耐えて暴れてみたところで、膝をついたままの姿勢ではろくに動けない。それでも必死で訴える。
「なァ馬鹿な真似はやめろよい。戦力は一人でも惜しいはずだろう?だから、これを外してくれ」
答えず近づいてきたジョズの手には数枚の毛布がある。それをマルコの傍らに置いて、軋むほどに力の込められた手首に眉をゆがめる。武骨な指が痛ましげに触れる。
「動くなマルコ、手首を痛める…」
「ジョズ!!」
何年も、ともに戦ってきた仲間だ。手首ひとつで憐れまれる筋合などない。命を預け合った相手に、まるで壊れもののように扱われる。酷い屈辱だった。男の声に、何の侮りも欺瞞もないとわかるから尚更。
「……マルコ、敵は必ずおまえを捉える罠を無数に用意している。おれたちにとっては、おまえを押さえられた時点で負けなんだ。…おまえを連れてはいけない」
この上なく真摯な応え。苦しいほど。苦しい。何度も説得され、何度も退けた理屈だった。それを愚直なほど真っ当に繰り返す男が、何よりも苦しかった。
「ジョズ、頼むから…!」
「心配するな、みな、すぐに帰ってくる」
「……っ!」
嘘だ。その叫びが言葉にできない。ただかぶりをふる。信じられないと。そんな甘い戦いではない。果たされない約束が、この世の中にどれほどあるか知っていた。どうせ果たされないのなら、せめて仲間と共にありたかった。それだけの望みをどうしてわかってくれないのか。
「…むろん、帰ってくるとも」
「ビスタ……」
「ふむ。ひどいものだ」
言葉とともに口髭の男が入口を身をかがめてくぐる。五番隊隊長の手には食べ物の入ったかわいらしいバスケット。そのアンバランスな組み合わせに、いつもなら笑っていただろう。ジョズが持ちこんだ毛布の傍らに恭しく置く。捕らわれたマルコをしげしげと見て、まるで咎めるかのようにサッチを振り向く。
「ひどいとは思わないかね?」
「…何でおれを見るかな」
「折角持ってきたのに、これでは食事もとれん」
「長さ調節できるから。…今緩めたら、絶対こいつおれの首締めにかかるもん」
「…ふむ。それも一理ある」
「てめぇら勝手なことをごちゃごちゃと…」
いつだって大真面目に場をかき回す男だ。いつも芝居がかった仕草と現実に揺るがされない美学でマルコの毒気を抜く。今も仰々しく両手を広げて「しかし」と嘆いてみせる。
「しかし、果たして我々は帰って来たとて彼の赦しを得られるものかね」
楽しそうな、楽しそうな、別れの言葉。否とも応ともこたえられないマルコに、悪戯を仕掛けるように渋い笑みを見せる。
「それこそ生きて帰ってみねばわかるまい」
続いて姿を見せた七番隊隊長が、後を引き継いで苦笑する。それを皮切りにしたように次々と入れ替わりながら、各隊の隊長が訪れる。出航の前の最も慌ただしい隙間をぬって、誰もが何かしら、虜囚のマルコが少しでもすごしやすいようにと持ってくる。何冊かの本。食べ物と飲み物。石畳の牢で、寒くないようにとたくさんの毛布。短い、別れの言葉。もしかしたら、最後になるかもしれない。マルコが何一つ返せない言葉。
誰もかもが、ことさらに軽く。
 
