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鬼の話(2と1)

 




 
 
ワノ国に立ち寄った時、ひとつのおとぎばなしを聞いた。昔々の、本当のことなど何一つ定かでない昔に、一匹の『鬼』がいたと。
 
その鬼は徒党をくみ、都の近くの山を拠点に、悪逆非道の限りをはたらいた。人を殺し、財貨を奪い、女を攫い、犯した女を喰ったという。昔話の常として、やがて、力のある侍に斃されたが、騙し討ちのようなそれを人は報いだと話に残した。
 
しかし己が心奪われたのはただひとつ。鬼にまつわるささやかな逸話。
 
――――その鬼は。母親の腹の中に十六ヶ月居たという。生まれながらに歯も髪も生えそろい、歩き、言葉を話し、それを見た母親は恐慌のあまり死んだという。
 
世に背き天に叛き道に悖り倫に外れ、極悪の妖怪として忌まれ恐れられ、死してなおその首は、侍の兜に噛みついて離れなかったという。
 
人はその祟りを怖れ、首を祀って神と成した。
伝説の、『鬼』。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
十六番隊の隊長イゾウは、曲者ぞろいの白ひげ海賊団の中でも最も皮肉で辛辣でいつでもどんなときでも飄々とした態度を崩さない男だったから、それがふとマルコを呼び止めて相談があるんだがと切り出した時には、内心天地が引っくり返る予兆かと慄いた。
「失敬なことを考えてやがるだろう」
「勘ぐり過ぎだよい」
話は何だと促せば、エースのことだと返って、意外な名前に眉を寄せる。最近この海賊団に居着いた猫は、ようやく人を見ても威嚇しなくなったし、逃げなくなった。
「やる気になったかい隊長殿?」
肯定するのも否定するのも癪で黙っていれば、つまらないとでも言いたげに鼻を鳴らす。
「おまえさんも気付いているだろう。ここのところエースの様子がおかしい」
「ワノ国を出たあたりから少しな」
「本人は隠しているつもりだろうが、荒んでやがる」
「…ああ」
数日前海軍とちょっとした遭遇戦があった。普段なら適当にいなして、航行能力だけ奪って放置する。海軍一隻落としたところで得るものはないし、無用な復讐心を煽るだけだから端から相手にする気はない。
拙かったのは。先方が血気盛んな能力者であったこと、そして、対峙したエースが平常ではなかったこと。
起こったのは一方的な虐殺だ。人も船も燃やし尽くされ海の藻屑となった。ほとんど一人でそれを行って、笑って帰還したエースを、クルーは歓呼で迎え、一部の人間は眉を顰めた。
「殺したりねぇってツラをしてやがった」
「…ろくでもねぇ」
海賊に、倫理道徳を説くつもりなど微塵もないが、少なくとも、血に飢えただけの獣を飼うつもりもまたないのだ。エースは、流血を厭いはしないが好みもしない。荒んでいるのなら少し発散してくればいいと任を与えたのは采配ミスだった。殺戮でスッキリするならまだましだ。煤と人脂に塗れた顔は笑みをつくりながら闇に沈んでいくようだった。
「本人は言わねぇか」
「何も」
「…心当たりがあると言ったらどうする」
イゾウの常になく、重く迷うような口調だった。握った情報をチラつかせながら交渉し要求を通すのを得意とする男の態度とは思えない。
「歯切れが悪いねい。迷う理由は何だよい」
「確信がねぇ。強いて言えば勘だ。あいつが、その話を聞いた時、…別に何も言いやしねぇが、ちっと変なような気がしたんだ」
「どんな話だよい」
「ワノ国の昔話さ。よくある鬼退治の話だ…」
そうやってイゾウが聞かせたのがワノ国の山賊の話だった。否、ただの山賊ではない。時間を経て化物とされ『鬼』となった存在の物語だ。海賊なら己に重ねてしまう部分はあるかもしれないが、逆にいえばそれだけだ。その手の話は掃いて捨てるほどあって、歴史の長い国なら、竜退治や化物退治といった形で同類型の話をみいだすことができる。
「わかるか?」
「いや…わからねぇよい」
「そうか、おまえさんに思い当たる節があればと思ったんだが」
皮肉のひとつもなく嘆息する。すぐに次の手を探す顔つきにる有能な男の、滅多にない切実さにじわりと不安が湧く。
「おまえがそこまで心配するとは思ってなかったよい」
軽口を叩けば、秀麗な顔がようやくいつものようににやりと歪んだ。ふんと鼻を鳴らす。
「ありゃあ間違いなく根が深い。ほっとけば元に戻ると思っていたら取り返しがつかなくなるぞ」
 