誰もかもが、また、と言って去っていく。
 
「なんだ、ずいぶんあられもないことになってるじゃねぇか」
「……イゾウてめぇ、言うに事欠いてそれかよい」
「ん?なんだ誰も指摘しなかったのか?だらしねぇ」
「おかしいのはてめぇのほうだ」
煙草の缶をわざわざ、他のものが置いた本の脇などでなく、わざわざマルコのズボンのポケットにねじ込んで。紅を刷いた唇が間近で妖艶に笑う。その後ろからもうひとり、ひょこりと現れて口を挟む。
「そうだよ。マルコが何だか悩ましいのはいっつものことだろ」
「………ハルタ」
「バッカおまえ、この無力で無防備な感じがイイんだろうが。いつもは眠そうでだるそうなだけだろ」
「おれ、据え膳あんまり興味ねーもん。マルコはつれなくふらふらしてるときのほうが絶対いいよ」
「…てめぇらもういい加減にしろよい」
そもそもこの二人が揃うとろくでもない会話にしかならない。いつだって、どんなときだってそれは、そう、だった。例えこれが最期の会話となったとしても。この連中はこのくだらない会話を延々と嬉々として続けるのだ。まるでいつもの悪戯がみつかったとでも言うように。
「ごめんな、マルコ。ひどいことして。大丈夫?」
「…そう思うなら解けよい」
「あ、でも餓死する前には誰かしら戻ってくるから。大丈夫」
「まあしかし、…誂えたように牢があったもんだ」
「ほんとよかったよ。その辺の木にくくりつけとくわけにもいかないしさ」
「まったくだ。海楼石で無力化されるとはいえ、正直どれほどかはわかりようもねぇしな。用心にこしたことはねェ」
「…何の用心だよい。おれの参戦がそんなに足手まといかい」
苛立ちのまま吐き捨てる。よしんばどんな罠が待ち受けていたとしても、それにみすみす嵌る馬鹿ではないし、例え己ひとりでどうにもならないとしても、必ず家族がフォローしてくれる。それを信じるからこそ戦えるのではないか。
マルコは白ひげ海賊団を信じていたし、己が捕えられるとしたら、それは白ひげ海賊団が壊滅するときだった。いっそそれでも良かったのだ。家族の傍らで死ねるのなら。
怒りの矛先を流すように、ふふっと少年じみた無邪気さでハルタが笑う。
「マルコはさ、ひどいから。きっと、つないどかないと、もしもおれたちが斃れそうになったらさ、這ってでもあいつらに降伏しかねないもん」
流した刃をそのまま突き刺すようだった。
「馬鹿言うな…!!」
反論をさえぎって、追い打ちをかけるようにイゾウが唇を歪めて嗤う。
「そうさな。船縁に捕虜を並べて、ひとりずつ突き落としながら投降しろって言ったら、おまえさんはその羽根で飛んでっちまうな」
「そうできないようにね、とじこめとく。ごめんな」
「…てめぇらは…!!」
ありったけの力を振り絞って鎖を引く。剥きだしにした覇気が石造りの牢を揺るがす。
だが、それだけでしかない。擦り切れた手首から血が流れても、それは骨には届かない。怒りと悲嘆が心臓を絞り上げる。苦しい。苦しい。苦しくてたまらない。呼吸がままならず、何一つ言葉にならない。獣のような唸りをあげる。
わかったような顔で己を憐れむ同胞に掴みかかって、その首を締め上げて問い質してやりたかった。
 
ならばいったいどうすればいいというのか。どうすれば償えるというのか。
 
既にしてこの戦争の犠牲者は出ている。白ひげが仲間の死を許さないというのなら、マルコは間接的に彼らを殺したも同然だ。それが馬鹿げた子どもじみた主張だとわかっていても、感情は納得しない。自らの始末を自らの手でつけずして、どうしてこの船で隊長などと名乗れるだろうか。
それを、わかっていながら。
そうだ、彼らはそれをわかっていないからではない。わかっているからこそこんな暴挙に出たのだ。言葉などで、マルコが折れることはないと理解しているから。
なァ、とイゾウが呟く。びっくりするほどに優しい声。
「なァ、死ぬだ生きるだなんざ海賊にとっちゃサイコロの目ぐらいのものでしかねぇけどよ。この戦争でだけは、絶対におまえを死なせやしねぇ」
そしてこの男がこんな声をだすときは、怒髪天を衝くほど怒っているときだ。マルコが怒る程には、この男も怒っていた。静かに、暗く、暗く。敵に対して、マルコに対して、彼自身に対して。
「おれも、あんたがふらふら飛んでるときのほうが好きだ。ごめんね。帰ってきたら許してね」
バイバイと手を振って。ハルタはいつだって笑う。「許してね」なぞ、マルコが許すしかできなことを知っているくせに。帰ってくる者を、許さないでいられるわけがない。帰って来ない者がいるなら、尚更。
 