 
 
 
夢を見て、叫んだ瞬間に目が覚める。現実は、声など出ていなくて、ただ開いた口が酸素を求めて喘ぐ。まるで海の中で溺れているように。
夢の中身は忘れていて、ただ悪夢だったという確信が脂汗とともに皮膚に貼り付く。どくどくと、耳元で鳴る血流が煩い。呼吸がうまくできなくて胸をかきむしり犬のように舌を出して無理やり空気を吸い込む。幼いころはしょっちゅう見ていた。いつか見なくなって忘れていた。忘れていたのに見るようになれば、それはまぎれもなく幼いころ見ていた夢と同じだとわかるのだ。中身など何一つわからないというのに。
ボンクを抜けだし周りを起こさないように部屋を出る。夢を見て、目が覚めて、無様に震える身体をもう一度毛布に埋めて固く目を閉じる。ここ数日ずっとそうしてきたがもう限界だった。幾人かが気付いた気配がしたがかまわない。ただ本能のように誰もいないところに行きたかった。
甲板に出ればワッチの連中に気をつかわれる。一人になりたかったがその辺の空き倉庫に潜り込む気にもなれない。ここは鯨の腹の中で。人の息吹に満ちている。ストライカーを駆って夜の海に出たい。格納庫に辿り着く前に見咎められたら止められるだろう。ここはスペードの船の中ではなくて。ここには己を止める者が多すぎる。
「エース」
「……」
憔悴をとり繕うこともできず振り返る。背後から声をかけたのは、同じ大部屋の別の小隊を預かる一人だった。ひとまわり以上年上だが、同じ立場もありよく話す。面倒見の良い男で、入った当初から何くれとなく教えてもらった。部屋から追いかけてきたのだろう。
「…眠れねェのか」
白ひげの一小隊を率いることのできる男だ。勘もいい。海に慣れた熟練の船乗り。ある日ふと、板一枚下の地獄を覗いてしまった時の恐怖を、波間の果てから聞こえるサイレンの誘惑を、発作のように訪れる揺れない地面への希求を、海の上でおこるあらゆる眠れない夜を、知っているのだろう。
「……付き合うか?」
男が暗に示してみた方法を、一拍置いて脳みそが理解する。反射的に激烈な殺意が膨れ上がる。視界が真っ赤に染まって、熱が業火となり現前する、その一瞬前で霧散する。
(……ここは。おかしな海賊団で)
海賊のくせに、悪党のくせに他人をかまってばかりいる。ためらいがちであっさりとした提案は、多分本当に心配されていて、気を紛らわすのによくあるひとつの方法を提示されただけだとわかる。だから、大丈夫。間違えて、燃やしたりしない。大丈夫。
「サンキューな。…でもいいや。平気。少し風にあたってくる」
「…ああ。何なら医務室で眠れる薬でももらって来い」
手近な男で駄目なら、彼女たちにお願いしてみろ。わかりやすい示唆に微笑って頭をふる。多分、嫌われてはいないから、あるいは招き入れてくれるかもしれないけれど。今誰かと寝たら、その後に相手を殺して喰いそうだ。
お節介で優しい男に手を振る。少しでも安心させるために甲板に向かう。メインマストの見張りと交替してもらおう。あそこなら誰も来ない。人の気配も遥か下で。この船の上なら尚更、闇ばかりが近い。そこで、気分を落ちつけて。考えることを止めて。自らが招き寄せる悪夢のことなど忘れて。
(―――あの、気の良い同僚を心底殺したいと思ったことを)
忘れるものなら。止めれるものなら、取り返しがつくものなら。
(……『オヤジ』)
あんたが守ってくれると言った。
今。向かえばきっと。笑って赦してくれるのだろう。馬鹿なことを言うなと、豪快に笑い飛ばしてくれるだろう。
ここは、おかしな海賊団で。きっと赦してくれる。己が、おぞましく醜く浅ましい何かだったとしても。
だけどもし、鬼の本性そのままに。己があの男を殺めていたのだとしたら。
ここもまた安息の地ではないのだ。
否。
海に出たい。渇くような衝動を覚える。ここでは駄目だ。ここにいれば己は何もかもを壊すだろう。ここにいたい、そう思う強さと同じだけ、呪う。ここを離れたい。資格を自ら失う前に。誰かに追手をかけられる前に。海に。板戸一枚下の奈落。周囲を死と闇に囲まれた世界。生物の気配のしない場所。そうすれば目に見えるものすべてを焼き尽くさずに済む。例え己が鬼だったとしても。何もなければ。何も目に映らなければ。何も手に入れなければ。
 
この手で壊すことはない。
 
 
 
「エース」
 
……ここは嫌な海賊団で。
 
「眠れねぇのかい」
 
いつだって己を一人にはしてくれない。
 
 
 
船室から、甲板へ登ったところで行き会った。一番隊隊長マルコは非番の真夜中だというのに、丸めた書類を片手にいつものふらりとした風情でそのまま数歩進んで、止まった。いつも半歩深く入ってくる、その独特な間合いに怯む。この男は、…苦手だった。いつも何故かタイミングの悪い時に居合わせる。いつも何を考えているのかわからない、そのくせ見透かすような目で人を見る。ただでさえ余裕のないときに相対したい相手ではない。
「……別に」
短く応えて隣をすり抜ける。その腕を掴まれて大雑把に引き寄せられた。
「ちょっと待て」
たたらを踏んでしまったことに腹が立つ。上背などたいしてかわりはしないし、さして力をこめているとも思えないのに。間合いと呼吸を読まれて、猫の子のように振り回される。
「ちょうどいい。ちょいとつきあえよい」
「あんたもかよ」
まるで判で押したような言葉に、反射的に吐き捨てる。掴まれた腕を力ずくで振り払う。面食らったように見返してくるのを睨みつける。
「……『も』?」
「どいつもこいつも!おれは女じゃねぇし弱くもねぇ!!」
さっきは抑え込んだ怒りが、この男相手では抑えられない。ちりちりと目の奥が熱くなって全身の体熱が上昇していくのがわかる。ひとではない肉が炎化する。馬鹿げている。たかがこれだけのことで逆上するなんて。理解しているのに、制御できない。
男が片目だけわずかに丸くして、すぐにひどく愉しそうな半月形の笑みを浮かべた。
「つれねぇなぁ。折角、おまえさんの希望を汲んでやろうと思ってたんだがねい」
男が半歩程横にずれて、それで退路が塞がれたのがわかる。後ろに下がろうとして、壁に当たる。不利な位置。四肢が緊張する。何より腹立たしいのは、例え、焼き尽くそうとしたとしてもこの男には傷一つつかないだろうということなのだ。無造作に距離をつめた男が唇を舐める、その仕草がやけに煽情的でとっさに目をそらす。
「なァ」
エースの殺気を浸食する男の気配が圧し掛かる。
「上がいいか?下がいいか?それとも口でしてやろうかい?」
このオッサン最悪。思わず露骨に表情に出たであろうその感想に、男が耐えきれないというように吹き出した。肩を揺らして笑いだす。からかわれたのだとわかって、頬に血が上る。殴りかかった拳を軽くいなされ、なおも馬鹿笑いを続けて上下する肩が、ふわりと青い炎を吐いてみるみる間に翼へと変わる。恥ずかしさと苛立ちと怒りで混乱した頭の中が、その美しさに思考を止める。呆然と見つめる先で不死鳥の姿になった男がその優美に長い首を伸ばした。嘴の先がぱくりと開いてエースのベルトをくわえる。えっ?と思う間もなくばさりと巨大な翼が広がる。暴れようとしたときにはもう遅かった。強力な羽ばたきが大気を撃ち、一気に身体が持ち上げられる。
「ちょっと待て!うわっっ!」
あっという間にメインのマストを越え、海の上へ飛び立つ。その嘴に腰のところで吊りあげられて、鳥の速度で運ばれる。耳元を轟々と風が流れる。遥か足下には夜の海。気流を探す鳥が幾度も羽ばたき、そのたびに身体は大きく揺れた。しがみつくところもなく、命綱もなく、ただぶら下げられる。あまりの無力に滅多に味わったことのない恐怖がわきあがり身が竦む。その反射的な反応すら癪に障って、風に抗して怒鳴る。
「あんた何しやがる!!戻せよ!!」