誰もが、怒っていて、誰もが優しかった。
 
「マルコ」
 
ひどく深い声が空間に響いた。弾かれたようにその主を見遣る。
「オヤジっ……!!」
ひときわ大きな身体を窮屈そうにかがめて、地下牢に現れたのは白ひげその人だった。ただ一人、己が全霊の忠誠を捧げる存在。その傍らにあることを喜び、その身を守れることを誇った。不死のこの身が滅ぶのはこの人のためだけと誓っていたのに。
世界を射竦める眼差しが、痛ましそうに、本当に痛ましそうに、眇められる。
「…おまえに鎖をかけるなんざ、おれもやきがまわったもんだ」
巨きな指がマルコの頬に触れる。潮と齢と重ねた戦いで荒れた手だった。何百人もの家族を支えてきた掌だ。
「すまんな。すぐに何もかもに片をつけてきてやる」
自信に満ちた笑み。約束。何よりも尊い約束。
それでも。果たされない約束がこの世にはあまりにも多いことを知っている。
「オヤジ、頼む……」
懇願は半ば悲鳴のようだった。手首が痛む。苦しい姿勢が熱を持つ。血が伝う不快。何一つ思い出せることはないのに、何かを思い出しそうになる。
 
そこから解放してくれたのがこの人だった。
マルコが半ば鳥であったときでも、籠の扉すら閉めようともしなかった人だ。
鳥に枷をつけることを何よりも厭うてくれた人だ。
「あんたがおれを自由にしれくれた」
好きに飛べと言ってくれた。
ただ、自由に。自由に。
「…あんたの傍で死なせてくれ」
なのに。
「おまえは、まだ自由になんざなっちゃいねぇな」
何を言われたかわからず、面をあげる。白ひげは深い憐れむ色はそのままに、いつもの、少し皮肉そうな笑みを浮かべている。
「ハナッタレが。おれの前で死にたいというやつを、どうしておれがつれていくと思う?」
目を瞠る。呼吸が止まる。呼ぼうとする声が消える。こみ上げてくる何かが頭の中を真っ白にしていく。
「おまえはまだ、てめぇのために死ぬ自由すらわかってねぇんだ」
頬に触れていた手がそのまま、マルコの頭をぐしゃぐしゃとかき回す。こどもにするように無造作に。何も言えずそれを甘受する。
「すぐにもどる……いいこにしてな」
白ひげはもう一度笑うと、老いを感じさせない動作で身をひるがえす。それは既に何もかもを決めてしまった背であり、それを止めることは誰にもできるはずがなかった。
 
 
「……泣くなよ」
最初から最後まで。壁の置きものみたいにその場にいたサッチが、ようやく口を開いた言葉がそれだった。
このうんざりするほど無神経で腹立たしい男を睨み殺してやりたいと思うのに、視界が歪むのをとどめることもできない。
「ほら、…これ。好きだろおまえ」
背中から出してきたのは一本の酒。知っている、この男のとっておき。謝ってくるときの定番。
「……てめぇのだすもんは二度と口にしねぇよい」
まるで形見分けのようで拒絶する。息がうまくできなくて声が少し震えた。男が苦しそうな表情をする。
「そうだな。ごめんな。…けどな、みんな、おまえが、おれらのことでがんじがらめになってんのは見たくねぇよ」
「………」
「もういかなきゃなぁ…。緩めていくけど、無理して抜けようとすんなよ」
ことさらにのんびりした足取りで、鉄格子の外に出て、錠をおろす。牢の外に据えられたレバーを引けば、マルコを頭の上で戒めていた鎖が伸びる。不自然な姿勢からは解放されたが、海楼石にとらわれた身体は重く、支えきれずに肩から倒れる。慌てるサッチに少しだけ溜飲を下げる。
「おい、大丈夫か!バカっ油断してんじゃねぇよ!」
「うるせぇよい……」
「ちゃんと飯食えよ!毛布使えよ!!死んでんじゃねぇぞ!!」
 
誰もがことさらに軽く別れを告げ。
誰もが怒っていて、誰もが優しかった。
 
「またな、マルコ。帰ってきたらてめぇの好きなもん、いくらでもつくってやるからな」
 
この世に、果たされる約束は、いったいどれほどあるのだろうか。
 
 
 
 
 
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