苦しい不自由な姿勢から見上げようとするが、青のきらめきが邪魔をして、表情をうかがうこともできない。
「聞こえてんのかよ!このバカ鳥!!!」
怒りのままに罵声を投げつけ、さらに何か言ってやろうと息を吸い込む。その瞬間、ふっと身体への負荷が消えた。
一瞬の浮遊感。
そして重力に従った落下。何一つ支えのない中空に放り出されたのだと。空いた口から叫びと心臓が飛び出す、そう思った直後、まふっと全身が羽根に埋もれた。
「………重いよい」
ぼそりと聞こえた声は空耳でなければ信じがたい嘆きで。ひとひとりを背に拾った衝撃を下降しながらうまく殺し、巨大な翼がもう一度空気の塊を叩き舞い上がる。
急転直下の扱いについていけず、エースは地面とは言えないまでも幻ではない鳥の羽根に埋まったまま、ひとまず吸い損ねた空気を思い切り吸い込んだ。
「……あんた最悪」
「『口』じゃあお気に召さなかったみてぇだからねい」
つまり、ここが『上』で。つまり、『下」は。
「掴んで運ばれるのが好みなら、そうしてやるよい。まあ、もう一度『降りて』もらわなけりゃいけねぇがな」
「……ここでいい」
「『で』?」
「恐れ多くも上がよいでありますクソッタレ隊長殿」
無言の急上昇。振り落とされかねない乱暴な「操縦」に、大人気ねぇ!!と叫ぶ。
ただでさえ裸の動物の背なんて乗り心地の良いものではないのに。折れそうに細く長い首にしがみつく。腕の下で躍動する、人ではない、筋と骨と羽根のなめらかな動き。
掴むことができるのに、指の間から溶けて消えていく柔らかい炎。
人より少し高い体温の、現実とも幻とも信じられない熱。
目を閉じてなお、眼裏に光がちらつくのはこの鳥がそれじたい光を発しているからだ。
耳をつければ、叩きつける風の唸りの合間に、心臓がコトンコトンとおもちゃのように鳴っているのが聞こえる。抉りだされても何の痛痒も感じない心臓が。
「…エース、首が絞まるよい」
「………。曲芸飛行したのはあんたのくせに」
「学習能力のねぇガキを乗せてるもんでな」
まわした腕の中で鳥の喉が震えて笑っているのだとわかる。気勢が削がれる。つくづく相性が悪い。素直に従ってなどやるものかと、まわす腕に力を入れる。柔らかい羽毛に額をごしごしこすりつける。いっそ首など絞まってしまえばいいのだ。
「…で、どこ行くんだよ」
「…………もう着く」
微妙に戸惑ったような口調だった。すぐに、とりつくろうように付け加える。
「"お仕事"だ。手伝えよい」
言葉通り、すぐに視界の端に明りが見え始める。島だ。方向と距離から察するに、明日白ひげ海賊団が寄港しようとしていた島に違いなかった。みるみる間に近づいてくる島と、その港の様子に眉をしかめる。今は深夜にも関わらず、灯る明りが多い。停泊するいくつもの船は遠目にも軍船だ。
上空までさしかかれば何百人もの人間が眼下で動いているのがわかる。いずれも一般人ではなく武装した兵士達だ。聞こえるはずのない地上のざわめきが聞こえてきそうな、間違えようもない戦闘前の気配。
「…ここは、うちのシマじゃねぇのか?」
「……まぁ、そうだよい」
それがモビーディックが寄港する前日に戦闘準備とは。つまり白ひげ海賊団に叛旗を翻すということだ。ならば、マルコが夜中に飛び立つ理由もエースを連れてきた理由もわかるというものだ。ようやくわかりやすく己向きの展開になっていっそ安堵する。
「つまり、あれは喰い散らかしてもいいわけだ」
地上で展開する兵は大隊規模。一人で相対する人数じゃない。人ならば。
 
そして己はヒトではない。
 
鬼だ。
 
気分が昂揚する。そうだ。己は『鬼』で。ここは悪党の巣で。誰かを襲う大義名分を持ってしまっている。オヤジへの裏切りを許すな。それだけの理由で名前も顔も知らない己に何ら関わりのない人間を殺せる。殺せるのだろう。正義を掲げる連中が誰かれと区別なく殺せるように。
「エース、港は焼くな。後が面倒だ」
「…了解」
地形、布陣、砲の数、鳥の嘴が敵の情報を淡々と伝える。ああ、それから、と付け加える。
「殺すなよい」
「は?!」
耳を疑った。無遠慮に呆れた視線を向けたら至極真面目な鳥の眼差しに見返された。
「砲を潰して兵は殺さずに無力化しろよい」
海賊が。しかも四皇と恐れられる海賊の右腕とされる男が命じることじゃない。意図を探ろうと口を開いたら計ったように遮られた。
「命令だよい」
「…あんた、難しいこというな」
「言ったろい、こきつかってやるって。楽なやり方なんざさせねぇよい」
先日、海兵隊を全滅させた一件を、隊長格は良く思っていない。それは知っていたから、ハハッと短く笑う。
「まあ、道理だよな」
殲滅するより、殺さずに蹴散らす方が厄介だ。そんな馬鹿げた理屈を振り回すつもりはない。ただ不可抗力というものはいつだってあるものだ。誰の人生においても。
地上へと降下する鳥の背から飛び降りる。何もかも。壊してしまえと鬼がささやく。ここにある全てを鏖殺したら。鳥はどんな目で己を見るのだろうか。
 
 
 
敵陣のど真ん中に着地して、名乗りも挨拶もなく炎の塊を四方に放つ。ひとまずは命令通り、炎で撫でるだけにして。慌てふためく雑兵とわけもわからず叫ぶ指揮官を嗤う。発砲指示もないまま恐慌で撃ち込まれた弾丸がすり抜けていく『感覚』。すり抜けた弾は、流れ弾として同士討ちになる。敵の正面から来た流れ弾に、撃ち抜かれた兵が愕然と膝をつく。笑う。不可抗力だろうと哂う。逃げ遅れた人間を蹴散らしながら走る。いつでも殺せるから、今はどうでもいい。まずは砲。攪乱して混乱させて、その隙に火拳でまとめて潰していく。
半分ほど片付けたところでようやく組織だった銃口が向けられ、怒りと恐怖に満ちた叫びにようやく耳を貸す気になる。
「おまえ何者だ?!」
不思議なもので人間はどんなに切羽詰まっていても、敵の正体を知りたいらしい。エースはまだマークをどこにも入れていないから、誰何されるのも無理はない。『白ひげの』と、名乗ってみたらどんな顔をするだろうかと少し愉しくなる。誰かの名など、名乗ったことがないから尚更。
せいぜい凶悪そうに笑って名乗りをあげようとしたところで機先を制された。
「ここは"白ひげ"のシマだぞ!貴様何に喧嘩売ったか分かってんだろうな!!」
「…はァ!?」
いや確かにここは白ひげの領海で、それはまったくもって正しいのだが、何でこいつらがそれを盾にとるんだ?叛乱じゃねぇのかよ。思わずまともに聞き返したら、馬鹿にしたとでも思われたのか返ってきたのは一斉掃射だった。当然のようにすり抜けていく弾丸を見送って、ついでにはるか上空を見上げる。闇夜の中に発光する鳥は悠然と輪を描いて飛んでいて、とりあえずあのクソ鳥野郎と舌打ちする。絶対にわかって黙っていたに違いない。
とにかく事情はわからないまでも、「白ひげ」の庇護を盾にとる連中を皆殺しにはできないし、ついでに名乗っても話がややこしくなるだけだろうからそれも止めた。ならば最初の命令通り、船の入港を妨げる砲を潰して兵を無力化すれば良いのだろう。そう考えたところで、もうひとつ思い違いに気付いた。夜目とは言え気付かなかったのはうかつだった。砲口の向いている先は、海ではない。固定砲はともかくも、移動砲が向いているのはすべて内陸で、つまり、警戒しているのは船ではないのだ。
果敢にも歯向かってくる兵はそろいの軍装をしていて、少なくともこれがこの国の正規兵の一部であることは確かだろう。中心をずらした爆炎で適当になぎ倒し、殺さない程度に炙り、設備と戦意だけを奪う。逃げる兵は追わず、指揮官クラスだけ戦闘不能にする。手間がかかることこの上ない。
そうこうするうちに夜が白み始め、そして、今度はまったく別の方向から鬨の声が響いた。地に響く轟から察するに数百規模の。エース一人ではさすがに手に余る、ましてや、壊乱され疲弊したこの大隊では太刀打ちできないほどの数の声が。内陸側から。
 
「……片付いたかい」
 
いつの間にか傍らに大きな鳥が翼を広げていた。燃え残った炎と、怪我人と、戦意を失った兵士の間に立ちつくして。どこからともなく迫る鬨の声を聞いていたエースはようやく現れた鳥を胡乱に見遣る。
「……あんた、最低」
笑うだけの鳥は応えず、大きな鉤爪でエースの胴を掴むと一気に飛び立つ。とっさに脚を掴むことで、支えもなくぶら下げられることだけは防ぐ。結局フルコースかよと呟けば、貴重な体験だろいと嘯かれる。
薄明の中、今まで駆けずり回っていた下を見やる。声を挙げて港になだれ込んできているのは、手に手に武器をもってはいるものの、あきらかに街の市井の人間だった。まるで反乱する市民のように。しかしそれも、壊乱され、疲弊して転がる兵たちに出鼻をくじかれて流れが止まってしまっている。
「あっちから来るのが市民軍。今おまえがかき回したのが正規軍、の跳ねかえり」
「………」
「ここがうちの領海の島で、ここの王家がうちの庇護下にあったのは本当だよい」
白ひげ海賊団は、その名前でいくつかの『国』を領有し、庇護と引換に莫大なみかじめを得ている。それがこの巨大な海賊団を維持する資金源になっている。新世界で『安全』を買うには、海賊からしかない。子どもでも知っていることだ。
「少し前から、うちの名前をかさにきて好き勝手やる軍と、海賊の影響を排除したい王家と議会が対立していたんだが、三年ぶりにオヤジが寄港するのを契機に一気に深刻化した」
「おれたちを排除して、どうするつもりなんだ?すぐに別の奴らが来るだけなのに」
「まあそうだけどなァ。おれからしてみりゃ、シマだと言っても、一ベリーももらっちゃいねぇんだ。自立してくれるってなら願ったりだよい」
「何だそれ。何も見返りがないのに面倒見てたのか?」
「…ここの王様はなかなか骨のある御仁でねい。オヤジが気に入ったのさ」
「…………」
「うちはわりとそんなんばかりだよい」
呆気にとられて言葉も出ない。酔狂な集団だとは思っていたが、ここまでとは思っていなかった。何のかんの言っていても、この鳥もそれを非難する気はないらしいからなおさら。
「なんのために」
「少なくとも、海賊に貢物をするから新王権を認めてくれなんざいう輩よりはよっぽどましだよい」
「…意味わかんねぇ。だいたい、これからどうすんだよ。あの素人の寄せ集めみたいな軍で、うちと一戦やろうってのかよ」
つまり基本的な構図としては、白ひげの力を盾にクーデターをもくろむ軍の一部に、海賊の『支配下』に反対する王家と市民の連合軍、そして悪の親玉の白ひげ海賊団と。
実質、白ひげ海賊団はクーデターを支持する意志はなく、逆にエースが事前にほとんど壊滅させてしまった。ともあれ、連合軍がクーデターを制圧したら、次にやるべきは入港する白ひげ海賊団を追い払うことなんだろうが。
「憎まれ役らしく派手に逃げてやれというのがオヤジの結論」
「っなんで!!」
「言っただろい。気に入ってんのさ。海賊船に単身直談判にきたバカだ。おまえさんとそっくりだよい」
「……っ」
その辺りのことを言われるとぐうの音も出ない。オヤジが馬鹿で向う見ずな人間を好きなのは身にしみて知っている。
「……補給しねぇとまずいんじゃねぇのか」
「まずいよい。だからもう少し先の海域で王家の連中から必要な物資を受け取る手筈になってる。それがまあ手切れだねい」
「来なかったら」
「引き返して、今度は本当に滅ぼすだけだよい」
「だからっ!なんでそんな面倒なことを!!」
何もかも、どこの国が海賊を嫌おうと疎もうと、押しつぶす力があるくせに。さもなければ、放って置けばいいのだ。王家だろうが、反乱軍だろうが、己を利用しようとするやつらなど勝手に相争っていればいい。
なんで。こんなややこしい真似をして。殺すななど馬鹿げた気遣いをして。内戦とは言え、売り渡した反乱軍とは言え、自国の民を海賊に殺されるのは忍びないとでも、その馬鹿な王様が言ったのか。
「ひとつ。オヤジの名をかさにきるような奴らを野放しにする気はねぇ。ふたつ。ガキが歩き始めたら手を放すのがオヤの務めだそうだ」
白ひげ海賊団の一番隊隊長、その言葉は正しく白ひげの言葉で。
「みっつ。おまえに殺すなと言ったのは、おまえならそれができるからだよい」
「だからっ!なんのために!!」
「軍と市民がぶつかれば、必ず人は死ぬ。それも仕方ないとその王様は言ったが、甘ェんだよい。うちと一戦交えるフリをするだけでも、死人はでる。砲弾は着地場所を選べねェ。流れた血は遺恨を残す。施政のどこかで躓く石になる。せっかくお膳立てしてやったんだ。まともに運営してもらわねぇと意味がねぇ」
言葉を失う。もう、なんと返していいのかわからない。つまり、この男はこう言っているのだ。「つまらないからだと」。このたくらみが上手くいかなければつまらない。そのために眠れないエースを捕まえて投入し、一ベリーにもならない国のためにお節介をする。
「よっつ。おまえは海賊の愉しみ方をしらねぇよい」
 
その理由を。ただ「楽しいから」だと。
 
「あの国の歴史にはきっとこう書かれる。王と市民が力をあわせて反乱軍を抑え極悪非道の海賊を追い払いましたとな。その真実を知るのはおれたちだけだ」
 
愉しそうに。楽しそうに。愉快でたまらないというように。
 
「ここでその物語を聞いて育ったガキが、ある日海軍になっておれたちの前で誇らしげに言うだろう。おれの国は海賊を追い払ったと。その真実を知っているのはおれたちだけだ」
 
ここは酔狂な海賊団で。おかしな場所で。ありあまる力を、まるで、慈善のように気紛れのように天災のように揮う。
 
「正しい歴史なんぞくそくらえだ。世の中が何と言おうと、オヤジの偉大さを知ってるのはおれたちだけだよい」
 
自由に。ただ、己が正しさだけを信じて。
 
 
 
 
 
 
夜の海を進んできた白鯨が水平線の先から次々とその威容を見せる。港を走り回る動きが一段と増し、寄せ集めの部隊が次々と配置につく。彼らは今、一世一代の昂揚の中にある。天下の白ひげ海賊団を敵に回して。祖国のために命を賭して戦おうとする興奮だ。滑稽なほどに、根拠のない蛮勇。愚かしいほどに、ちっぽけな献身。やれと言われれば、エースひとりで鏖殺できる。何もかも消し炭にできるのに。
 
まるで鬼退治のようだと。
 
わかりやすい「正義」と「悪」。劣勢の「味方」と強大な「敵」。それを引っくり返して勝利を得たときに、きっとこの国は自らの足で歩き始めるのだろう。
 
 
 
それがまやかしの物語だとしても。
 
 
 
 
 
紫に明るむ空を鳥が旋回する。
曙光が差す。美しい夜明けの光。
遠い鬨の声。己が運命を掴まんとする声。
 
 
「おまえはな、他人のつくった話なんざあんまり簡単に信じるんじゃねぇよい」
 
 
鬼は。
鬼を生んだ人は。
滅ぼされた鬼の徒党は。
 
 
「海賊なら、自分の信じるものは自分で決めやがれ」
 
 
 
 
 
 
 















































































元ネタは大江山の鬼と泣いた赤鬼。
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